ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

そろばん

2001年2月05日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 京都の北野天満宮では、年始のそろばんのはじき初めが恒例行事となっている。2001年は長さ5.5メートル、珠(たま)の数2000個という世界一の長尺そろばんが奉納された(朝日1月6日)。
 そろばんにはどこか東洋のものというイメージがあり、語源も中国語の「算盤(スアンパン)」とされる。確かに中国でも紀元前から珠を使った計算が行われていたが、同様の手法は古く紀元前3000年以上前のメソポタミアや古代ローマでも知られている。別々に進化したのか、どちらかから伝来したのかはわからない。
 日本へは室町時代までに中国から伝わっていたことが知られている。現在残る最古とされるのが1592年、加賀百万石の大名藤田利家が陣中で利用したといわれるそろばん。縦7センチ、横13センチ。上にある5の珠がふたつ、下の1の珠が5つのいわゆる「中国そろばん」だ。
 じつは、現在のような5珠ひとつ、1珠4つのそろばんは歴史が浅く、昭和10(1935)年の小学校教科書改訂がきっかけ。日本の位取りにあった珠の数をということだった。
 中国そろばんで5珠がふたつあるのは、1斤が16両だったことから、1桁で15までおけた方が便利だったからのようだ。あるいは、ロシアそろばんでは珠が4つしかない串がある。4分の1ルーブルなどの位取りのためだという。
 国や時代が違えば珠の数も変わる。常識にとらわれていちゃあいけない。ものごとを眺めるときは、ごはさんで願いましては、でいこう。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

6 comments to...
“そろばん”
Avatar
小橋

そろばんについては、まずは「日本珠算連盟」を。産地播州より「そろばん」「播州そろばん」を、また「トモエそろばん」「そろばん」も充実。「大津そろばん」についてはこちら。


Avatar
小橋

今日の没ネタ。ロンドンのショッピングセンターに「託夫所」(朝日12月28日)。ヨーロッパの門松にあたる、ヤドリギの枝(日経1月5日)。


Avatar
やす

・加賀百万石の大名藤田利家
       ↓
・加賀百万石の大名前田利家

ですね。きっと(あまり歴史は詳しくないのですが)。
金沢出身者です。


Avatar
小橋

ごめんなさ0い、そのとおりです。前田利家、です。訂正いたします。


Avatar
奥村

返信メールありがとうございました。
今後も今まで以上にがんばってください。
私も勉強になりますので、今後も拝見さして頂きます。


Avatar
奥村

返信メールありがとうございました。
今後も今まで以上にがんばってください。
私も勉強になりますので、今後も拝見さして頂きます。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 腕時計のもととなる機械式の時計がいつできたか、明確ではない。およそ700年から800年前ともいわれている。もちろん、当時はとても持ち運べるようなものではない。携帯できる時計はというと、16世紀はじめ、ピーター・ヘンラインが作ったのがはじめという。直径10センチあまり、厚み75ミリというから今でいうと目覚し時計くらいか。 腕時計が本格的に作られるようになったのは第一次世界大戦の前。日本で最初の腕時計が作られたのは大正時代のはじめ、1913年のこと。その頃、世界ではおよそ3500万個の腕時計が作られていたという。 日本の機械式時計といえば、江戸時代は和時計という日本独特のもの。当時は不定時法というのが用いられていて、日の出と日没によって昼と夜に分け、それぞれを6等分する測りかた。季節によって時間の長さが変化していた。江戸の時計師らはこれに対応して昼間と夜間で違う時間の長さを測れる時計を作っていたわけで、技術はなかなかのもの。 いま、世界における腕時計の生産量は年間およそ12億4000万個。うち日本メーカーによるものは半数強だという。携帯電話の普及で時刻は電話で見るようになり、腕時計の生産は縮小傾向。とはいえ、一方で復刻版の時計には人気が集まってもいる(日経12月27日)。 違う時間の長さにも対応した日本の時計師だけれど、消費者の心は測りづらいようだ。

前の記事

 抹茶、緑茶、紅茶とお茶にはさまざまあるけれど、いずれもルーツは中国。チャ樹の原産は雲南省だとされる。ただ、文化として育っていったのは武陵山(ぶりょうざん)と考える方がいいようだ。 茶はもともとは食用にされていたと考えられ、茶葉をすりつぶして飲む抹茶はいわば原型に近い楽しみ方。 日本に喫茶の習慣が伝えられたのは平安初期のことだが、ヨーロッパへはずっと遅く、17世紀のこと。オランダ東インド会社が運んだ緑茶がはじめだ。これがオランダからフランス、イギリスへと伝えられる。現在では紅茶で知られるイギリスも、18世紀はじめ頃は緑茶に砂糖とミルクを入れて飲むのが主流だった。 茶の伝播は言葉にも残っており、英語のティーは東インド会社が伝えたオランダ語の「テー」に由来する。現代中国の標準漢語音では茶は「ツァ」だが、「テー」は福建南部の方言。これが海路欧州へと伝わったわけ。 ロシアやペルシアでは「チャイ」が知られるが、こちらは古代中国で茶の音を「ツァイ」と言っていたのが、陸路そのまま伝わったと考えられる(日経1月6日)。ちなみにフィンランドはロシアと接しているけれど、「チャイ」ではなく「テー」だから、陸路ではなく欧州経由らしい。 文化は、言葉とともに広がっていく。いや、言葉が文化を伝えるのでもあろうけれど。

次の記事