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ちょっと知的な雑学&トリビア

行司

2001年2月07日 【コラム
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 大相撲の取り組みを主導する行司だが、その仕事は土俵外でも番付書きから場内アナウンスまで幅広い。現在、定員は45名、定年は65歳と決まっている。
 実力で番付が決まる力士と違って、ほぼ年功序列の世界。幕下以下から、十両格、幕内格、三役格とあがっていって、最高位の立行司まで。行司は江戸時代には5家あったけれど、現在は木村、式守の2家が残っている(日経1月6日)。
 かつては両家で力士を呼び上げるときの軍配の握り方が違い、木村家はこぶしが上で「陰」、式守家は指が上で「陽」と呼ばれたが、現在は各自まちまち。
 行司は序列によって装束などに違いがあり、軍配の房と衣装の飾り紐の色は幕下以下では青か黒、十両格で青白、幕内格で紅白、三役格で朱、立行司では木村庄之助が紫、式守伊之助が紫白。ほかにも幕下以下は素足だが十両格で足袋を履くようになり、三役格になると足袋に草履を履くなどの違いも。また立行司になると差し違いをしない覚悟で短刀を帯びる。
 立行司の木村庄之助、式守伊之助というのは、いわば階級名といえるもの。落語や歌舞伎などの襲名もそうだが、こうした「名」は重い。ふと、企業も襲名制度をとればどうだろうって思う。「課長になる」じゃなく「本日から島耕作になりました」とかね。むしろ政治に向いているかな。第86代伊藤博文、とか。どうせ誰がなっても同じなのなら、せめて重い名前を背負うことで、軽い言動を封じる。

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4 comments to...
“行司”
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小橋

行司について、やはり「日本相撲協会」でしょうね。


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小橋

今日の没ネタ。顔は、まず口ができて周囲が発達(日経1月7日)。バチカンのサンピエトロ大聖堂、25年に一度開く「聖なる扉」(朝日1月7日)。


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ながさわ

「『襲名』ってなんで『名』を『襲う』のだろう?」と時々思ってました。で、今回のネタでまたその疑問がわきかえり、調べてみました。

『襲』の字、龍の衣ですが、龍の衣はもちろん(?)鱗。鱗はそれぞれが重なるように龍の身にまとわれています。で、それが次代へと延々と受け継がれる……って意味になっているそうです。
だから、襲の字には、おそうの他に『かさねる』『つぐ』と読みがあるようです。

つまり、襲名は名を襲うのではなく、名を継ぐことなんですね。

って、皆さん的には常識だったのでしょうか!?


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NPO法人 行司

はじめまして
この度、熊本県で特定非営利法人(NPO) 行司を立ち上げました、塘居(トモイ)と申します。
相撲宗家 吉田司家の史実を基に、大変微力では有りますが郷土熊本の発展に少しでも寄与していきたい・・・
そう想い、日々活動しています。
ただ今、サイトを拝見させて頂き、大変興味深く読ませていただいています。
これからも、更新を楽しみにしています。
まずは、ご挨拶まで・・・・・
【 特定非営利活動法人(NPO) 行司 】
■熊本城と相撲文化の情報発信のブログです。
現在の横綱制度って熊本城の本丸御殿の九曜【くよう】の間で生まれた話、ご存知でした?
実話ですよ!いまでも記録が残ってます。(旧司邸に所蔵分)NPO行司の日々の活動や
熊本の相撲文化(行司)と熊本城の歴史を、史実に基ずき正確にお伝えしていきます。                                 
 ■住所:熊本市長嶺西1丁目6?88 ザ・クレイン102号                                 
TEL:096?213?1070  FAX:096?213?1080                            
◇理事 塘居 輝也(ともい てるや)  
   連絡先【携帯】090?3736?0125                               
   E?mail gyouji-oikaze48@vesta.ocn.ne.jp
□現在、司家と日本相撲協会との関係は、諸般の事情により、
  儀式の中断になっておりますが、私たちは、1日も早い復縁をめざし、鋭利努力して行きます。




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 抹茶、緑茶、紅茶とお茶にはさまざまあるけれど、いずれもルーツは中国。チャ樹の原産は雲南省だとされる。ただ、文化として育っていったのは武陵山(ぶりょうざん)と考える方がいいようだ。 茶はもともとは食用にされていたと考えられ、茶葉をすりつぶして飲む抹茶はいわば原型に近い楽しみ方。 日本に喫茶の習慣が伝えられたのは平安初期のことだが、ヨーロッパへはずっと遅く、17世紀のこと。オランダ東インド会社が運んだ緑茶がはじめだ。これがオランダからフランス、イギリスへと伝えられる。現在では紅茶で知られるイギリスも、18世紀はじめ頃は緑茶に砂糖とミルクを入れて飲むのが主流だった。 茶の伝播は言葉にも残っており、英語のティーは東インド会社が伝えたオランダ語の「テー」に由来する。現代中国の標準漢語音では茶は「ツァ」だが、「テー」は福建南部の方言。これが海路欧州へと伝わったわけ。 ロシアやペルシアでは「チャイ」が知られるが、こちらは古代中国で茶の音を「ツァイ」と言っていたのが、陸路そのまま伝わったと考えられる(日経1月6日)。ちなみにフィンランドはロシアと接しているけれど、「チャイ」ではなく「テー」だから、陸路ではなく欧州経由らしい。 文化は、言葉とともに広がっていく。いや、言葉が文化を伝えるのでもあろうけれど。

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 遠近効果で、写真では山の頂にさえ届きそうに見えるオーロラだけれど、その下のヘリの高さはおよそ100キロメートル。ジャンボ・ジェット機の飛ぶ高さが10キロだから、オーロラははるかに高い。スペース・シャトルがその中を通ることさえある。 オーロラが放電現象によって発生していると考えられるようになったのは19世紀末のこと。太陽風に起因している様子がわかってきたのは、ロケットや人工衛星を使う宇宙観測時代のたまものだ。米国が人工衛星を使ってはじめてあげた業績といえばバンアレン帯と呼ばれるエネルギーの高い放射線帯の発見だが、それもオーロラ観測がきっかけ。 オーロラの名はローマ神話の夜明けの女神アウロラに由来する。ただ、その明るさはじつはそれほどでもなく、通常は月に照らされた雲と同程度だという。原理的にはネオン管が光るのと同種の原理だけれど、その電力はやはり桁外れで、大型の発電所の発電電力のおよそ1000倍くらいの電力が発生しているとか。 オーロラの見られる日数は緯度によっており、日本では北海道北端でせいぜい10年に1度。欧米ではニューヨーク、ロンドン、モスクワあたりで年間10夜、サンフランシスコやパリで一年に一夜の頻度だという。 このところさかんなオーロラ観光。昨冬は日本から1万人以上がオーロラを見にアラスカへ出かけたとか。スウェーデンなどを訪れる人もいる。オーロラ観光に訪れるのはもっぱら日本人とドイツ人だそうで、地元ではもの好きと見ているらしい(朝日1月8日)。そういわれたっていいや、やはり見てみたいよね。

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