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安心と信頼

2003年5月29日 【コラム
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 週末は地元の若者団体主催のレクリエーション。田舎では地縁活動が今も盛んで、消防団や子ども会はもちろん、鹿などが里に降りるのを防ぐ金網を張ったりといった奉仕作業もある。多い人になると毎週のように地域の活動が入る。もっとも高齢化が進む中で、こうした地縁組織がいつまでもつのかという悩みも深い。
 社会心理学的な興味から山岸俊男博士の『安心社会から信頼社会へ』を手にとる。なかで、統計数理研究所による国民性の日米比較調査の結果が紹介されていた。たいていの人は信頼できるかという問いに、信頼できると答えたのは、アメリカ人が47%に対して、日本人は26%。日本人の方が他人を信頼していないという結果。山岸氏は、日本人は他者を信頼しているのではなく、安心社会に生きているのだと指摘している。たとえば人を裏切れば村八分になるなど、いわば世間が安心を支えていたわけで、人を信頼していたのではないと。一方アメリカでは、個人が個人を信頼するところから社会を、国を築いてきた。日本で安心社会が崩れつつある今は、むしろ信頼社会を築く好機だという指摘。
 もっとも、それには多大な努力がいることだろう。並行して読んでいた心理学者・岸田秀氏の『幻想の未来』にこんな指摘があった。アメリカ人が他者を信頼できるのは、互いに神の前に忠誠を誓っているからだと。そうした絶対なる存在がなく、人間関係を互いの基盤としてきた日本で、何によって他者への信頼を築けるだろう。
 両氏の主張については深入りしない。安心と信頼。そういえばこれまで、ふたつを明確に分けてとらえていなかった。ぼく自身は、地縁に根ざした活動をたいせつに思いつつ、志でつながれた非営利でのまちおこし活動を楽しんでもいる。おそらくは単純に何かから何かへというのではなく、これらの結びつくところに新しい価値観を生まなくてはいけないのだろうと、そんな決意を新たにした。

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9 comments to...
“安心と信頼”
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小橋昭彦

今回のコラムのきっかけになっているのが、『安心社会から信頼社会へ』。「山岸俊男」教授は、ほぼ日でも「信頼の時代を語る。」として糸井さんとの対談がありますね。シンポジウム「ネット市場における信頼」も注目。『幻想の未来』の「岸田秀」氏は唯幻論で知られますが、これはちょっと難しいかも。第一歩としては『性的唯幻論』がおすすめ。


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青山憲太郎

世の中には、重量、距離と時間などの測定に、必ず”標準原器”にもとずく「物差し」があり、何処の国で測定しても、この3つのことに起因する現象をお互いに議論し、かつ承認しあえる。アメリカと日本社会の安心原器と信頼原器の違いは、この「物差し」の違いと考えると時として日米摩擦の原因の1つになっているのかなーと考えさせられました。私も未だ克って、我が家の宗派の「日蓮上人」に宣誓をしたことがなかった事に気が付きました。


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小笠原俊一

いつも、鋭い視点のコラムに感心しています。
ものの捕らえ方にこだわりをもつ事は非常に
おもしろく、また自分の身になっていくもの
だなと実感しています。

これからも、お体に気をつけて
連載を継続してくだされば幸いです。


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yosida shouta

とても勉強になりました。そうですね。
日本人には「優しさ」なんて言うものは「冷血」と呼ばれない為に持っておく物。と本気で感じている人が沢山いるのではないか?と時々恐くなる事があります。

幼い頃拳法を習っていて、その「心得」みたいな本に書いてありました。「誰も見ていなくても、自分と神様は見ている」と・・・例え神様を考えなくても、個人の人間としての誇りやプライドと言う物は無いのだろうか?と考えてしまいます。


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高木純子

いつもはっとさせられることを分かりやすく書いておられるのに感心し、感動を覚えています。
「安心と信頼」は日本とアメリカの基本的な違いが簡潔によく説明されていています。長年企業通訳をしていますが、このような両国の基本にある違いが理解されない限り、貿易摩擦は無くならないと感じているものです。


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納得しました

十数年前にアメリカに数年住んでいたころのことです。道の反対側から歩いてきた知らないおばあちゃんが、今日はいい天気ねなんて話し掛けてきたり、ファミレスのカウンターで始めて会う人と話し合ったりなんて日常茶飯事でした。でも、こんな些細の出来事も日本では中々起こらないことです。当時も日本の方が平和でアメリカは恐い国というステレオタイプに違和感を覚えていましたが、安心社会と信頼社会という分け方は合点の行くものです。ヨーロッパでの同じ調査もあると良いですね。日本は密集社会ですから広々としたアメリカでの生活に比べ、普段の生活で他人から受けるストレスが多いと思います。単に文化面とは異なる違いが大きすぎます。


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港の洋子

意志のベクトルが同じ方向に向いているとき、強い信頼感を感じる、というのは仕事をしていてよく思うことです。逆に、合わない場合は信頼感を感じません。そういう信頼感は、集団の中で感じるのではなく、個人間で感じるものですね。安心と信頼、たしかに、この「違い」を考えたことはありませんでした。人間関係は強い信頼感で結ばれていたいと思います。毎回、考えるきっかけを与えてくださるエッセーをありがとうございます。


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小橋昭彦

みなさま、ありがとうございます。新しい気付きや考えるきっかけになったという感想はとてもうれしいです。実際にアメリカに住まれた方、両国の架け橋となっていらっしゃる方の体験談、とても参考になりました。


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真保守

日本人の昔からある用心深いという精神が人を信用できないといい、
アメリカの人を疑うことを知らない精神こそ見習うべきだと教えるその精神は、あまりにも浅はか。
人と人は元来分かり合えないもの。その中で世界一の長寿国を気付いてきた私たちはむしろ成功でしょう。
犯罪率世界一のアメリカ型社会を日本に当てはめる理由などどこにもない。
安心と安全は、他者との具合のいい距離を作りその中で形成される社会であり、これこそが犯罪を防ぐのです。
日本に必要なのは道徳教育。子供のころからきっちり道徳を教えさえすれば日本は倒れない。




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 100キロの道の始点に重さ5トンのゾウを立たせる。終点には0.000001グラムのホソバネヤドリコバチ。その間に地上の動物種を大きさの順に並べる。「生命の道」と名づけたこの印象的なたとえに、クリス・レイヴァーズの『ゾウの耳はなぜ大きい?』で出会った。最大の陸生動物ゾウから、二番目に大きなシロサイに会うまでの50キロメートル、道には何もいない。60キロのところでカバ、75キロでクロサイとキリン、90キロでラクダ、それからウマが登場。道程の大半は、こうして会う動物もまばら。大混雑するのは最後の60メートルで、何千種というげっ歯類、鳥類、ヘビ、カエル、コウモリなどなどがひしめく。 レイヴァーズは生命の道を「代謝エンジン」という視点で歩いていく。温血動物にヘビのように長いものがいないのは、球形に近くして体重に対する表面積を少なくするためと説明する。表面積が大きいと、体内で発生させた代謝熱を逃がしてしまう。逆に熱帯に住むゾウは、毛をなくしたり耳を大きくして表面積を広げ、熱を逃がす工夫をしている。 代謝熱を運ぶ血液は心臓が送り出す。ワニは平べったいから35から75ミリメートル水銀柱の力で全身に送れるのに対し、ヒトの場合100から150mmHgないと頭に血が回らない。キリンはなおさらで、300mmHgという圧力が必要になる。ただこれだけの力で肺に血を送ると肺表面の毛細血管が破裂する。ヒトの場合、心臓の右側の部屋から低い圧力で肺に送り、肺で酸素と二酸化炭素を交換した後、心臓の左側に戻る。左側は右の部屋より厚い壁でできていて、高い圧力で全身に送れる。 ちなみに、生命の道においてヒトが立つのは、残り1キロの標識が見えかける頃。動物園でゾウやカバを見て親近感を覚えているぼくたちだけれど、生命の道においては、彼らからはるか隔たり、ネズミやカエルにずっと近い。

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 ねむり衣(ぎ)とはうまく名づけたものだ。睡眠文化研究所による命名。パジャマというと特定の服装を指すし、ねまきは和風。最近ではTシャツなどを着る人も増え、さて、そうしたものを総称する適切な呼称がない。それで付けられた造語である。 ふだんあたりまえのように寝る前にねむり衣をまとい、朝には昼間の服に着替えて朝食を食べる、あらためて人はいつからそんなことをするようになったかと問われると、そういえばいつからだと不思議に思う。 睡眠文化研究所によれば、ねむり衣にはいくつかの類型があるという。多いのは昼衣型。昼間と同じ服装で寝るものだ。日本でも着所寝という言葉があるように、昼間と同じ服で寝ていた時代があった。ついで、昼間着ている服から上着だけ脱いで寝る下着型がある。これは上着と下着が区別されていないといけないから、少し発展形。裸型というのもある。エロティックな意図ではない。フランスでは今も多いというが、中世ヨーロッパでは裸型が主流だった。下水施設が無いなど街は不潔だったとされるから、昼間の服のままでは臭かったということかもしれない。身体は裸でも、かつらを脱いだ頭には布を巻いているのが興味深い。いわゆるナイトキャップ。 日本はねむり衣型。江戸時代に浴衣が主流になり、戦後はパジャマが多くなる。発祥はインド。ウルドゥー語でパは足、ジャマは衣服。足の裾を絞ったゆったりした服だ。これがヨーロッパにもたらされてねむり衣となり、日本に伝わる。阪神淡路大震災以降、日本ではスポーティウェアで眠る人が増えている。そのままコンビニにも出かけてしまう、こうなると果たしてそれはねむり衣か。 このところ、寝ないことを誇るような風潮があるのはちょっと寂しい。ふっくらした布団に入り、眠りを迎える前の豪華な時間。昼間の活動を延長するあまり、眠りまでコンビニエントになってはもったいない。

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