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ちょっと知的な雑学&トリビア

無次元数

2003年10月23日 【コラム
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 次元のない数というと穏やかじゃないけれど、つまりは単位のない数と考えるといい。たとえば、同じ10キロ痩せたといっても、関取の場合とぼくでは事情が違う。そこで、もとの体重を仮に100として現在と比較する。体重200キロの力士が190になったら現在は95だが、ぼくなら92になる。こうしてキロという単位をはずせば、比較がしやすい。
 比率をとるのは、無次元化する代表的な方法だけれど、流体力学を専門にしている方ならよくご存知のように、無次元数にはその他さまざまなものがあり、現在およそ60個弱が知られている。有名なのはレイノルズ数だろうか。流体の速度をそれが流れる管の直径で掛けて、粘りをあらわす係数で割る。これが大きいほど、流体は勝手にあちこちながれる、つまりは乱流を生む。無次元数にはほかにもアルキメデス数、オイラー数、フーリエ数などあり、さながら著名な数学者、物理学者のリストを眺めているよう。
 そうしたなかにストローハル数として知られる無次元数がある。周波数に長さを掛けて速度で割る。物体の後方に生じる流れを表すもので、たとえば橋脚の下流側に渦が出来る、その様子をストローハル数で説明できる。魚たちは泳ぐとき、ストローハル数が0.2から0.3という狭い範囲で最適になるようにしている。オクスフォード大学の研究チームの調査によると、鳥でも虫でもムササビでも、飛ぶときにはストローハル数を0.2から0.4というやはり狭い範囲におさめているのだとか。こうしたことから、科学者たちは、たとえ他の星で飛んだり泳いだりする生物が見つかっても、このストローハル数の範囲内にあるだろうと予測している。
 こうしてぼくたちは単位を離れ無次元数で世界を見るとき、メダカからクジラ、ハチからツルに至るまで、すべては同じ原理のもとにあることを知る。泳ぎ、飛ぶものたちの後ろにストローハル数を描き、ぼくは心の次元が、解き放たれる思いを抱く。

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10 comments to...
“無次元数”
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小橋昭彦

動物のストローハル数についての論文は、「A.NIMAL B.EHAVIOUR R.ESEARCH G.ROUP」によるものでNature425 707からに「Animal motion: Strouhal on」として発表されています。解説記事「One number explains animal flight」もどうぞ。「CFDで見る生物流れ」も参考にしてください。流体力学関係では「日本流体力学会」(及び「(旧)日本数値流体力学会」)「日本機械学会流体工学部門」などをご参照ください。無次元数については、「無次元数の世界へようこそ」にまとまっています。


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小橋昭彦

補足的に書いておくなら、無次元化することのメリットは、まさに単位にとらわれなくていいことにあります。たとえば大きな航空機の起こす気流の乱れを知りたいとき、無次元数でみていくなら、ミニチュアの実験室テストで代用できることになります。

ストローハル数は、周波数×長さ÷速度ですから、
(1/sec)×m÷(m/sec)
ですね。掛けて割ってで確かに単位は消えます。


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パカ

えっ、小橋さんて体重125キロもあるのですか?
私の計算間違いかな?


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小橋昭彦

すみません、ぼくの計算間違いです。もとの体重を100とすれば、いまは85ですね。訂正します。いやあ、いらぬ疑念を振りまいてしまいました。


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かつ

無次元量という言葉にピンと来たと同時に、懐かしく思い出されることがあります。

大学の卒業研究で、物理量をコンピュータで計算させるシステムの研究をしていました。

物理量というのは、数字+単位 のことです。

ところが、コラムにあるとおり、流体等の世界ではいろんな無次元量が存在しているため、物理量どおしの演算時に、単位が無次元量になると、いったい何をあらわす数字なのか、わからなくなるんです。
ちなみに、角度も無次元量の一種と考えられます。

で、研究では、その物理量に(物理量オブジェクト)に自分自身がどういう計算をされて、生まれてきたのかを憶えさせておいてその履歴から、推論するという方法を考えていたのです。

結局、100パーセントの物は作れませんでしたが、無次元量と闘っていた日々が思い出されました(^^)


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今日の雑学ファン

今回で999号ですよね。おめでとうございます。
でも、以前どっかのインタビューで「とりあえず1000号まではがんばります。」みたいな事を仰っていたのでビビッてます。どうか続けてくださいね。
小橋さんの文章って心があらわれます。きっとそう思っているのは私だけではないはず。


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でぇぶぅ

気が付かなかったぁ。本当ですね。
「999」って書いてある。すごいなぁ。
私がインターネットをはじめてから、どのホームページを見て良いかわからなかったとき、「雑学」からネットサーフィンをしていたころが懐かしい(^^;)。
今ネットを続けているのも「雑学」のお・か・げ。
今のうちに「おめでとうございます」「ありがとう」です。
無次元数と関係ない話でごめんなさい。
んで、もっともっとがんばって、と無責任ですけど応援していますっ!


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小橋昭彦

ありがとうございます。よくお気づきいただけましたね。千号は何のテーマにしようか、緊張気味です。

確かに、まずは目指していたところ達成ですが、やめて次といえるほどの自分をまだ持っていません。お眼汚しかもしれませんが、まだしばし、続けてまいります。これからも、よろしくお願いいたします。


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rnakaji

昆虫の飛しょうといえば理論的には飛べないハエの話を思い出します。体重、筋肉量、羽の面積から飛翔できないはずのハエが飛んでいる。自分が飛べないのを知らないのではないか、というものでした。今年飛しょうをコンピュータで解析したところ、羽の振り上げ時に渦流を作り振り下ろしの揚力を増加させていることがわかったそうです。


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maverick nomad

ありがとう。素晴らしい、よく分かりました。




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Your Comment:

 痛みは主観的なものだけに、比較するのが難しい。男と女に同じ刺激を与えて申告させる実験だと、男の方が耐える。ただ、観察をする研究者が女性だと耐えるレベルが高くなるという報告もあり、生理的というより、体面上耐えているだけともとれる。 女性のほうが痛みへの感受性が高いのは事実。同時に、香りや音楽などによる鎮痛作用も、女性への効果が高い。女性の方が痛みの起伏が激しいということになる。生理痛をはじめ機会としても多い。出産時に痛みを味わった幼児は、長じて痛みに強くなるともいうから、女性の方が痛みに慣れているということも考えられる。 そもそも痛みは、受容する段階だけではなく、それを痛みと感じる段階、さらに痛いと表現する段階がある。どこをもってその人が感じている痛みの強さとするか。最近では、痛みに強い人と弱い人では脳の対応する部分の活性度合いが違うことが発見されもした。個人差が大きいようではある。 誰かにぶたれて仕返しをするとしよう。あなたは、どのくらいの強さでぶつだろう。ロンドン大学の研究者らの実験によると、同じ強さで叩けといわれても、4割がた力を強めてしまうという。これは、脳が自分がどの強さで叩くかを考えるため、いま動いている手の処理が後回しになり、移動感覚が実際より弱く認知されるためではないかと説明されている。動きを予測する処理で手一杯で、実際の動きを過小評価しているというわけ。 米国では痛みによる経済的損失が年間10兆円を超えると見込まれている。治療費や痛みによる生産性の低下などを累計した額だ。仕返しを抑制するだけでも、世の中は変わるか。痛みの男女差や個人差も気になるけれど、まずは自らが周囲に与えている痛みについて謙虚であらねばならないと、そんなことを反省している。

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 子どもが「ブロックしよ」とせがむものだから、何日かに一度はブロックを組み立てる。H型や井型、丸型などが揃ったプラスチック玩具。「何つくろ」問うと「何でもいいで」と答える、そんなときはしばし呆然としている自分に気づく。二つ、三つ組み合わせてみるが、手もとはさまよって。子どもが飛行機なりロボットなりを作っているのを見て、ようやく「よし、お父さんもロボットだ」とスピードアップ。組み合わせが、二足歩行ロボットに、あるいは宇宙戦艦になっていく。 自由に何かを創れるほど不自由なことはない。皮肉にもそう思う。ロボットなり飛行機なりのカテゴリを与えられてようやく、ぼくは創造に移っている。それが心理学実験でも裏付けられていることを、『創造的認知』と題した書籍で知った。被験者にさまざまな形状の部品を示し、発明品を作るように指示する。部品を自由に選べるグループとランダムに抜き出した指定されたものを利用するグループがある。また、カテゴリも「家具」「武器」などから自由に選べるグループとランダムに指定されるグループがある。すると、もっとも創造的な発明品を生んだのは、部品、カテゴリとも指定されたグループだったのだ。 別の実験では、先にカテゴリが決まっていて部品を組み合わせるより、まず何も考えずに部品を組み合わせて形を作り、あとでカテゴリが指定されて、それに合う解釈を迫られたほうが、創造的な発明を多く生んでいる。まず発明に先行する形があって、後ほど与えられる解釈という物語が、創造性を生んでいるわけだ。 そういえばぼく自身、まずテーマを選び、それをどう解釈するか、どんな視点でみるかに苦心して、千篇の「物語」を届けてきたのだった。ぼくたちが今、何かを生み出せないでいるとすれば、それは制約や環境のせいじゃない。それに負けない物語力を、ぼくたちは持っている。

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