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ちょっと知的な雑学&トリビア

一年に一光年

2003年7月07日 【コラム
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 自分たちの宇宙の年齢が定まる時代に生きていられるとは。観測衛星が取得したデータを解析した結果、宇宙の年齢は137億歳とわかったというニュース。宇宙は平らで、4%の見える物質、23%のダークマター、73%のダークエネルギーから構成されているともいう。大半は目に見えないわけで、それは何かという謎もまた生まれた。
 先だって並行宇宙について調べていて、もっとも心に残ったのは、観測可能な宇宙は一年に一光年ずつ広がっているという事実だった。ぼくたちは光が届く範囲しか観測できない。一年経てば、一光年分遠い光が届く。だから一年後には、半径一光年分、ぼくたちの宇宙は広がっている。ただ生きているだけで、ぼくたちの宇宙は広がっているという事実に、なぜか勇気づけられていた。
 そしてふと、谷川俊太郎の詩を思い出す。万有引力に、ひき合う孤独の力を重ねた詩。宇宙の広さにくしゃみをするという、無辺と日常をつなぐ終行だった。読み返して、二十億光年の孤独という題名であったことに驚く。この詩が書かれた当時、宇宙の年齢はそのくらいと考えられていたのだろう。その後推定は精度を増し、ぼくの心の中で「二十億年」も年をとっていたのだった。
 イームズの短編映像作品に「パワーズ・オブ・テン」というのがある。芝生に寝転ぶカップルを映した1メートル四方の映像が、10秒ごとに遠のいていく。10秒後に10メートル四方、20秒後に100メートル四方、都市を囲む四角、地球を囲む四角。10のべき乗で広がっていって、観測可能な宇宙をすべて含むのは何秒後か。じつは、5分も経たないのである。映像はその後逆に10分の1ごとに皮膚細胞の中に入っていく。原子にいたるまで3分近く。ぼくらを包む大宇宙と、ぼくらの抱える小宇宙をつなぐ作家の感性。
 一年で一光年広がる宇宙の中で、ぼくたちは想像力をもって、自らを広げていくことができる。天の川に恋を重ねる、今宵。

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3 comments to...
“一年に一光年”
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小橋昭彦

WMAPの観測結果については「The Age of the Universe with New Accuracy」をご参照ください。また、国立天文台の「宇宙の年齢は137億歳?!」とそこにある解説も詳しいです。宇宙論といえば、日本の「佐藤勝彦」ですね。インフレーション理論の提唱者の一人。ちなみに、宇宙膨張の効果を織り込めば、観測可能なもっとも遠い場所は約420億光年先だそうですが、宇宙の年齢との関係が実感的にわからず、コラムでは触れられませんでした。イームズの映像はDVD『EAMES FILMS』で体験できます。イームズは家具で有名ですが、映像作品も凝っています。谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」は『谷川俊太郎詩集』などに所収。お薦めです。


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ペイ

 「パワーズ・オブ・テン」、DVDで見ました。
 子供のとき、科学への扉を開いてくれた作品なので、映像が位相を飛び越えている間、自分は時間を飛び越えているような気分でした。
 一緒に見た息子(6歳)には早すぎたようです。年に1度、見せ続けようかな。
 (日本語吹き替え版は無いのだろうか。)


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あさひ

先日、一光年について、友人と考えてみました。一光年分の距離を時速100キロメートルで進んだ場合、1232.876712年掛かる、という答えになったのですが、正解でしょうか?




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 通称、アイスマン。アルプスの雪の下から、死後10年も経っていないと思われる状態で発見された。46歳、身長およそ159センチ。最後の半年に3度大病を患っている。鍼治療のあとと思われる入れ墨が、関節炎にかかったときのツボ周辺に見られる。もっともレントゲン写真では関節炎の証拠がなく、鍼治療の起源論争はひとまず延長戦。彼が命を落としたのは、実際には5300年前。 彼の最後の旅は、アルプスの南、今ならイタリアのユヴァル城があるあたりから、直線距離で15キロの歩きだった。標高差2000メートル以上の山を登り、そこで息絶える。季節は、おそらく春。こうして具体的にわかってきたアイスマンの様子に触れつつ、ひとつのことが気になっていた。靴だ。アイスマンは、皮をていねいに縫い合わせた靴を履いていた。中には草が敷き詰められている。いまから5000年以上も前に、立派な靴を履いていたという事実。二足歩行をし始めて数百万年、ヒトはいつから靴を履くようになったのか。アイスマンのように寒さよけを目的とした閉鎖型のものと、サンダルのような開放型のものでは起源が違うかもしれない。 百科事典にあたると、少なくとも紀元前2000年ごろには古代エジプトの貴族たちがシュロの葉などで作ったサンダルを履いていたとある。とすれば、アイスマンの靴は、現存する最古のものということになる。その完成度からすると、おそらくはさらに古くから靴は伝えられてきたに違いない。 アイスマンの装備は、クマの毛皮の帽子や、火打石が入った小袋などずいぶん整っている。完全装備をして、彼はどこに向かおうとしていたのか。もちろん、それが平和なものとは限らない。彼の身体からは矢じりや刺し傷のようなものも見つかっている。5300年前、彼が歩んだのはどんな世の中だったのか。それは、今とどれほど違っていたのか。

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 なんば歩き。右足を出すと右手を出す、左のときは左という歩き方と一般に解説される。江戸時代まで日本人はそんな歩き方をしていたというと、たいていの人は信じられない。確かに、意識して右手右足を同時に出そうとするとぎこちない。いっそ手は腰にあててみる。刀を支えている気持ち。その腰を、尻をおされた感じですっと前に運ぶ。すると、片方の足が前に出て身体を支える、その頃にはもう一方の足は前に動き始めている。手は振らないつもりでいるほうがいい。 歩き始めたばかりのわが子を見ていると、そもそもこうした歩き方をしていることに気付く。後ろ足で蹴って進むのではなく、倒れる力を利用して進んでいる。剣道や古武術がこの動きであることも知られている。しばしば見かける宅配便のマークにある飛脚もこの走り方。昔の人はこの動作を日常にしていたから、体をねじらず着物も着崩れなかったと言われると、そんなものかとも思う。 小田伸午博士の「二軸運動理論」を知って、なんば歩きを新しい角度から見ることとなった。身体に中心線を持ってそれを芯に動く動きに対して、両足の股関節を通る二つの軸を持つ動きを言う。現代の歩き方は中心軸歩行だけれど、なんば歩きは右軸から左軸へと移動させつつ歩く。一直線の上を歩くのではなく、二本の平行線をたどると考えると良いかもしれない。 これを野球の投手に適用した見方が新鮮だった。中心軸投法は腕の振りが胸からとなる一方、二軸だと右投手なら左股関節から右手の先までを利用して投げることになり、いわば腕が二倍長いイメージになる。サッカー選手でも二軸の動きを基本にしていると、片方の膝を抜くだけで方向を変えられるので動きがすばやい。どこかに中心があると考えるのではなく、二軸あってそれが移ろっている。それは何も運動に限ったことではなく、なにごとも、そうしてゆったりととらえた方がよさそうな、そんな気もした。

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