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ちょっと知的な雑学&トリビア

オーロラ

2001年2月08日 【コラム
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 遠近効果で、写真では山の頂にさえ届きそうに見えるオーロラだけれど、その下のヘリの高さはおよそ100キロメートル。ジャンボ・ジェット機の飛ぶ高さが10キロだから、オーロラははるかに高い。スペース・シャトルがその中を通ることさえある。
 オーロラが放電現象によって発生していると考えられるようになったのは19世紀末のこと。太陽風に起因している様子がわかってきたのは、ロケットや人工衛星を使う宇宙観測時代のたまものだ。米国が人工衛星を使ってはじめてあげた業績といえばバンアレン帯と呼ばれるエネルギーの高い放射線帯の発見だが、それもオーロラ観測がきっかけ。
 オーロラの名はローマ神話の夜明けの女神アウロラに由来する。ただ、その明るさはじつはそれほどでもなく、通常は月に照らされた雲と同程度だという。原理的にはネオン管が光るのと同種の原理だけれど、その電力はやはり桁外れで、大型の発電所の発電電力のおよそ1000倍くらいの電力が発生しているとか。
 オーロラの見られる日数は緯度によっており、日本では北海道北端でせいぜい10年に1度。欧米ではニューヨーク、ロンドン、モスクワあたりで年間10夜、サンフランシスコやパリで一年に一夜の頻度だという。
 このところさかんなオーロラ観光。昨冬は日本から1万人以上がオーロラを見にアラスカへ出かけたとか。スウェーデンなどを訪れる人もいる。オーロラ観光に訪れるのはもっぱら日本人とドイツ人だそうで、地元ではもの好きと見ているらしい(朝日1月8日)。そういわれたっていいや、やはり見てみたいよね。

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8 comments to...
“オーロラ”
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小橋

オーロラについて「アサヒビール自然科学教室」が出色。関係の深い太陽活動については、「平磯宇宙環境センター」をどうぞ。


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小橋

今日の没ネタ。短くなっている言葉の寿命(朝日1月8日)。


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Akio

2000年11末にノルウエーのトロムソで観て撮影してきました。
2/8朝日新聞朝刊の第1面にオーロラのカラー写真が掲載されていて、20秒露出とありますが、意外に動きが速いので、5秒間露出してASA800のフィルムを4倍増感現像しました。
それでもカーテン状のすそのあたりが動いて写っていました。
私のホームページにはオーロラ撮影の要領を載せてありますので、これから出かける方は参考になさって下さい。


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Akio

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aura

> その下のヘリの高さはおよそ100キロメートル。
対流圏の厚さが10kmだから、そんなところはヘリは
飛べないですよ。


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aura

ヘリとHeliのちがい。
新居移転おめでとうございます。


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小橋

下辺の、くらいの表現にしますね。


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emi

私もオーロラに憧れて見に行った一人です。
2000年3月、当初ツアー人員が6名とのことでしたが、
千歳空港で私と友人の2名だけ。それでも添乗員動向
で、個人旅行のように過ごしました。
ノルウェーのトロムソ滞在3日間の内、オーロラが出た
のは1日。でも見られたのはラッキーだったかも・・・。
やはり、地元の人は空を見上げている私たちに、どうして
こんな小さなオーロラで感激しているのか、という感じ。
大きく、色が何色にも重なっていた百科事典(小学生の時に見た)ものとは違い、ちょっぴりがっかりしたげれど、
また、もっと北極圏に近いところに行き見たいと思っている私です。そうそう、現地のガイドはドイツからの留学生
でした。トロムソにはオーロラ観測や研究の大学があり、
日本人とドイツ人のオーロラに神秘性を感じてしまう性質は似ているのかもしれませんね。




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 大相撲の取り組みを主導する行司だが、その仕事は土俵外でも番付書きから場内アナウンスまで幅広い。現在、定員は45名、定年は65歳と決まっている。 実力で番付が決まる力士と違って、ほぼ年功序列の世界。幕下以下から、十両格、幕内格、三役格とあがっていって、最高位の立行司まで。行司は江戸時代には5家あったけれど、現在は木村、式守の2家が残っている(日経1月6日)。 かつては両家で力士を呼び上げるときの軍配の握り方が違い、木村家はこぶしが上で「陰」、式守家は指が上で「陽」と呼ばれたが、現在は各自まちまち。 行司は序列によって装束などに違いがあり、軍配の房と衣装の飾り紐の色は幕下以下では青か黒、十両格で青白、幕内格で紅白、三役格で朱、立行司では木村庄之助が紫、式守伊之助が紫白。ほかにも幕下以下は素足だが十両格で足袋を履くようになり、三役格になると足袋に草履を履くなどの違いも。また立行司になると差し違いをしない覚悟で短刀を帯びる。 立行司の木村庄之助、式守伊之助というのは、いわば階級名といえるもの。落語や歌舞伎などの襲名もそうだが、こうした「名」は重い。ふと、企業も襲名制度をとればどうだろうって思う。「課長になる」じゃなく「本日から島耕作になりました」とかね。むしろ政治に向いているかな。第86代伊藤博文、とか。どうせ誰がなっても同じなのなら、せめて重い名前を背負うことで、軽い言動を封じる。

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 すごろくには盤すごろくと絵すごろく、ふたつの系統がある。盤すごろくの歴史は古く、古代メソポタミアや古代エジプトでも遊ばれていた。ツタンカーメンの副葬品にも「セネト」と呼ばれる遊戯盤がおさめられている。18歳で死去したという若きエジプト王も、すごろくに興じていたのだろう。 盤すごろくはその後も各地に伝えられ、現在でもバックギャモンなどとして遊ばれている。日本にも古くから伝えられており、689年にはすごろく禁止令が出されたりもしているが、つまりは賭博として遊ばれていたわけだ。その後賭博はさいころだけで行われるようになり、盤すごろくは純粋な遊戯盤として、江戸時代には嫁入り道具になるほど普及する。 現在「すごろく」としてイメージされる絵すごろくの方は、教材として始まったらしい。新米の僧に官職や仏名を遊びながら覚えさせるのが目的。日本では13世紀後半頃から用いられたのではないかと考えられており、当初の「官位すごろく」や「仏法すごろく」などはいずれも絵が無い。 絵の入ったすごろくは江戸時代に広まっている。人気を得たのが極楽浄土を上がりとする浄土すごろく。「永沈」というのもあって、ここにコマが来るとゲーム資格が無くなる。いまの「1回休み」の原型だ。さらに江戸時代には東海道五十三次を進んでいく道中すごろくも流行した。 その後、絵すごろくにはさまざまなバリエーションが登場、戦時中には戦意高揚を目的にしたものが現れるなど、世相を反映している(朝日1月11日)。最近では景気回復すごろくなんてのもあるけれど、現実の世は1コマも進めないうちからはや「ふりだしに戻る」と言われているようでもあり、なんだかなあ、である。

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