小橋 昭彦 2004年7月1日

 ぼくたちは一般に、五感の中で視覚を優先的に考える傾向がある。だけど実際は目を通してのみ「見ている」のではない。セキュラー博士らが考案し、下條信輔博士らが発展させた実験がある。画面の上部両端に円盤がある。それらが対角線上を移動し、中央で重なって下の端に移動する。この動画を見て、大半の人は円盤が互いを通り抜けて対角線を端から端へ移動すると見る。しかし円盤が重なる瞬間に音を出すと、7割から8割の人が中央で互いに跳ね返ると判断する。
 音の出し方も視覚に影響する。光の点滅を見せながら断続的な音を聞かせると、実際の点滅は1度なのに、音の数だけ点滅したように見える。あるいは、運動方向のあいまいな視覚刺激を見せながら、たとえば上昇する音を聞かせると、図も上昇しているように見える。音程の「高い・低い」が視覚的な「高い・低い」に影響するわけだ。
 ぼくたちほ乳類は視覚が弱い。霊長類こそ例外的に緑の視物質を取り戻したけれど、基本的に赤と青の二種類しか感じとれないのだ。その分、聴覚は「あぶみ」「つち」「きぬた」という小さな三つの骨が組み合わさった耳小骨を持ち、繊細な音を聞き分けている。これをたとば恐竜と比較すると、恐竜にはあぶみ骨しかないから聴力は貧弱。一方で視覚は、仮に現在のは虫類や鳥類なみに、赤・黄・緑・青に対応する視物質を持っていたとすれば、豊かだ。進化の過程で、は虫類や鳥類は昼間に活動したが、ほ乳類はそれを避けて夜間に動いたため、視覚より聴覚が発達したと考えられている。ぼくたちの祖先は、闇の中で耳を澄ませて生き抜いてきたのだ。
 昨夜、長男のリクエストで、庭で花火を楽しんだ。火が消え、皆が口をつぐむ瞬間。煙が風に流れていくのを見ながら、ふと、虫の声を意識する。「静かだね」「ほんとに」そんな会話をしつつ、ぼくたちはこうして静寂を楽しむ時間を、ほとんど持たなくなってしまったと、そんなことを考えていた。

4 thoughts on “見えるもの、聞こえるもの

  1. コラムで紹介した「Robert Sekuler」博士による実験は「Exploring Multimodal Interactions」から実際にその動画をダウンロードできます。「下條信輔」博士による今回の関連論文は「Illusions: What you see is what you hear」で。下條氏は、以前にも「見つめる [2003.12.18] 」などで紹介したので繰り返しませんが、著書もお薦め。監修されている「静岡科学館」は行ってみたいなあ。さて、音と視覚についての実験は、共同研究者「Ladan Shams」博士のサイトから閲覧できます。論文は「Visual & Multisensory Perception Lab」内、「Sound alters visual evoked potentials in humans」というタイトルです。視覚については「トンボの眼鏡 [2003.02.27]」「色を見る [2003.02.20]」もご参照ください。

  2. 小橋様

    いつもありがとうございます。今回は一博士の私論的なところで終始されましたが、人間の五感で一番発達しているのは視覚です。聴覚など自分の身も守れないほど、貧弱です。人類が繁栄する陰に、犬との同居で、繁栄があったといっても過言ではありません。人類の集落が夜間、狼の集団などに襲われようとしたとき、犬がいち早く危険に気付き吼え人類に危険を知らせ、臨戦態勢に導いた。人類が犬と出会ってなかったら、この夜間の襲撃に耐えれないことで人類の繁栄は導けなかったんではなかったかと。それ位人類の聴覚は貧弱です。
     視覚の中でも、静態視力と動態視力があり、動態視力が人間の高度な判断能力と連動しています。活字を一文字一文字追っかけることが多くなった現代社会は、静態視力が主になり、更に悪いことに一点注視の傾向があり、網膜の特定の一部分だけの酷使、それによる疲労、動態視力に移行しにくい、これによって今度な判断能力の低下など悪循環を招いています。
     これを打破する手法が速読(本の1ページ・広い領域をを面として捕らえ、1点注視の傾向を打破する)、錯視(静止画像集なのですが、動いて見える(これが動態視力を導いています)ようなものがあり、止まっているはずなのに動いている、おかしいなと脳の中での格闘が脳を刺激する)

    ご自身が日本一の速読の持ち主で、速読の手法を紹介します。栗田昌裕博士のSRS研究所ホームページ
    http://www.srs21.com/home.htm

    北岡明佳博士の錯視のページ
    http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/index-j.html

  3. 人間の視覚には錯視が含まれているのですね。そして、他の動物よりも視質の低いことに驚きました。でも、これが人間だと思えば問題となるようなこともないと思います。
    しかし、この地上から静寂がどんどん失われているように思います。特に東京では車などの騒音は本より、何処へ行ってもBCMに囲まれています。
    このことを北欧を旅した時、痛切に感じました。あちらではぐっすり深い眠りの毎日でした。振り返ってみると、夜は真っ暗の闇、人工音が少ないためと感じていました。やはり、静寂の条件には「暗闇」がなくてはならないような気がします。人類の先祖は強力な紫外線を避け、木々の陰で生き抜いてきたのでしょうか。真っ暗闇の静寂は意外と落着くような感じがします。

  4. いつも思わず最後まで読んでしまう、魅力溢れる文章を届けて頂いて感謝しています。
    敢えて苦言めいたことを申上げれば、仮名文字が多くて、少々読みづらいときがある。 例えば、「ほ乳類」は「哺乳類」と書いて欲しい。「ほ乳類や鳥類」と書かれると、「や鳥類」⇒「野鳥類」か、と一瞬戸惑いを覚えた。「あぶみ」⇒鐙? 「つち」⇒槌?鎚?椎? 「きぬた」⇒砧? …と、混乱して、読むスピードが落ちる。読む側の事(多分、小・中学生よりも成人=それでいて無学な=が多い)を考えて、初めから漢字を遣い、難しい字には仮名を括弧書きするとか…。御一考願えれば有り難いです。

Comments are closed.