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癒しの由来

2002年10月28日 【コラム
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 龍安寺の石庭が人の心をひきつける秘密は「木」にあるという研究発表を、興味深く読む。石庭を見るとき、人は脳裏に石の間を縫うようにして伸びる木の枝を思い描いているのだという。左右対称に伸びた枝は、もっともよい鑑賞位置とされている箇所で一本の幹になる。
 研究チームの一員、京都大学の江島義道教授によると、落ち着く空間には5つの法則があるという。「対称性」「距離感」「動き」「バランス」「子ども時代の慣れ」だ。こたつに入ると落ち着くのは、まさにこれかなと連想する。部屋の中央に置かれるから対称性を実感するし、立ったときより天井や壁との距離感が出る。寒い日常から座ってぬくもるわけだから生活のバランスがとれるし、子ども時代の郷愁もある。動きはないけれど、たいていは別の辺に誰かが入っていて、みかんを食べたり縫い物をしたりして、動いている。
 フィボナッチ数列というのがある。1、1、2、3、5、8、13、21、34と続く。5と8を足して13というように、隣り合う数字を足して次にくる数字を作る。数学の時間に松ぼっくりのかさを数えたりしただろうか。右回りに8個ずつ、左回りに5個ずつのらせん状に組み合わさっている。花の花弁の数、ひまわりの種のつき方、巻貝のまき方など、フィボナッチ数列は自然界にしばしば見られる。
 さて、フィボナッチ数列といえば黄金分割。数列の隣り合う数字を割り算する。13を8で割ると1.625、21を13で割ると1.615。どこをとっても似たような数字になる。すなわちこれ、黄金比。比率が1対1.618になっている長方形はもっとも調和がとれているとされ、ミロのヴィーナスをはじめ芸術品にも見られると言われる。黄金分割は、自然の中にフィボナッチ数列として隠れているともいえる。
 石庭に木を幻視し、美術品に自然を見る。それらが癒しを与えてくれるとするならば、きっとぼくたちの根っこがどこにあるのかを教えてくれているのだろう。

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5 comments to...
“癒しの由来”
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小橋昭彦

江島教授」らの研究は「Nature 419 359」に発表されています。自然界に見られるフィボナッチ数列については「枝分かれはフィボナッチ数列」「生き物と数」「芸術・自然と数学の融合」などで事例をどうぞ。黄金分割の事例については「形・・・比例」などで、「展翅と黄金分割」もおもしろいですね。


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さくら

庭園が好きなので今回のコラム楽しく読ませて頂きました。5つの法則、「対称性」「距離感」「動き」「バランス」「子ども時代の慣れ」は興味深い理論ですね。ただ、石庭はどうも、対象性には欠けてるような気がします。距離感も個々違いそうだし・・絶対美?の追求は興味深いです。


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小橋昭彦

さくらさん、ありがとうございます。

>石庭はどうも、対象性には欠けてるような気がします

そこが、今回の研究のポイントなのです。一見無法則に見える石の配置を、大きさも考慮しつつ解析したところ、石の間を縫うように、右に2分かれ、左に2分かれと対称的に枝を伸ばす木が描かれるというわけで。そうした対称性のある木を描くことで、石庭に落ち着きを感じている、という発表でした。


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太郎

落ち着く空間の法則の中に「子ども時代の慣れ」という言葉が出てきて、なんとなくほっとしました。目が、耳が、体が覚えているのでしょうね。私も時々子ども時代の頃に思いをはせる時があります。決まって出てくるのは、家の庭の石や木々たちです。そして、そこで起こった様々なシーン。きっと私の根っこは自然・家族・地域を含めた生まれ育った環境なのでしょう。でも、それが癒しのひとつになるなんて、今まで気づきませんでした。今日のコラムはとても興味が惹かれました。自分を考える時間を与えてもらって、得した気分です。


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鶴 喜久

いつも素晴らしいコラム、楽しみに読ませて頂いております。
フィボナッチ数列、無味乾燥な数字の世界と思っておりましたが、黄金分割と関係あるのですね。
私はどうもワイドTVの画面の縦横比が馴染めないのですが、これに関係あるのでしょうか。
それと、最近フィボナッチ数列が証券業界で使われているようです。なんでも株価の戻り率と関係があるようですが、これまた超非情な世界が、数列と関係があるのでしょうか。

ご教授願えれば幸甚です。




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 手術をして後、しばらく身体を動かせない状態にあった父を見ながら、念動力を使えたらと考えたものだった。念動力、あるいはサイコキネシス。今はあまり使われない言葉だろうか、子どもの頃は超能力ブームもあって、ずいぶんあこがれたものだが。 それはともあれ、念動力。念じただけで物が動かせる力である。SFの世界の話かと思っていたら、科学の進歩は、それに近いことなら実現できるところまで来ているのだった。たとえば、アリゾナ州立大のアンドリュー・シュワルツ教授の研究。サルの脳に電極をつけ、信号を取り出してコンピュータ処理する。サルは、腕を固定されていても、コンピュータ画面上の立体画像の中にあるカーソルを移動することができた。たとえば、デューク大のミゲル・ニコラウス教授の研究。サルが物を食べようと腕を動かすときの脳内信号を、1千キロ離れた場所まで送って、ロボットアームを動かした。送信にはインターネットを利用しているから、途中を無線化すれば、まさに念動力でロボットを動かしている感じ。米国の研究者ばかりではない。広島大学の辻敏夫教授も、脳からの信号を読み取って動く義手の開発を行っている。 少し話はそれるけど、そろばん熟練者の暗算に同様のはたらきがみられる。そろばん熟練者は暗算のとき頭の中のそろばんをはじくといわれる。暗算時の脳内のはたらきを比較すると、通常の人の場合は言語処理に関わる部分がよく動く一方で、そろばん熟練者は視覚運動をつかさどる脳がはたらく。まさに、バーチャルなそろばんが脳の中に構成されているということだろう。 こうした脳内の動きを取り出せれば、念じただけでそろばんを動かすこともできるに違いない。ハンディキャップを補うツールとして期待できるし、ネットで伝えれば、世界中に自分の身体を延長することもできる。痛覚も持てれば、地球の気持ちを味わえるかもしれないが。

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 カーネギーメロン大学のホルト助教授によると、世界中の言語を集計すると、少なくとも558の子音と260の母音、51の二重母音があるのだという。半年を過ぎた頃の乳児は、これらすべての音素を区別できる。その後、第一言語にあわせて分類しなおされるのだ。 とすればわが家の次男坊はいま、家族の誰より音素の聞き分けができることになる。「r」と「l」の区別がないなど、日本語の音素は20あまりしかないから、これからかなりおおまかになるわけだ。これが英語だと52、世界でもっとも多いのはアフリカのカラハリ砂漠地方の言語が持つ141種類だとか。 ボストン大学のギュンター博士がコンピューター上でニューロンモデルを利用して学習実験したところ、英語と違って日本語では「r」と「l」を特徴づける周波数に敏感なニューロン数が少なくなったという。音素にあわせて脳の構造も違うということだろう。 とはいえ、それほど心配することはない。「r」と「l」が聞き分けられない日本人でも、英語圏の人と同じく、「ar」のあとは「ga」と聞きやすく「al」のあとは「da」と聞きやすい。音素がすべてではなく、文脈も含め、幅広く言葉を聞いているわけだ。 これは京都大学の正高信男教授の文章で知ったのだが、小学校低学年で日本から米国に転校した子どもは、移って2、3日は現地の同級生と平然とおしゃべりをするという。それからやっと、相手が自分と違う言語をしゃべっていることに気づく。 言葉なんて、きっとそんなものなのだ。非言語コミュニケーションの権威、米国の心理学者アルベルト・マーレビアンは、コミュニケーションにおいて伝わる情報のうち、言語そのものが果たす役割は7%にすぎないと分析している。表情や声の調子などによるところがおおきいのだ。 文章を書く身として、この事実はおそろしい。気持ちの半分でも伝えたいと、いつも何度も何度も文章に手を入れる。それでもやはり心は伝わらず、ときに意図せざることで人を傷つけもするのだ。

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