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ちょっと知的な雑学&トリビア

古着

2003年12月15日 【コラム
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 子どもが生まれる前は、和服をよく着たものだった。方形の布からできているから、たたんで箱に入れてしまうことができる。洋服は身体に合わせて作られているから、ハンガーにかけることになる。この平面と立体の違いが、古着としての一生にも影響するかと、そんなことを思う。継ぎをあてるとき、和服なら四角い布をそのまま縫えばいいが、洋服だとそれではしわやたるみを作ってしまう。
 水村美苗の『本格小説』を読んでいて、お下がりの和服を選り分けるシーンに出会った。これは柄が外着にはもう向かない、寝巻きにするといったやりとり。和服はこうして第二の人生を送ることになる。また和服はいわば一枚の布なのだから、再生もしやすい。江戸時代の古着屋では「百品梱包保呂」が売られていたというけれど、これはボロ布をまとめたものだろう。祖母の裁縫箱にあった古布の数々を思い出す。それが継ぎにもなりお手玉にもなった。宝の山だった。
 洋服の場合はどうか。傷んでさえいなければ、フリーマーケットに出す人もいる。回収されたものは、海外へ多く輸出されている。海外で喜ばれるのは下着だとか。ブラジャーのように複雑なものは、しっかりした工場がないと作れない。もっとも、下着は古着に出さず切り刻んで捨てることが多いから、なかなかまとまって出ないようだけれど。
 朝岡康ニ氏の著書『古着』に、印象的な調査がレポートされていた。ある半纏(はんてん)の継ぎはぎをひとつひとつ調べたときのこと。すでにどれがもとの布でどれが継ぎかもわからないほどになったそれらをひとつひとつ見ていくと、縫い方の変化から、継ぎをあてた人が変わったことがわかったという。妻ができたか、娘が成長したか。一枚の半纏が縦糸となって、時代を重ね、人生を重ねながら継ぎがあてられていく。そういえば、小津映画など昔は家庭風景の典型だった針仕事の光景を、見かけることが少なくなった。

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4 comments to...
“古着”
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小橋昭彦

朝岡康二氏『古着』を参考にしました。水村美苗『本格小説(上)』『本格小説(下)』おもしろかったです。


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kazue

うれしいお話でした。
古布も組み合わせて出来る限りの利用をして、ベビーキルトに仕立てて病気の赤ちゃんにプレゼントしているABCキルトの会の会員です。
体にフィットするまで長0く着込んで、愛された一品は感動ものです。
私達か作るキルトも何回も洗濯して肌になじみ、その風合いを増し、赤ちゃん時代から幼児になるまで、
その心と体を守ってくれることを楽しみに仕上げています。


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tak-shonai

江戸時代までは、衣料品のリサイクルはごく当然のことだったようです。

着物は何度もほどいて縫い直し、ツギ布を当て、それでも着られなくなったら、座布団にし、その後は雑巾にして、最期には肥料にするまで徹底したようです。

最近のアパレル・リサイクルのコンセプトは “3R” と称せられます。

Reduce:無駄なものを作らない、ゴミとして出さない。
Reuse:いわゆる古着、中古衣料としての再利用
Recycle:形を変えた再利用。以下の3つに細分類されます。

マテリアル・リサイクル
綿や羊毛などの製品をほどいて繊維に戻し、再び紡績して糸にして再利用

ケミカル・リサイクル
ポリエステルなどの製品を解かしてポリマーに戻し、再びポリエステル繊維にする。(ペットボトルの再利用なども)

サーマル・リサイクル
いよいよどうしようもなくなったら、燃やしてその熱エネルギーを利用する。

ドイツのアパレル・リサイクル率は70%以上に達しているようですが、それは、教会を中心としたボランティア活動で集めた古着を、他の東欧諸国に送ることで達成されているようです。

一方、日本では、他のアジア諸国に送る輸送コストの問題などで、進展していません。東南アジア諸国では、夏物の簡単な服しか需要がないことも、日本のリサイクル率が上がらない理由になっているようです。


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石田明日香

秘密




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 あれは何の映画だったろう。ディナーテーブルの中央に猿が出され、脳をスプーンですくって食べる。そんなシーンがあったのだが。カニならともかくと思ったのは、共食い的な行為を嫌ったからだろう。もっともかにみそは肝臓だと後になって知ったわけだが。 食人、カニバリズムの習俗については、長く議論されてきた。食人を伝える航海記に、売らんがための怪しい記述が多かったせいもある。カニバリズムの語源になったカリブ族の食人はコロンブスが報告したもの。異民族との出会いには、食人のうわさがつきものだった。もっとも、ヨーロッパ人から食人者と見なされた現地の人々もまた、白人が食人のためにやってくると信じたりしたし、奴隷をとるのは食べるためともみた。 新たな研究では、プリオン病から守ってくれる遺伝子を多くの人が持っているのが、食人の結果として適応進化したためではないかと指摘されている。パプア・ニューギニアのフォレ族には、葬儀の宴で死んだ近親者を食べる習俗があったというが、そのため、致死性の脳の病気が流行した。その結果、防御遺伝子を持つものが生き残ってきたと。 ほ乳類で共食いをするものにはライオンやクロコダイルなどが知られている。2003年に入って、マダガスカルで見つかった恐竜の化石から共食いの跡が見つかって話題を呼んだ。ただ、殺しあって食べたのか、死肉をあさったのかは定かでない。厳しい自然環境が背景にあったらしい。 フェリペ・フェルナンデス=アルメストの『食べる人類誌』に、こんな引用がある。食べておいしいとされたのはフランス人、次は「嬉しいことに」イギリス人。「オランダ人はさえない味で胃にもたれるし、スペイン人は筋が多くて、煮込んだところで食べられたものではなかった」。暗く屈折して、しかしユーモアを感じないでもない。食人にまつわる複雑な感情をうかがわせる。

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 もうすぐ3ヶ月になる三男にミルクをやる。視線がしっかりしてきて、飲みながらじっとこちらを見上げている。なんて澄んだまなざしだろう。きみの凝視に値するだけの父親だろうかと弱くなる心を励まし、そうだよお父さんだよ、お父さんがミルクをあげてるよ、なんて呼びかけている。 認知心理学の山口真美氏の研究によれば、彼の月齢なら、輪郭だけだった認知が、内側にまでいくようになった頃ということになる。目や鼻が見えてきて、なんだこれはなんて思っているだろうか。表情でいえばまず笑顔を、男女でいえばまず母親を分類するともいう。悔しいので「お父さんだよ」を繰り返しておく。話しかけるとにこっと笑顔を見せる、3ヶ月微笑というやつか、それがいとしくて、また見つめる。 いや、見つめているからいとしくなるのか。認知心理学の下條信輔氏による実験はそんな疑問を投げかける。ふたつの顔を見せ、魅力的だと思う方をボタンを押して回答してもらう実験だ。視線を計測すると、ボタンを押す1秒くらい前から、魅力的と思う方を長く見つめるようになっていた。つまり、そうと意識してボタンを押す前から、視線は答えを知っていたわけ。より丸い方を選ぶといった課題ではこの現象が見られないので、嗜好と視線の関係を示している。 それならと、ふたつの画像を交互に出し、一方を長く見せるようにする。と、その長く出された方を魅力的として選ぶ人が多くなる。まさに、見つめるから好きになっている。好きになるとより見つめる、こうして人は恋心を深めていくのだろうか。 そういえばと反省する。このところ5歳の長男とは、おもちゃや絵本を介したりして、つい並行した視線で会話していなかったか。いや、そもそも日常生活で、ぼくたちはどれほど他者と見つめあっているだろう。怒ったときににらむだけでは動物と変わらない、思いやりとともに、見つめたい。

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