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考古学のはじまり

2002年9月19日 【コラム
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 日本における科学としての考古学は、1877年に行われたモースによる大森貝塚の発掘にはじまるとされる。茨城県立歴史館の特別展の案内に、徳川光圀、いわゆる水戸黄門さんが発掘をしていたとあって驚いた。1692年のことだから、モースに先立つこと200年。家臣に命じ古墳を発掘、近くにある石碑との関係を探った。出土品を絵図に記録したのち、埋め戻してもいる。日本人初の考古学者といえるかもしれない。
 世界の考古学について調べてみると、本格的な考古学的方法をはじめてとったのは、ドイツ人のウィルケルマンによる「古代美術史」という。文献ではなく作品自体の観察にもとづいて、ギリシア・ローマ美術の様式的発展を説いた。これが1764年のことだから、光圀はそれに先立つ。もっとも何ごとにも例外はあるもので、小学館の百科事典には紀元前6世紀に新バビロニア帝国のナブナイド王が神殿を発掘した例も紹介されている。あとが続かなかったので、黄門さんともども、早すぎた先達といえようか。
 モースのアメリカには、コロンブス以前のアメリカ大陸の住民を調べる考古学があって、アメリカニスト考古学と呼ばれ特殊な位置づけにある。旧大陸をフィールドとする考古学と違って、歴史学の一環ではなく、人類学の一分野という位置づけだ。現代と過去がどうつながっているかの違いが、こうした違いを生んでいるともいえようか。
 広瀬正に、「もの」と題する作品がある。未来の考古学者が現代のあるものを掘り出し、それが何かを喧々諤々する。武器か、食器か、仮面か。何ということのない日用品なのだが、ある器官が退化した未来人には、想像もつかないのだ。考古学における解釈の重要性を感じさせるショートショート。
 人類が存続していたとしてだが、おそらくは1000年後にもまた考古学者がいて、ぼくたちの生活を掘り起こしていることだろう。彼らにとってぼくらが見慣れている「もの」はどう見えることか。ときにそんな想像も楽しい。

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5 comments to...
“考古学のはじまり”
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小橋昭彦

水戸光圀の発掘調査については「水戸光圀と前方後方墳」をご参照ください。また開催中の茨城県立歴史館の展示会については「考古紀行いばらき」をどうぞ。広瀬正「もの」は『タイムマシンのつくり方』に収録されています。


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大西忠

前略
喧々諤々は侃侃諤々に修正した方がよいと思いますが。
                     早々


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小橋昭彦

もともとは、けんけんごうごうか、かんかんがくがくか、ですね。その混合がけんけんがくがく。確かに、変に新しい表現を使うべきではなかったと思いました。

大西さん、ありがとうございます。該当箇所、いずれにせよ漢字が苦しいので、「それが何かを論じあう。」に訂正いたします。


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平田真知子

大好きな広瀬正の名を久しぶりに目にしました。
若い頃遺跡の発掘に従事したことがあります。石鏃や
石槍は別として、礫を加工したものを、石冠だとか石
皿、敲石、擦石などと名前をつけて使い方も勝手に
(私にはそう思えました)解釈していましたが、タイ
ムマシンで縄文人を連れてきて目の前で使い方を披露
してもらいたいものです。
ところで「ことば」はいつ頃からあったのでしょう。
縄文人が雄弁だったら楽しい講義になりそうです。


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三原広聡

広瀬正の「もの」って、懐かしいですね。
ちょっと前に、北米のペプシコーラの宣伝で
未来の考古学者がペプシのビンを発見して
これは何だろう?ずいぶんいっぱい出てくるぞ!
といったものがありましたね。
先日、会社で前職は学芸員で、遺跡発掘をしていた
と云う方を採用しました。
我が社(広告会社です)で何を発掘してくれるか
楽しみです。




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 いまさら茶髪という表現を使うのもためらわれる。人ではなく、ライオンの話なのである。ライオンといえばブロンドのたてがみがシンボルで、金色に髪を染めたサッカー日本代表選手の活躍を報じた記事には「ライオンヘア」と表現されたりもした。ところが、米ミネソタ大学のペイトン・ウェスト博士らの研究によると、メスは黒みがかったたてがみのオスを好むというのである。 オスのたてがみは、男性ホルモンのテストステロンの血中濃度が高いと、長く、また黒くなる傾向がある。研究グループはタンザニアなどで観察を続け、このほど実物大の模型を作って実験をした。すると、メスは10回のうち9回までブロンドではなく黒髪のオスの模型に近づき、オスは黒髪ではなくブロンドに近づこうとした。メスとしては総合的な栄養状態のよいことを示す黒髪のオスの方が子孫を残すために望ましい相手ということになるし、オスにとっては弱いオスといたほうが自分が有利になる。そんな背景があるのだろうと研究グループは推測している。 たてがみも子孫を残すという視点で説明できるわけか。そう思い、ふと竹内久美子氏の著作を思い出したのだった。男性の局部があのような形である理由とか、若い女性に多いダイエット願望のゆえんとかを、遺伝子を残すための精子間競争の視点から説明する。 並行して思い出したのが、精神分析家の岸田秀氏の「性的唯幻論」。人間を性本能が壊れた動物として、性欲をもたらすために幻想を作り上げたのが人類文化と説明している。この日常は、不能克服のための幻想なのか、あるいは精子のたくらみか。 もてるために黒髪に戻そうとはいわない。人間とライオンでは違う。黒髪のライオンは体温が高くなり、精子のためにはリスクが高いとも指摘されている。リスクをおってまで自分をアピールするライオン。街行く茶髪はどうだろう。

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 米国のアマチュア天文家が発見した物体が、アポロ12号のサターンロケットの3段目であることが確認された。J002E3と名づけられたこの天体は、31万キロから84万キロという卵形の軌道で地球を回っている。月までの距離が約38万キロだから、月より遠くなったり近くなったりというところ。 軌道を計算したところ、2002年春までは太陽を回る軌道にあったことがわかった。さらに遡ると、1971年3月に、地球付近の軌道から離れたらしい。同じ大きさの飛行物体の調査や、色と塗料の一致から、1969年11月に月に向けて離陸したアポロ12号で利用されたロケットの3段目であるとみられている。 仲秋の名月の夜、アポロ12号の落し物について思いをはせながら、夜空を見上げる。J002E3は、1年もしないうちに太陽軌道に戻る可能性が高い。30年あまり前、人類を月まで送り届け、その後太陽系を旅していたJ002E3。それが地球軌道に戻ってきたとき、しかし、人類は月より遠くには達していない。せいぜい地球上空400キロを行き来しているだけ。 1960年代半ば、アポロ計画の前提となっていたコンピュータのメモリ容量はわずか32キロバイト。月着陸ミッションは、わずかなメモリにプログラムとして記録されていた。当時と比べ、情報機器は天と地ほどに進歩した。だけど今、1961年にケネディが行った演説「60年代の終わりまでに人間を月に送る」のように、大きなビジョンを語り、推進できる人はいない。経済が、時代が、あるいは科学のあり方が違うという背景もある。 1968年のクリスマスイブ、初の月周回軌道にあったアポロ8号の宇宙飛行士ジム・ラヴェルの妻マリリンは、心配から心細さを感じつつ訪れた教会からの帰り道、ふと見上げた空に三日月を見ている。「ジムは確かにあそこにいる」と彼女は思う。今から30年後、J002E3はふたたび地球をめぐる軌道に戻ってくる可能性がある。そのとき、人類はどこまで到達しているだろう。マリリンのように天体を見上げる人がいるだろうか。仲秋の名月は、うす曇の向こうに隠れ、かすんでいた。

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