ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

茶髪か黒髪か

2002年9月16日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 いまさら茶髪という表現を使うのもためらわれる。人ではなく、ライオンの話なのである。ライオンといえばブロンドのたてがみがシンボルで、金色に髪を染めたサッカー日本代表選手の活躍を報じた記事には「ライオンヘア」と表現されたりもした。ところが、米ミネソタ大学のペイトン・ウェスト博士らの研究によると、メスは黒みがかったたてがみのオスを好むというのである。
 オスのたてがみは、男性ホルモンのテストステロンの血中濃度が高いと、長く、また黒くなる傾向がある。研究グループはタンザニアなどで観察を続け、このほど実物大の模型を作って実験をした。すると、メスは10回のうち9回までブロンドではなく黒髪のオスの模型に近づき、オスは黒髪ではなくブロンドに近づこうとした。メスとしては総合的な栄養状態のよいことを示す黒髪のオスの方が子孫を残すために望ましい相手ということになるし、オスにとっては弱いオスといたほうが自分が有利になる。そんな背景があるのだろうと研究グループは推測している。
 たてがみも子孫を残すという視点で説明できるわけか。そう思い、ふと竹内久美子氏の著作を思い出したのだった。男性の局部があのような形である理由とか、若い女性に多いダイエット願望のゆえんとかを、遺伝子を残すための精子間競争の視点から説明する。
 並行して思い出したのが、精神分析家の岸田秀氏の「性的唯幻論」。人間を性本能が壊れた動物として、性欲をもたらすために幻想を作り上げたのが人類文化と説明している。この日常は、不能克服のための幻想なのか、あるいは精子のたくらみか。
 もてるために黒髪に戻そうとはいわない。人間とライオンでは違う。黒髪のライオンは体温が高くなり、精子のためにはリスクが高いとも指摘されている。リスクをおってまで自分をアピールするライオン。街行く茶髪はどうだろう。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

3 comments to...
“茶髪か黒髪か”
Avatar
小橋昭彦

Peyton West博士のライオン研究については「The Lion Research Center」をどうぞ。発表論文はScience誌の「Cool Cats Lose Out in the Mane Event」です。竹内久美子氏の著書は『BC!な話』を、岸田秀氏は『性的唯幻論序説』をどうぞ。


Avatar
むらさき

私は黒髪が好きです。自分の髪も、他人の、もちろん男性の髪も。
ただし、日本人の場合。
勿論主観ですが、どんなに彫りが深くても、日本人に茶色い髪や金髪は似合わないと思っています。今まで似合っている人を一人でも見たことがありません。不愉快なのは数多く見ますが。
ただ、日本人でも生まれつき身体の色素が薄い人は、髪の色も薄く、それが自然で似合っています。子供の頃あこがれたものでした。
タカラジェンヌが金髪でも違和感が無いのは、彼女たちそのものが「非日常」の夢の世界だから。
髪を染める理由が「他人と同じはイヤ」から、黒髪が珍しくなった現在は「他人と同じでなきゃ不安」に逆戻りしたのでしょうか?
生物は、それぞれに適した「色」を授けられているのだな・・・と改めて感じるここ数年の染髪ブームです。


Avatar
まんさく

>>街行く茶髪はどうだろう。

「若禿のリスクを負ってまでもてようとしているの」
と見れば、人間もライオンも同じかと( ̄∇ ̄)
(ライバルに対する威嚇ってのも似てますね)




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 ネイティブ・アメリカンは、名前に象徴的な意味を込めるという。「ホーク」と呼ばれる男ならタカのように鋭い眼力に特徴があることを表す。そうした聖なる名にちなんだ映画『ダンス・ウィズ・ウルブス』が公開された頃、自分の名はどうだろうと考えた。コツコツやる性格だが、明日への小さな橋を架けようと、名前から影響されている部分があるのではないか。 こじつけだと思われるだろう。ところが、ニューヨーク大学バッファロー校のブレット・ペラム教授が気になる調査結果を発表している。教授がサンプル調査した米国人の場合、自分の名前に影響されて人生の決定を行っているケースが多いのだ。Dennisさんは歯医者(dentist)である割合が他の名より高く、Louiseさんはセントルイス(St. Louis)に引っ越す可能性が高い。論理的に選択しているようでいて、名前が心理的な影響を与えているのではという。 確かに、ドラマで自分と同じ名前の登場人物がいたら感情移入してしまいがちだし、同名の店があったら繁盛を願う。ありえない話でもなく、ならばむしろ積極的に、自分の名前を生きる力にしたって悪くはない。名選手にちなんだ名前を持つ甲子園球児だって少なくないわけだから。 関連して調べてみると、日本人の名字、いわれがありそうでなさそうな、あいまいな面がある。工藤、斉藤など藤原氏由来の名もあれば、地形に関連する「田」や「野」のつく名もある。明治の苗字必称令に伴う届出で「三好だ」と届けたのが「美吉田」になったなど、当時の悲喜劇も多いという。 ま、スズキイチロウなんて日本一平凡そうな名前の人が大リーグで活躍してもいるから、受け止め方次第だ。自分を前向きにしてくれるならこだわればいいし、縛るようなら、ほどほどでいい。いっそネイティブ・アメリカンのように、成長して後、自分を見つめてつけた名を心の内にこっそり持っていてもいい。

前の記事

 日本における科学としての考古学は、1877年に行われたモースによる大森貝塚の発掘にはじまるとされる。茨城県立歴史館の特別展の案内に、徳川光圀、いわゆる水戸黄門さんが発掘をしていたとあって驚いた。1692年のことだから、モースに先立つこと200年。家臣に命じ古墳を発掘、近くにある石碑との関係を探った。出土品を絵図に記録したのち、埋め戻してもいる。日本人初の考古学者といえるかもしれない。 世界の考古学について調べてみると、本格的な考古学的方法をはじめてとったのは、ドイツ人のウィルケルマンによる「古代美術史」という。文献ではなく作品自体の観察にもとづいて、ギリシア・ローマ美術の様式的発展を説いた。これが1764年のことだから、光圀はそれに先立つ。もっとも何ごとにも例外はあるもので、小学館の百科事典には紀元前6世紀に新バビロニア帝国のナブナイド王が神殿を発掘した例も紹介されている。あとが続かなかったので、黄門さんともども、早すぎた先達といえようか。 モースのアメリカには、コロンブス以前のアメリカ大陸の住民を調べる考古学があって、アメリカニスト考古学と呼ばれ特殊な位置づけにある。旧大陸をフィールドとする考古学と違って、歴史学の一環ではなく、人類学の一分野という位置づけだ。現代と過去がどうつながっているかの違いが、こうした違いを生んでいるともいえようか。 広瀬正に、「もの」と題する作品がある。未来の考古学者が現代のあるものを掘り出し、それが何かを喧々諤々する。武器か、食器か、仮面か。何ということのない日用品なのだが、ある器官が退化した未来人には、想像もつかないのだ。考古学における解釈の重要性を感じさせるショートショート。 人類が存続していたとしてだが、おそらくは1000年後にもまた考古学者がいて、ぼくたちの生活を掘り起こしていることだろう。彼らにとってぼくらが見慣れている「もの」はどう見えることか。ときにそんな想像も楽しい。

次の記事