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ちょっと知的な雑学&トリビア

蚊との闘い

2002年11月25日 【コラム
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 蚊について書いたところ、西ナイルウィルスが心配ですねと投稿をいただいた。米国で社会問題になっているとも聞く。ちなみに米国が蚊による伝染病の危機にさらされたのはこれが初めてではない。かつて黄熱病に襲われた時の記録は、いまも公衆衛生上の大事件として残る。1793年、フィラデルフィア。夏の間に猛威を振るった流行病は、5万5000人の住人のうちおよそ5500人の命を奪う。じつに10人に1人。
 当時は黄熱病を伝染させるのが何か、わからなかった。蚊は一生に一回しか人を刺さないと信じられていた。蚊が病気を媒介するという説を唱えたベネズエラの研究者が狂人扱いまでされているほど。
 蚊と病気のつながりを最初に発見したのは、象皮病を追っていた英国のパトリック・マンソン。1875年に死体からフィラリアを発見、さらにフィラリアを血中に持つ庭師に蚊のいる部屋で眠らせ、彼の血を吸った蚊の中からフィラリアを発見する。もっとも彼も蚊は二度も人を刺さないという常識にとらわれていたため、蚊の死骸が飲み水に落ちるなどして感染するのだろうと結論付ける。
 その後蚊と感染症の関係はマラリアの研究で進展を見せる。1880年、フランスの軍医ラブランがマラリア原虫を発見。1897年に英国のロナルド・ロスが蚊がマラリアの運びやであることを発見する。ちなみに当時はといえば、ノーベルが1896年に死亡、史上最高額の賞金のついた賞を創設すると彼の財団が発表した時期。誰が発見者かをめぐって確執があった様子。先陣争いならともかく、愛憎うずまく人間模様。最終的に第2回の医学・生理学賞をロスが単独受賞しているが、もともとは共同受賞者の名があったともいう。
 蚊と人類の長い闘い。その裏では人間同士もけっきょくは争っていて、なんだかちょっと哀しくもなった。

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3 comments to...
“蚊との闘い”
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小橋昭彦

参考書として『蚊はなぜ人の血が好きなのか』を利用しました。蚊については前回のコラム「蚊と注射針」とそれに関連しての投票「あなたは蚊に刺されやすいタイプ?」もどうぞ。また、マラリアについては「マラリアについて」「マラリア (malaria)」などを。切手で追う「マラリアの研究者達」という視点もどうぞ。


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萩野 瑞

今日の記事と関係がないことで恐縮ですが、いまアフリカは干ばつのため食糧危機にあります。それで考えるのですが、かつて日本でも雨乞いをし、雨を降らせる研究もなされました。いま、雨を降らせる研究、技術のレベル、実態はどういう状況にあるのでしょうか。小橋先生の広汎な知識の一端をお教えいただくことができれば、まことにさいわいです。アフリカで少しでも人工的に雨を降らせたいと願っています。
(なお、現在私はボツワナに住んでいます。)


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小橋昭彦

荻野さん、ボツワナからありがとうございます。

先生は必要ないですよ、どうぞお気軽に。降雨研究ですね。そういえば最近はあまり耳にしません(緑化についてはときどき見かけるものの)けれども、心に留めておきます。




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 創刊号の復刻版につられて購入した現代用語辞典。1948年版というから、戦後3年目。内閣用紙割当の都合で語数を減らしたとある。時代の空気を想像しつつページを繰る。と、政治用語の解説に「複雑怪奇、臣道実践、承諾必謹などという政府の造語は」とあって手を止めた。複雑怪奇が政府の造語とは。 調べてみると、なるほど、1939年に組閣された平沼騏一郎内閣が、独ソ不可侵条約の締結を受けて「欧州情勢は複雑怪奇」と声明を出して辞職している。当時の流行語というから、吉田茂の「バカヤロー」並みか。知っておくべきだった。 さらに復刻版を眺めていくと、1946年にチャーチルが使って広まった「鉄のカーテン」という言葉もはや収められている。冷戦時代を象徴するこの言葉、ぼくが10代の頃まではナマの手触り感があったけれど、いまでは死語になったと感慨にふける。 野球用語では「リード・オフ・マン」が項目にあげられており、説明文に「トップ・バッターともいう」とある。その後はむしろトップ・バッターが一般的に知られ、リード・オフ・マンは、イチローが大リーグに挑戦してあらためて日本に定着した気もするのだが。 Planetを東京大学系では「惑星」、京都大学系で「遊星」と呼ぶともある。いま一般には惑星の方が使われるが、これはその後の研究の流れと関係があるのかどうか。 そういえば明治時代はじめの学生は「自由」「義務」なんて新漢語をかっこよさげに使っていたそうだし、いまではIT革命などと普通に使われる「革命」も、時代によっては生臭いイメージがあったろう。言葉は時代とともにあり、日々新しい。新聞だけでも毎日10前後の新語が見つかるというから、若者だけではない、大人だって新しい言葉を利用したがるわけだ。 言葉は、概念や認識とともにある。言葉の乱れを嘆くのも無益ではないけれど、怖いのは、言葉を否定することで、その言葉で伝えようとする思いまで封じることなんだろうな。

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 コニー・ウィルスの『航路』を読む。臨死体験を科学的に追った小説だ。ぼくたちの認識と脳はどう関係しているのだろうと思いつつ、夜明けまで読みふけっていた。今年のベストのひとつ。こんなときは時間が短く感じられる。 物理学的には時間に「流れ」はないと科学誌の特集にあって、はっとする。時間が対称でないのは熱力学の第二法則「エントロピーは増大する」などから導かれるが、それとて時間の矢があるというだけのことで、矢が飛んでいることを示してはいないと。北を向く方位磁石が南から北への移動を意味していないのと同じ。 それでも、ぼくたちは時間の流れを感じる。それは、ぼくたちの心が生み出した幻想であるという。たとえば過去を覚えている、その過去と今が違うから流れを感じているだけかもしれない。時の流れは物理学的な説明ではなく、心理学、あるいは神経生理学に求めるほかなくなる。もしくはぼくたちの文化や言語の中に。 たとえば神経生理学。デューク大学のメック教授によれば、ぼくたちの脳には、インターバルタイマーと呼ばれるストップウォッチがある。独自のテンポで発火するニューロンが関係しているらしい。ストレスに関係するホルモンはインターバルタイマーの進み方を速くする。だから、ストレスのある状況ではほんの一瞬が長く感じる。 たとえば文化。社会心理学者のレヴィーンが、国ごとの時間感覚を調べている。都会の歩道を歩くスピード、郵便局員が切手の注文をさばく時間、公共時計の精確さの3つの指標で調べたところ、日本はもっともペースの速い国のひとつ。一方遅い国にはブラジルやインドネシア。 時間の流れは一定のように考えがちだけれど、このように人が置かれた状況や文化の違いによって、さまざまな速さの時間が、この地球上で流れている。よどんだり急に速くなったり。ウィリスの『航路』は、ぼくをすばやい流れに乗せて、夜明けまで運んでくれたわけだ。

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