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茶の伝播

2001年2月06日 【コラム
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 抹茶、緑茶、紅茶とお茶にはさまざまあるけれど、いずれもルーツは中国。チャ樹の原産は雲南省だとされる。ただ、文化として育っていったのは武陵山(ぶりょうざん)と考える方がいいようだ。
 茶はもともとは食用にされていたと考えられ、茶葉をすりつぶして飲む抹茶はいわば原型に近い楽しみ方。
 日本に喫茶の習慣が伝えられたのは平安初期のことだが、ヨーロッパへはずっと遅く、17世紀のこと。オランダ東インド会社が運んだ緑茶がはじめだ。これがオランダからフランス、イギリスへと伝えられる。現在では紅茶で知られるイギリスも、18世紀はじめ頃は緑茶に砂糖とミルクを入れて飲むのが主流だった。
 茶の伝播は言葉にも残っており、英語のティーは東インド会社が伝えたオランダ語の「テー」に由来する。現代中国の標準漢語音では茶は「ツァ」だが、「テー」は福建南部の方言。これが海路欧州へと伝わったわけ。
 ロシアやペルシアでは「チャイ」が知られるが、こちらは古代中国で茶の音を「ツァイ」と言っていたのが、陸路そのまま伝わったと考えられる(日経1月6日)。ちなみにフィンランドはロシアと接しているけれど、「チャイ」ではなく「テー」だから、陸路ではなく欧州経由らしい。
 文化は、言葉とともに広がっていく。いや、言葉が文化を伝えるのでもあろうけれど。

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5 comments to...
“茶の伝播”
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小橋

茶については、「お茶街道」「お茶をめぐる百科事典」「お茶の来た道」などをどうぞ。


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小橋

今日の没ネタ。アホウドリの繁殖地は世界でもイースタン島と尖閣諸島、小笠原諸島だけ(朝日1月16日)。


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村田 尊彦

何でも、ヨーロッパに茶が伝播するまでは、昼間っからワインを飲んでいたため、酔っぱらってしまって、仕事の効率が悪かったらしい。紅茶が一般的になって、やっとシャキっとしたワケだ。


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岸本保

>現代中国の標準漢語音では茶は「ツァ」だが、

現在の普通話(中国の標準語)では、cha2(2は上がり調子となる声調第2声)と発音します。
カタカナでは「チャー」と書いて、しり上がりに発音するとそれっぽくなります。(本当は巻舌音かつ有気音ですので、日本語のチャーとはだいぶ違う発音なのですが。)


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小橋

喫茶文化を日本にもたらしたのは鎌倉時代の僧、栄西だという話もあります。嵯峨天皇の時代にお茶が日本に伝えられ上流階級の間でブームの様相となったものの、チャ樹は日本に根付かず、300年ほどの空白を経て、栄西があらためて日本に普及させたわけです。そういう意味では、現代に続く喫茶文化のルーツは栄西といえます。




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 京都の北野天満宮では、年始のそろばんのはじき初めが恒例行事となっている。2001年は長さ5.5メートル、珠(たま)の数2000個という世界一の長尺そろばんが奉納された(朝日1月6日)。 そろばんにはどこか東洋のものというイメージがあり、語源も中国語の「算盤(スアンパン)」とされる。確かに中国でも紀元前から珠を使った計算が行われていたが、同様の手法は古く紀元前3000年以上前のメソポタミアや古代ローマでも知られている。別々に進化したのか、どちらかから伝来したのかはわからない。 日本へは室町時代までに中国から伝わっていたことが知られている。現在残る最古とされるのが1592年、加賀百万石の大名藤田利家が陣中で利用したといわれるそろばん。縦7センチ、横13センチ。上にある5の珠がふたつ、下の1の珠が5つのいわゆる「中国そろばん」だ。 じつは、現在のような5珠ひとつ、1珠4つのそろばんは歴史が浅く、昭和10(1935)年の小学校教科書改訂がきっかけ。日本の位取りにあった珠の数をということだった。 中国そろばんで5珠がふたつあるのは、1斤が16両だったことから、1桁で15までおけた方が便利だったからのようだ。あるいは、ロシアそろばんでは珠が4つしかない串がある。4分の1ルーブルなどの位取りのためだという。 国や時代が違えば珠の数も変わる。常識にとらわれていちゃあいけない。ものごとを眺めるときは、ごはさんで願いましては、でいこう。

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 大相撲の取り組みを主導する行司だが、その仕事は土俵外でも番付書きから場内アナウンスまで幅広い。現在、定員は45名、定年は65歳と決まっている。 実力で番付が決まる力士と違って、ほぼ年功序列の世界。幕下以下から、十両格、幕内格、三役格とあがっていって、最高位の立行司まで。行司は江戸時代には5家あったけれど、現在は木村、式守の2家が残っている(日経1月6日)。 かつては両家で力士を呼び上げるときの軍配の握り方が違い、木村家はこぶしが上で「陰」、式守家は指が上で「陽」と呼ばれたが、現在は各自まちまち。 行司は序列によって装束などに違いがあり、軍配の房と衣装の飾り紐の色は幕下以下では青か黒、十両格で青白、幕内格で紅白、三役格で朱、立行司では木村庄之助が紫、式守伊之助が紫白。ほかにも幕下以下は素足だが十両格で足袋を履くようになり、三役格になると足袋に草履を履くなどの違いも。また立行司になると差し違いをしない覚悟で短刀を帯びる。 立行司の木村庄之助、式守伊之助というのは、いわば階級名といえるもの。落語や歌舞伎などの襲名もそうだが、こうした「名」は重い。ふと、企業も襲名制度をとればどうだろうって思う。「課長になる」じゃなく「本日から島耕作になりました」とかね。むしろ政治に向いているかな。第86代伊藤博文、とか。どうせ誰がなっても同じなのなら、せめて重い名前を背負うことで、軽い言動を封じる。

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