ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

世界の見方

2004年4月15日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 大洪水が地球を襲う。主導者は予言し、それに先立つ午前零時、宇宙船がやってきて信じるものを救うと訴えていた。マスコミを避け、布教活動もしない。それでも、彼を信じる小さな集団ができた。やがて予言の日がやってくる。信者たちは固まって夜を過ごす。午前零時、しかし宇宙船はやってこず、数時間後、大洪水も起きない。
 信者らは主導者を責めたか。信仰を失ったか。否。宇宙船も、大洪水もないとわかったとき、主導者の妻は天からの声を受信し、自分たちの必死の思いが天に伝わって、破滅を逃れることができたと宣告する。信者らは、その事実を今度は積極的に世間に伝えようとする。長い目で見るとこの集団は解散するのだが、予言がはずれた後しばらくは、信者らの活動はむしろ強固になった。
 自分たちが信じていたことがむなしかったとすれば、あまりに自分が悲しい。予言の日までは自分の内面で信じていればよかったのが、予言がはずれた今、自分の信念を固めるには、外部に賛同者を増やし、社会的に認めてもらう必要がある。だから布教に励んだと社会心理学者は説明する。ぼくたちは自分を守りたいものだし、そのために、世界の見方を作りかえることもある。この集団ほどでなくても、多かれ少なかれ、ぼくたちは世界を、自分を守るために組みかえて今日を生きているのだろう。
 昨日だって。「遊んで」子どもにせがまれて、「ちょっと待ってて」と答える。「ちょっとだけ?」「うん、もう少し」言いながら、ぼくは子どもの「ちょっと」という世界を、自分の都合に組みかえて返事している。だけど。だけどたぶん、世界を組みかえることそのものは否定できず、ぼくたちはそれから逃れられない。だからそれを自覚した上で、他人が組みかえた世界と接しなくてはいけない。「まだ?」子どもが聞くので「もうちょっと」と答える、今日はほんの少し、彼の世界の時間に近づけて。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

4 comments to...
“世界の見方”
Avatar
小橋昭彦

今回紹介した話は、前に「権威への服従 [2003.04.10]」などで触れたことのある『影響力の武器』という書籍などで紹介されている、比較的有名な事例だったかも。ところで、「枡野浩一」氏の短歌集『ハッピーロンリーウォーリーソング』を読むと、世界の見方が変わって、なんだかすてきです。


Avatar
田所万知子

あ、大学で習ったチアルディーニだ。ってピンときました。

認知心理学では「認知的不協和」と言っていました。理由のつかない感情って、心理的に不協和音になっちゃうんで、なんとか理由をつけたい。

好きだからドキドキするんじゃなくて、ドキドキすることに自分で理由をつけちゃうから「好き」だと思い込んじゃう。こんなにドキドキするなんて、私は彼を好きに違いない!みたいな。危なっかしい男がモテるのはこういう事なんですよねえ。


Avatar
通りすがり

 とりあえず ドキドキさせるw おし!


Avatar
motto

 子どものころに「大人の”もうちょっと”ってなんて長いのだろう」って思って、
 母親が”もうちょっと”って言った時にストップウォッチで計ったのを思い出した。。。。。2時間ちょっと。
ここで、ちょっとって使ってるあたり、まだ母親の”ちょっと”には到底及ばないみたいだ。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 日本でもイグ・ノーベル賞の名前が知られるようになった。パロディ版のノーベル賞と説明されたりするし、確かにそうした一面もあるのだが、純粋にお笑いというわけではない。ためしに、次に掲げる二種の研究業績リストを比べてほしい。 ひとつめ。「スキップをしなくなるわけ」「体臭によるコミュニケーション」「クリップはなぜ曲がる?」「泥を食べるのは健康のため」「旗がはためくわけ」。二番目。「歓喜についての学術的分析」「相続税率の低下に延命効果があることの実証」「ハトにピカソとモネの作品の識別を訓練」「人間の腸内から発見された異物一覧」「コーンフレークがふにゃふにゃになるプロセスの物理学的考察」。さて、見分けがつくだろうか。 前者は、権威ある科学誌「ネイチャー」の人気コラムをまとめた『知の創造』という書籍から見出しを抜粋したもの、後者はイグ・ノーベル賞を受賞した研究を紹介する書籍から拾ったものだ。両者から受ける印象に大きな差はない。「大真面目で奇妙キテレツ」というのがイグ・ノーベル賞を紹介する書籍のコピーだが、科学とはまさにキテレツさが醍醐味なのだ。相対性理論のいう時空の歪みや、量子論のいう粒子を通り抜けるトンネル効果、あるいは数学でいう無限にいろんな無限があるなんて、常識からすればまさにキテレツ。 ノーベル賞では遅れをとっているとされる日本人だけれど、イグ・ノーベル賞においては受賞大国のひとつ。足の匂いの原因物質を特定し、とりわけ「自分の足が臭いと思っている人の足は臭く、思っていない人の足は臭わない」という秀逸な結論を出したとして受賞した化粧品メーカーの研究者を第一号として、ガムの味と脳波の関連性の研究、浮気発見スプレーの開発、そしてたまごっちやバウリンガルに至るまで。フシギでキテレツな国としての日本はまだまだ元気だし、可能性もあるよねって、そんなことを感じている。

前の記事

 この百年でもっとも偉大な科学者を尋ねたら、多くの人がアインシュタインの名を出すだろう。彼の唱えた相対性理論は、それほどこの宇宙を説明するのに成功した。身近なところでは、カーナビが正しく位置を返すのも相対性理論あってこそ。 カーナビは、複数の人工衛星から受信した時刻の差から位置を求める。人工衛星は秒速およそ4キロメートルで移動しているうえ、重力の影響が地上より弱い。そうした環境では時計の進みが遅くなる。相対性理論に基づいた補正をしなければ、1日で距離にして11キロメートルもの誤差になるという。 こうして日常でも利用されている相対性理論だけれど、今も反論はある。NASAが一般相対性理論が予言する「時空のゆがみ」を検証する実験衛星を打ち上げたのも、それゆえだろう。真空中を進む光速は不変であるという相対論の基礎原理から導かれる、時間や空間が変化するという予測。 光速度不変の原理に対しても、反旗をひるがえす科学者がいる。VSLと名づけたその理論を紹介するマケイジョの『光速より速い光』は、科学者の日常が生き生きと描かれていて楽しい。なかに、印象的なエピソードがあった。VSL理論でも光速が速度の上限ではあるけれど、その光速が変化する。特に空間を構成する宇宙ひものすぐ近くではひじょうに大きくなり、これをたどっていけば、時間の遅れ効果を受けず、かつ一般の光速よりはるかに速く宇宙を旅することができるというのだ。いわば宇宙の「高速車線」。 現在の宇宙論としては、ひも理論ないしループ量子重力理論などが有力で、VSL理論が少数派であることは事実。でも、この「高速車線」のために、ぼくはVSLを信じてみたいと思った。光速旅行に伴う、年をとらず時代から取り残されるウラシマ効果を覚悟したり、ワープなどの無茶をしなくていいのだ。高速車線を行く「マケイジョ号」が登場した日には、真っ先に乗ってみたい。

次の記事