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ちょっと知的な雑学&トリビア

地球の果てまで6人

2003年8月14日 【コラム
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 ベーコン数あるいはエルデシュ数として知られる概念がある。出演した映画の共演者をたどることで何人目にケビン・ベーコンにいきつくかを表すのがベーコン数で、彼と共演していたら1、彼と共演している人と自分が共演していたら2となる。エルデシュは数学者で、この場合は論文の共著者をたどる。
 たいていの役者はベーコン数3までにおさまる。日本の役者で調べてみると、高倉健や吉永小百合、織田裕二も木村拓也もベーコン数3。吉永小百合は『千年の恋』で松田聖子と共演し、松田聖子は『アルマゲドン』でキース・デビッドと共演し、キース・デビッドは『ノボケイン』でベーコンと共演している。もっとも、だからといってベーコンがハリウッドの中心というわけではなく、おおむね誰をとったって、似たような結果になる。
 人と人のつながりは「6次の隔たり」としても知られる。1967年に行われた、社会学者ミルグラムによる実験がきっかけ。意図なく選ばれたボストン在住の株式仲買人に、やはりランダムに選ばれた人たちから何ステップでつながるか、というもの。あて先を示した手紙を160人の人に渡す。あて先の仲買人を知らない場合は、知っていそうな人に渡してもらう。結果、42通が仲買人に到達。その平均ステップ数が5.5だった。ぼくたちは誰とでもおよそ6人でつながる。届かなかったおよそ120通の手紙が無視されているが、まあそれはよしとしよう。この結果に刺激されて作られた舞台が大ヒット、『私に近い6人の他人』という映画にもなった。
 小さく狭いぼくたちの世界。ネットワーク研究のバラバシらは、細胞内の化学物質のほとんどが3つの化学反応経路によってつながっていること、30億を超えるインターネットのページも、およそ19クリックすればほとんどのページにたどり着けることを報告している。ぼくたちは、そういう、つながりの世界に住んでいる。

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11 comments to...
“地球の果てまで6人”
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小橋昭彦

ネットワーク理論については、別の視点からとりあげたいこともあるので、またコラムにする予定です。

ともあれ。ベーコン数を知りたいという方「The Oracle of Bacon at Virginia」でお遊びください。ネットワーク理論は、バラバシの著書『新ネットワーク思考』が初心者にも楽しく、また詳しいです。関連資料は「Study of Self-Organized Networks at Notre Dame」から手に入ります。日本語のコラムでは「狭い世界のネットワークとは」がわかりやすい説明。なお、エルデシュは以前コラムにとりあげたことがありましたが、とてもユニークな数学者で『放浪の天才数学者エルデシュ』に詳しいです。


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ユン

こんにちは。ユンです。いつも面白いコラム楽しみにしています。

やっちゃいました。
チョウ・ユンファで調べたらベーコン数は2。
「The Replacement Killers」(1998)でFrank Medrano(誰やねん。覚えてない)と共演し、Frank Medranoは「Sleepers」(1996)でベーコンと共演しているとのこと。つうことは、レスリー・チャンはベーコン数3かな? いやいや、彼も有名俳優とたくさん共演してるから2で行き着くかもしれません。

ついでに、雑学も手に入りました。
チョウ・ユンファは「マトリックス」のモーフィス役のオファーを断った(turned down)そうです。何ででしょうね? まあ主役じゃないですしね。

ではでは。


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marusan

誰かとつながっていたい。寂しさからか若者が良く言葉にする「みんなやってるよ!」の「みんな」の定義を調べてみたら3人以上とありました。2人で話し合ったら6人になるのかな、あながち若者の言葉は外れてはいなかった。まだまだ知らないことが沢山あります。 これからも楽しまさせていただきます。


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小林 征司

いつも配信ありがとうございます。
とても含蓄に富んだ内容で、いただいたものはすべて保存してあります。
取り上げるテーマ(対象)と文章構成そして表現すべき言語などメール発信まで大変な作業であり、深い知識が不可欠だと思います。
「ご苦労が多いだろうな」パソコンの前に座ってマウスを動かすだけで貴重なお話を受けられること深く感謝しています。
気候不順ですが呉々もご自愛のうえ、長く続けてください。ありがとうございます。


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lcf

企業人として、また個人としてもURLクリップは大変役に立っています。
また、雑学度合いはライアル・ワトソンを想起させるものです。
ベーコン数でいけば、都会でも中学や小学校の同窓会リストなどは簡単に作れそうなものですが、苦労しています。
今回のコラムは、酒の席での話としては説明する方も聞いている方も脳死に近い状態でしょうから、使えそうにありません、残念。


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小橋昭彦

みなさん、ありがとうございます。恐縮です。

そうだ、もちろん最近ではメールを経由して、という実験がありえます。チェーンメールにならないようにするのがたいへんですが、「Small World Project」では、やはり6人まで、という結果を得ています。「E-mail Study Corroborates Six Degrees of Separation」の記事をご参考に。


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kaz

いつだったか NHKで観た憶えが有ります
「ベーコン数」という名称が有ったのですね
その番組で実験をしていました
住所と名前だけの情報で辿るものだったと思います
有名な人程ベーコン数が少なく成るらしいです(当然か)
初めは全く手掛り無いように思いますが
近くの県にあの人が…程度の情報で始めるだけで
突然辿り付けて仕舞うんですね
ランダムに自由に自分の人脈をUPし
結果的に人脈図が出来上がって行くsiteも有ったような
気もしますが…
情報機関があらゆる情報を集め人脈図を作るのも
意外に容易いかも知れませんね


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画竜点睛

こんばんは。
「今日の雑学」の数年来の愛読者です。
ベーコン数、実験してみると実に面白いですね。
「変わったところを」と思い、
懐かしの成人映画女優を沢山入力して見ましたが、
みんな4以下で出てきますね。
森田健作・扇千景・アントニオ猪木なんかも
ちゃんと出てますね。
数多く試しているうちに笑ってしまったのは、
「もののけ姫」に出ていた森繁久弥・小林薫・
名古屋章経由でベーコンとつながっている日本人が
非常に多い、ということでした。
いやいや、今日は大変楽しませていただき
ありがとうございました。


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TWLBY

ベーコン数。楽しませてもらいました。
ちなみに、Number of Infinity という場合もあるのですね。 Try “Goro Noguchi”


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イトー

こんにちは.
以前、バラエティーでしたが石垣島あたりの畑仕事しているおじさんから個人的な知り合いをたどって、何人でさんまだったか紳助だったかにたどり着くかを調べていました.そのおじさんは対象の人物が何者かも知りません.結果は7人目.符合してますね.個人的にはさんま数と呼んでもいいかと.


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小橋昭彦

さんま数、ありですね。おっと、そのさんまのベーコン数がinfinityでした。全体の12%の役者は、つながっていないとあります。




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 邪視という言葉を知ったのはイスラム文化を学んでいた学生時代だった。ねたみやうらみといった邪悪な視線で見られると災いが起きると今でも信じられている。ギリシア・ローマ時代の地中海地域など広く各地で伝わってきた風習だが、日本や東アジアではそれほどみられない。 以来、視線の持つ力が心の隅にひっかかっている。先日、とある大学の研究室で、日本に衛生思想が入ってきた明治期以降の「まなざし」の力について示唆を受け、あらためて長年のひっかかりが頭をもたげたのだった。そうした視点で見直すと、サルトルもラカンも、メルロー・ポンティもレヴィナスも、まなざしをとりあげている。まなざしは、哲学の中心テーマでもあった。 スーザン・ソンタグの新しい写真論を手にとったのも、その書名が『他者の苦痛へのまなざし』だったから。写真が現実との関係において持つ可能性と限界を指摘するこの書籍の中で、印象的だった一節がある。「写真を撮ることは枠をつけること、枠をつけることは排除することである」というのがそれ。そうなのだ、現実の一瞬を定着する写真でさえ、事実を透明に伝えることはない。定着された一瞬の前後、あるいはカメラのフレームの外に、真実があったかもしれない。 美容の歴史を研究する石田かおり氏は、まなざしを変えることの重要性を指摘している。まなざしを変えるとは、一点に集中する基準を多様化し相対化すること。それを意識していないと、個人の独自性、社会の多様性が縛られていくと。 ぼくたちは、街中で気軽に写真を撮れる道具を手にするようになった。でも、写そうとしているもの、写されたものがすべてではない。現代において邪(よこしま)な視線とは、むしろ何かを見ないことから生まれるのかもしれない。たいせつなのは、何を見ているかより、何を見ていないかなのだ、きっと。

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