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ちょっと知的な雑学&トリビア

コツと分節

2004年1月01日 【コラム
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 コップにミルクを注ぐと「ばんばーい」なんて言いながら乾杯をしたがる。1歳と半年あまりの手つきはなんだか危いのに、小さな手の中のミルクは、こぼれそうでこぼれない。親がサポートしようとしたときに限って、こぼしてしまうものだ。
 コップを持ち、相手とグラスを合わせ、自分の口元に戻して飲む。これら一連の動作をとどこおりなく行うには、ある種のコツを身につける必要がある。そのコツとはいったい何なのか。動作のはじめから最後まで、細かく所作が決まっているわけではない。かといって、瞬間瞬間を意識して行為をしているかというと、そういうわけでもなさそう。
 乾杯のシーンをビデオに撮るとする。相手とグラスを合わせる行為と、飲み干そうとする行為の分かれ目を示せといわれたら、誰でもほぼ同じコマを指摘する。そこで、そのコマの前後を切り出したビデオと、逆にその前後だけを抜いて編集したビデオを作る。両者を見せて、何のシーンかと尋ねたら、正しく答えられるのはどちらだろう。答えは、たとえ短くてもグラスを合わせる前後を切り取った画像の方。人間は行為の切れ目から多くの情報を得ていて、それは分節点と呼ばれる。
 人間の行動もまた、分節点の前後で精度が求められ、その間は比較的自由に流されている。東京大学知能情報システム研究室で開発された、寝転んだ状態から脚を振り下ろす反動を利用して起き上がれるロボットは、そんな理論を応用している。コツをつかむのが上手な人とは、分節点を把握するのが上手な人といえるのかもしれない。
 懇意にしている漢方の店に、経絡人形が置かれている。体表に網の目のように線がひかれ、ツボが表示されている。年の瀬、それを眺めながら、世の中もそんなものかもしれないと考えていた。一本の流れのように見える出来事も、分節点で連なっている。だとすれば、起き上がれそうにない難問にも、きっとコツが見出せる。新しい年。

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4 comments to...
“コツと分節”
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小橋昭彦

東京大学知能情報システム研究室」の國吉康夫教授による解説「機械はコツを身につけられるか」を参考にしました。ロボット起き上がりの映像は「こちら」。「日本ロボット学会」もご参考に。人間のコツに関する心理学実験は、「Darren Newtson」によるものですが、原文を参照できていません。経絡人形はたとえば「エーザイ 内藤記念くすり博物館」などに写真があります。


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小橋昭彦

そういえば、星新一氏のショートショートに、何の働きもないけど、会社存続のツボであるためだいじにされているサラリーマン、という話があった記憶があります。


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小野田aruhiko

先生 
明けましておめでとうございます。

私のうんちくの原資として大いに役だたせていただいております難うございます。


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イトー

あけましておめでとうございます.
今年も良質なコラムを楽しみにしております.
ウチの二歳のチビ達も、コップを持つ手の危うさにこちらが思わず手を出すとだいたいこぼしてしまいます.他人が途中で手を出すことは分節点を強制的に設けることであり、その新設された分節点以降の行動に対応できないということなのでしょうか.彼らなりの分節点を見極めてその瞬間に手を出せば、我が家のカーペットの染みももっと減ったのかもしれませんね.大人で言うと、行動の途中唐突に発生した分節点に適切に対応できることが運転やスポーツの”うまさ”に繋がるのでしょうか.
ところで昨年九月の”あくび伝染”の話ですが、正月休みに夜更かしが増えたチビ達(一卵性の双子♂×2)をじっくり観察したところ、片方があくびをしてもそれを見ている他方にうつることはほとんどなく、別々にあくびをしておりました.ということはやはりあくびの意味を知るようになってからの後天的な要因が大きいのでしょうか?上の小学2年生の兄ちゃんを含めて観察すればよりはっきりするかも知れません.ちなみに私は幼児のあくびでもうつるようです.旧ネタの蒸し返しですみませんでした♪




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 年が明けるとまたひとつ年をとる。身体は正直で、このところ尿酸値が気になっている。プリン体の最終代謝物が尿酸として血中に放出されるもので、値が高いと通風になる可能性が高い。そもそもの原因は、ヒトではUOX遺伝子が退化していることにあるという。プリン塩基を代謝する際に活躍する遺伝子だ。 UOX遺伝子は古い型の生命にも見られる遺伝子で、霊長類の場合は、何百万年かかけて不活性化が起こったとみられている。尿酸値を高め通風を起こすような変異が淘汰されず残ったのはなぜか。調べてみると奥が深い。尿酸には強い抗酸化作用があり、老化の原因といわれる活性酸素を抑えることができるのだ。活性酸素の影響は、激しくエネルギーを消費するときに受けやすいけれど、血中に尿酸があると、高い代謝レベルを続けながらも、寿命が長くなる。 具体的な個人を比較して尿酸値が高い方が長生きするという意味ではないが、鳥類やヒトは、体重に比べて寿命が長い。体重が重いと上がる代謝レベルの影響を抑えられたのは、通風の危険をおかしつつも、尿酸による抗酸化作用の恩恵を受けてきたからなのだ。恐竜の化石にも尿酸塩の沈着があったというから、通風は文明病というよりも、大型化したり代謝を高めた進化の代償ともいえる。 UOX遺伝子に限らず、ぼくたちの身体には多くの退化の跡が残っている。尾椎や盲腸の虫垂、耳を動かす筋肉などなど。そもそも、最初に陸上にあがった「魚」は指が8本あったわけで、陸上に住み続けるうちに2本が退化して、今の姿になった。 失われたり衰えたりすることもまた進化。ヒトには、およそ150の退化器官があるという。何かを失っても、それが環境に適しているなら、ぼくたちは未来に生きる。求めたり加えたりするだけが前に進むことではない。削ぎ落とし、あるいは退くことにもまた、価値がある。

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 このところ注目されているナノテクノロジー。ナノというのは大きさの単位で、10億分の1を指す。地球の直径を1メートルとすれば、1ナノメートルは1円玉程度の直径ということになるし、逆にぼくの身長を1ナノメートルとすれば、本来のぼくは月までの距離の4倍あまりの身長でそびえ立つことになる。 ナノを日本語の単位で表すなら塵(ジン)だ。なるほど、チリほどの大きさ。もっともたとえば流星塵は10マイクロメートル前後というから、ナノより桁が大きい。1万塵で1つのチリか。 小さな数は親しむことが少ない。調べてみると、分、厘、毛、糸(シ)、忽(コツ)、微、繊、沙(シャ)、塵、埃(アイ)、渺(びょう)、漠(ばく)、模糊、逡巡、須臾(しゅゆ)、瞬息(しゅんそく)、弾指(だんし)、刹那、六徳(りっとく)、虚空、清浄、と続いている。分が0.1で以下一桁ずつ下がっていくが、野球の打率表現とはずれている。後年になって0.1の桁に「割」が割り込んできたらしい。 単位をみると前半が大きさ、後半は時間に関係する漢字が多い。塵にならって沙を見れば、水辺の砂の意味だが、砂粒は2ミリから16分の1ミリまでと定義されているから、1粒は1糸メートルつまり1万沙メートルということになる。刹那とは10のマイナス18乗、指をはじいて音を立てる「弾指」より短い間。 人類が誕生してこれまで、地上に何人の人が存在したろうか。毎年8000万人が生まれる現在の状況からは過大に考えるけれど、実際にはせいぜい一千億人という。とすれば、ぼくという一人は人類にとってナノ(塵)の二つ下の桁、「渺」の単位だ。この文字、水のようにかすかで見えにくいという意。なるほど、ひとりの人間なんてわずかな存在。ただ、渺は六徳や虚空を上回る。六徳は仁や和を含むし、虚空とは仏教用語でいっさいのものが存在する空間。この小さな桁に六徳や虚空をはらむイメージは美しい。

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