小橋 昭彦 2003年12月4日

 地元の集落を紹介する『中山の歩き方』という小冊子を作るため、地域内をぶらぶら歩いた。山すそや池の裏手に各家のお墓が残っている。昔は共同墓地だけではなかったんだ。
 東京の青山霊園のようないわゆる共同墓地は、パリやロンドンにならって明治以降に整備されたものだけれど、日本各地の集落に残る共同墓地は、おおむね12世紀後半以降に形成されたものだという。集落が協力して死者を弔うという風習も、その頃から生まれる。それ以前はどうしていたのか。
 弥生時代の甕に入った遺体やその後の古墳などの知識から、古くから埋葬の習慣があったのだろうと思っていたものだから、勝田至氏の『死者たちの中世』を読んで、驚いた。書籍の帯に「<死骸都市>平安京」とあるように、当時、死骸が道端に捨てられ、あるいは河原で風葬されている風景が日常にあったという。
 近所で葬式を出す習慣もないから、たとえばこんな話が残っている。夜になって長旅から帰ってきた主人が、眠っている妻の布団に入って休む。起きてみると、妻は死んでいる。驚いて隣人に尋ねると、何日も前に死んだが、家族がいないのでそのままにしていたと。身内でないと手が出せない、しかも死体とともにいると穢れるという思想がある。貧乏な家のものは死が間近になると家を出て村はずれの木の下に身を横たえて死を待ったりする。村人は「よく気のつく旦那さんだ」などと誉めるが、死んだ後に死体を処理した様子はない。木の下でそのままあったか。
 平安時代、京都中心部の貴族の家にもしばしば犬や鳥が死体の腕や脚を加えてきて、邸宅に穢れを持ち込んだという記述が残る。赤子の死体は埋葬しないのが普通で、空き地に置いたとも。命がおろそかにされていたのだろうか。いや。ここまで書いて、ようやく芥川の「羅生門」を思い出した。死骸の中でつかみ合う下人と老婆は、むしろ生への執着に満ちている。

7 thoughts on “墓地

  1. あ、それからちなみに。『中山の歩き方』ですが、在庫はあと20冊ほどです(A5版、モノクロ64ページ)。本体価格300円、送料手数料込みで600円です。地元出身の方などでご希望の方があれば、小橋まで送付先住所電話番号をお知らせください。(できるだけ近い将来に加筆して再版したいと思っています)

  2. 死体が放置された風景。
    凄惨なはずなのに、この文章を読んで、なぜか安らぐ気がしました。

  3. 死体がおろそかだから命までというのはどうでしょ
    う。
    きっと今よりリアルにあの世や霊が信じられていた平
    安時代だから、この世の残骸なんぞ枯れ葉のごとく。

  4. 人間の死体が身近にあったからこそ、
    死を身近なこととして、実感としていつも意識し、
    生への執着がリアルだったのではないかなと思います。

    現代の日本では、人間の死体をじかに見る機会も葬式くらいしかないですし、死ぬこと自体もバーチャルのように感じてしまっているのかなという気がします。

  5. すみしきさん、すずきさん、ありがとうございます。まさに、それが主旨でしたので、汲み取って読んでいただき、嬉しく思っています。

    じつは書きながら、どうしても、一度に数千の命が失われた、あの年1月17日の朝の風景を連想せずにはいられなかったのですが、どのように書けばいいかわからず、芥川の小説を思い出して、そこに思いを託したのでした。生を輝かせることが、死への弔いになると信じようと。

  6. こんにちは。はじめて此処に来ました。どれも興味深々です。
    京の化(あだし)野は有名な風葬地で、「化」という字がつくことからも、相当な光景だったと思われます。鳥部山、鳥部野もそうですがこれは鳥に屍骸を食わせていたからだそうで・・・

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