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ちょっと知的な雑学&トリビア

脳で操る

2002年10月24日 【コラム
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 手術をして後、しばらく身体を動かせない状態にあった父を見ながら、念動力を使えたらと考えたものだった。念動力、あるいはサイコキネシス。今はあまり使われない言葉だろうか、子どもの頃は超能力ブームもあって、ずいぶんあこがれたものだが。
 それはともあれ、念動力。念じただけで物が動かせる力である。SFの世界の話かと思っていたら、科学の進歩は、それに近いことなら実現できるところまで来ているのだった。たとえば、アリゾナ州立大のアンドリュー・シュワルツ教授の研究。サルの脳に電極をつけ、信号を取り出してコンピュータ処理する。サルは、腕を固定されていても、コンピュータ画面上の立体画像の中にあるカーソルを移動することができた。たとえば、デューク大のミゲル・ニコラウス教授の研究。サルが物を食べようと腕を動かすときの脳内信号を、1千キロ離れた場所まで送って、ロボットアームを動かした。送信にはインターネットを利用しているから、途中を無線化すれば、まさに念動力でロボットを動かしている感じ。米国の研究者ばかりではない。広島大学の辻敏夫教授も、脳からの信号を読み取って動く義手の開発を行っている。
 少し話はそれるけど、そろばん熟練者の暗算に同様のはたらきがみられる。そろばん熟練者は暗算のとき頭の中のそろばんをはじくといわれる。暗算時の脳内のはたらきを比較すると、通常の人の場合は言語処理に関わる部分がよく動く一方で、そろばん熟練者は視覚運動をつかさどる脳がはたらく。まさに、バーチャルなそろばんが脳の中に構成されているということだろう。
 こうした脳内の動きを取り出せれば、念じただけでそろばんを動かすこともできるに違いない。ハンディキャップを補うツールとして期待できるし、ネットで伝えれば、世界中に自分の身体を延長することもできる。痛覚も持てれば、地球の気持ちを味わえるかもしれないが。

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4 comments to...
“脳で操る”
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小橋昭彦

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あい

そういえばこんなものもありましたね。


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末永積治

ご無沙汰してます。10月14日、転勤で京都より東
京へ帰って来ました。通勤徒歩5分の世界から、1時間
30分のハードなラッシュに、少々うんざりの毎日で
す。通勤も瞬間移動で目的地に移動出来ればと、コメ
ントを読みながら思ってしまうのは 余りの環境の変
化でしょうか?近い内こちらでの楽しいコメントを送
れるようにしたいですね!


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松本秀人

「IBVA」という脳波を測定するソフト(MAC版)に連携して使うソフトを、数年前マックエキスポで買いました。
いくつかのゲームなどが遊べるようになっていて、例えば画面内のボールだかを「動け」と念じると、数回に一回くらいは動かせるようになりましたが、どの程度、精密な仕組みであったものだか(笑)。
少なくとも“脳波”は科学的に実証されているもので、意志などに応じてその発生部位や波形などが異なるとすれば、これを応用できないハズはないと、浅学ながらずっと思っています。
ただし、なんといってもコントロールが難しいですよね。




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 幼児がいると擬音語や擬態語をよく使う。おしゃぶりのことを「ちゅぱちゅぱ」、ミルクを吐くことを「げぶ」。いつしか4歳の長男まで「おかーさん、しょーちゃんげぶしたぁ」なんて口にしている。 あれはいつのことだったろう、その長男が道に引かれた白線をたどりつつ「トトン、トトン」と歩いていたとき、一緒にいた友人が「トトン、トトンって何」と尋ねて、ぼくを驚かせた。トトントトンと言えば、ガタンゴトンと並んでよく知られた列車の擬音語かと思っていたから。 埼玉大学の山口仲美教授によれば、こうした列車の擬音語は懐かしい言葉になりつつあるようだ。確かに新幹線はガタンゴトンなんて悠長な音は出さないし、そもそも列車の音を聞きつつ乗るなんて余裕が失われている風もある。チクタクやギコギコも珍しくなり、ピッしてチンする時代なのだ。 氏の著書『犬は「びよ」と鳴いていた』で、擬音語や擬態語には文化の変遷が見られるとあって納得した。今はキャッキャッと聞いている猿の声を昔はココと聞いていたという事実を、ココは猿が食べ物を食べるときの満足そうな声に近く、キャッキャッは恐怖心を出すときの鳴き声を写しているという指摘に重ねると、確かに、擬音語の変遷に猿と人間、ひいては自然と人間のつきあいかたの変化を感じもするのである。 30年前と現代では、擬音語や擬態語が大きく変化したともいう。日用品の変化も背景にある。一方、かつてはチビリチビリ、ノソノソやっていたのが、現代はダダダ、ガシガシのようにせわしなく豪快になったという。これは時代の空気の違いか。 笑い系の擬音語が増えたという指摘も考えさせられた。健康ブームとあって笑いの免疫力が見直されていることも背景にあるそうだ。ウヒヒヒヒヒ、ふふっ、クッククク、ホホホ、アハハ、エヘヘ、ワハハ、ケッケッケ、ウヒョウヒョ。いやはや、楽しい時代なのか、能天気なだけなのか。

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 龍安寺の石庭が人の心をひきつける秘密は「木」にあるという研究発表を、興味深く読む。石庭を見るとき、人は脳裏に石の間を縫うようにして伸びる木の枝を思い描いているのだという。左右対称に伸びた枝は、もっともよい鑑賞位置とされている箇所で一本の幹になる。 研究チームの一員、京都大学の江島義道教授によると、落ち着く空間には5つの法則があるという。「対称性」「距離感」「動き」「バランス」「子ども時代の慣れ」だ。こたつに入ると落ち着くのは、まさにこれかなと連想する。部屋の中央に置かれるから対称性を実感するし、立ったときより天井や壁との距離感が出る。寒い日常から座ってぬくもるわけだから生活のバランスがとれるし、子ども時代の郷愁もある。動きはないけれど、たいていは別の辺に誰かが入っていて、みかんを食べたり縫い物をしたりして、動いている。 フィボナッチ数列というのがある。1、1、2、3、5、8、13、21、34と続く。5と8を足して13というように、隣り合う数字を足して次にくる数字を作る。数学の時間に松ぼっくりのかさを数えたりしただろうか。右回りに8個ずつ、左回りに5個ずつのらせん状に組み合わさっている。花の花弁の数、ひまわりの種のつき方、巻貝のまき方など、フィボナッチ数列は自然界にしばしば見られる。 さて、フィボナッチ数列といえば黄金分割。数列の隣り合う数字を割り算する。13を8で割ると1.625、21を13で割ると1.615。どこをとっても似たような数字になる。すなわちこれ、黄金比。比率が1対1.618になっている長方形はもっとも調和がとれているとされ、ミロのヴィーナスをはじめ芸術品にも見られると言われる。黄金分割は、自然の中にフィボナッチ数列として隠れているともいえる。 石庭に木を幻視し、美術品に自然を見る。それらが癒しを与えてくれるとするならば、きっとぼくたちの根っこがどこにあるのかを教えてくれているのだろう。

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