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ちょっと知的な雑学&トリビア

人と動物

2003年7月17日 【コラム
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 たとえばつる女房。あるいは猿婿入り。昔話には動物などとの婚姻を描いた話があり、異類婚姻譚と呼ばれている。動物が人間に化ける話が多いのは日本の昔話の特徴で、西洋にはあまり見られないという。生物学の中村禎里氏によると、『グリム童話集』でも動物が人間に変身する例はほんの数例。しかも一例を残してそれらは、魔女などによる魔法の力で動物の姿にされていた人間がもとの姿に復するという設定。カエルと結婚したが魔法が解けてみると立派な王子だったの類だ。
 口承文芸研究家の小澤俊夫氏もまた、日本の昔話におけるこの大きな特徴に注目したあと、それらの話が必ず別離で終わっていることを指摘している。たとえばつる女房では助けてもらったお礼に人間の姿になって嫁になった鶴が、もとの姿で機織をしているところをのぞかれたことで、夫のもとを去っていく。猿婿入りでは、父親を助けてもらったお礼に猿の嫁に行くことになった娘が、猿を殺して父のもとに帰ってくる。
 そこには、日本の農民の事情があったろうと小澤氏は指摘する。山からの動物と身近に接しつつ、それらに農作物を奪われないように苦心してきた人々。だから動物との対決が主題になりえた。対して欧州の昔話は、動物はコマ回しにすぎず、人と人の関係が主題になる。欧州の研究者は、動物との別離で終わる日本の昔話を、中途半端な幕切れと感じるという。欧州の物語は別離が発端で、分かれた人を探す旅が物語になる。
 このところ、わが家の蔵の脇にアナグマが大きな穴を掘り、縁の下にもぐりこんでいる。裏の畑ではタヌキの足跡が残され、山には鹿が木の皮をかじったあと。どうすれば被害を防げるか、そこには人間が優位といった思いはなく、互いの知恵が勝負。動物と人間が裏山で接していた時代のことを、しばしば思い出している。

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5 comments to...
“人と動物”
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小橋昭彦

小澤俊夫博士は現在は「小澤昔ばなし研究所」を主催されています。著書『昔話のコスモロジー』をご参考に。


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tak

動物は、去り際に歌を残したりするんですよね。

信太妻
恋しくば たづねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉

猿婿
猿川に 流るる命惜しくはなけれども 粟でもろうた嫁恋ひし

私は、本当に涙してしまいます。


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ひだか

いつも、配信されるのを楽しみにしています。
以前、祖父の家の近くの山に高速道路が通った後、猿やいのししが民家までおりて来て、農作物が荒らされて大変な被害にあったそうです。
「お互いのテリトリーを侵さないようにする」たったこれだけのことなんでしょうが、これがとてつもなく難しいことなんでしょうね。
これからも人と動物のイタチゴッコは続いていくことでしょう。
小橋家のアナグマが、速やかに本来自分のいるべき所へ帰ってくれることを祈っています。


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Gnome

知り合いに勧められて、最近ここを覗くようになりました
いつも楽しみにしています

そう言えば古事記にも、自分の正体を見られて去っていく姫がいましたね
僕の知識が偏っているからかもしれませんが、人間がタブーを犯したため、動物が去って行く話が多いような気がします
そこには、元の自然のままでは生きていけず、山や平野を切り開いてきた人間の、自責の念が込められているような気がしてなりません


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rnakaji

日本の異類婚姻譚には驚くべき物がありますね。タニシやカマキリですものね。お百姓さんが田の草取りに田圃のタニシを、枝打ちにカマキリの鎌を発想したのでしょうか。民話中に無生物が生き生きと走り回るのは日本の特異的なことなのでしょうか。さるかに合戦では栗の実はともかく臼や地方によっては牛の糞が会話してますものね。小橋さん、そういえばアナグマって狢(ムジナ)ですよね。狸と狢はでは化かされないようにお気をつけください。




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 心理学者のロバート・エイブルソンに「信念とは所有物のようなもの」という言葉がある。なるほど、ぼくたちは信念を「持ち」、「得たり」「抱いたり」、ときにはそれを「手放し」も「失い」もする。同じ心理学者のT・ギロビッチは、エイブルソンの言葉を紹介しつつ、人が自分にとって役立つ物を持つように、信念も有益だから持っていると指摘している。 この信念という所有物は、ときにガラス細工のように壊れやすかったり、自分が生きていくこととほとんど重なるほど不可欠の持ち物だったりする。たとえばロベルト・ベニーニによる『ライフ・イズ・ビューティフル』という映画。強制収容所に収容されたユダヤ系イタリア人の父は、子どもにこれはゲームだと言い聞かせる。ポイントを貯めればゲームオーバーになってうちに帰れるよと。父が子に与えた、日々を生きるための信念。 新版の出たヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を読んで、この映画で描かれている「笑い」が、必ずしも映画的誇張でないことを知る。強制収容所での体験を、心理学者の視点で回想した記録だ。どんな状況にも人は慣れることができる、と彼は書く。お前がもっともガス室行きに近いと言われて、彼は微笑む。異常な状況に似合わないと思える微笑。しかしそれは、精神を病んだためではなく、自分の心を守るために必要だったのだ。 心を、ひとつの部屋のように考える。そこには、壁にかけた絵やテーブルや椅子やカーテンのように、さまざまな信念がコーディネートされて揃っている。人はみな自分の部屋を持っている。誰も、その部屋に土足で入ってテーブルを奪ったり、花瓶を壊したりする権利はない。でも、互いの部屋を訪れることで、押入れの奥にしまいこんで忘れていた額を取り出してかけてみたり、新しいテーブルクロスを編んでみたり、自分の部屋をより磨いていくことはできる。

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 子どもが粉末状の薬をのまないものだから、初めてオブラートを購入。なるほどオブラートで包むとはよく言ったもので、おいしそうに嚥下した。第一関門突破。一般的に薬は、このあとさらにいくつもの難関を越える。胃酸に負けず胃を通り抜け、腸壁を通過して血液に入り、肝臓のフィルターをやり過ごしてようやく体の各部へ。 薬を患部に届ける工夫にはさまざまある。経口であれば、溶ける時間の違うカプセルに包んで投与したり、放出を制御する物質を混ぜたり。注射で直接血液に注入すれば確実だけれど、患者の負担が大きい。皮膚に貼るパッチや体内に埋め込むインプラント剤、点鼻薬や肺から吸入する噴霧タイプなどが、ここ20年ほどで新しく登場した。 バイオテクノロジーが進んで、これからはたんぱく質の薬も増えてくる。そうなると分子が大きいから、腸の内壁を通り抜けられない。あるいは遺伝子治療では、無毒化したウィルスを遺伝子の運び役に使うのだけれど、突然変異を起こして毒性を獲得する場合もあり、非ウィルス性の遺伝子導入剤が求められている。そんなこんなで、ドラッグ・デリバリー・システムは市場拡大が予測されており、いま注目の分野だとか。 最終的に理想とされる形のひとつは、マイクロチップを体内に埋め込み、薬物濃度をモニタリングしつつ、適量を適時に直接患部に届けるようなしくみだろう。そうしたチップの開発も進んでいるし、肺からの投与や、電気パルスや超音波を利用して皮膚からの浸透を補助する研究も進んでいる。 ふと、かつてのテレビドラマ『スタートレック』のワンシーンを思い出す。ドクター・マッコイが患者に利用する注射器のようなもの。針はない。皮膚にあてれば、しゅっという音とともに薬剤が体内に送り込まれる。たったそれだけの小道具に未来を感じた。あの番組は真に、というかリアルに未来的だったと、あらためて思い返したのであった。

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