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ちょっと知的な雑学&トリビア

右か、左か

2002年7月22日 【コラム
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 4歳になって経験から覚えたけれど、半年ほど前まで、右と左をどう教えるか迷ったものだ。上と下、前と後ろは教えやすい。しかし右と左はどう教えるのか。「お箸を持つ手が右」というのは、左利きの人だっているし、場あたり的で避けたい。「心臓の無い方」というのは難しすぎ、それとて1万人に1人は右に心臓のある人がいる。
 動物には左右がある。ヒラメやカレイの眼が生後移動して左あるいは右に偏る話は以前した。巻貝は右巻きが大多数だが、そのしくみは謎。モノアラガイの交配実験によると、左巻きの殻は右巻きの殻に比べて大きいということで、左右を決める遺伝子が大きさにも影響を与えているらしい。
 ケニアの天然森林でツグミの一種の足の大きさを測ったのは、アントワープ大学の研究者たち。環境が悪化している地域の鳥の足ほど、左右の大きさが違ったそうで、左右が非対称ということは絶滅の危機に向かっているしるしではないかと説いている。ただ、統計上の誤差ではないかという指摘もあり、論争に決着はついていない。
 人間の内臓も非対称の典型。心臓だけじゃなく、対称に見える肺だって左は2つ、右は3つのブロックに分かれているし、肝臓は右で、胃は傾いている。マウスには体の左側を決める「レフティー」という遺伝子も知られているが、それで納得してはいけない。そもそも遺伝子はどうやって右と左を知るのか。
 科学技術振興事業団の発表によると、マウスの左右を決めるのに、胚の中心部で流れている液体の流れが影響していることがわかったという。通常は時計回りに流れている方向を人工的に変えると、左右逆の個体に成長するのだ。とはいえ、なぜ液体が時計回りになっているかと問うとそれは謎で、発見がさらなる謎をよんでいる。
 ぼくの左手を、きみの右手とつなごう。きみの左手は、次の人の右手へ。右と左、深い謎の世界。それでも、右と左があるおかげで、ぼくたちは手をとり、輪となることができる。

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5 comments to...
“右か、左か”
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小橋昭彦

胚の液体の流れと左右決定は「人工的に作った水流が体の左右を変える」をどうぞ。巻貝の左右の違いと大きさの差は「信州大学 浅見崇比呂 助教授」の研究です。アントワープ大学のグループによるツグミの研究は「「非対称」は絶滅のサイン?」にわかりやすいです。


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藤島親方

 うちは5歳と3歳ですが、そういえば、5歳の方は左右がわかりますが、3歳はまだわかりませんね。とはいえ、5歳の方にも「教えよう」としたことはないような気がします(妻が教えていた可能性はありますが)。
 確かに、概念としての「右」「左」をことばだけで正確に教えるのは難しそうですが、そもそも抽象的な概念を言葉だけで教えるのは、なんにせよ難しいのでは?「右」「左」に関しては、「右手に持ちなさい」といいながら右手を指さしたり、たたいたり、「こっちの靴は右足」といいながら右足にはかせたりしているうちに、子供の方で勝手に覚えるのでは、という気がします。
 今は、絵本に出てくる言葉を説明するのに苦心しています。おとなにとって常識的なことばを、さらにやさしく説明するのは、本当に大変です。


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ながさわ

つきあっている彼女が、よく左右を間違えます。
特にドライブ中。
私がドライバー、彼女がナビゲーターで、よくある会話。

彼女:次の交差点を左ね。
私:はいよー。(と、左折)
彼女:なんでこっちに曲がるのー?

どうしたら良いものやら……?


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六島 蛍乱

私の場合、左右を覚えたのは確か...
箸やスプーンを使う手が右手だと
保育園の先生に教えられた記憶がある。
利き腕が右手なので必ず右に箸を持つ。
だから、箸を持つ手が右手、
その逆の手が左手。

左手を覚えるのに、
右手の逆が左手と覚えてる。
これは右利きの場合で、
もし左利きだったら逆で覚えていたのかもしれない。
もし、両利きだったら...
どう覚えていたのだろう。
謎だ。

結局、右や左も人間が勝手に決めたものであって、
自然界では特に決まっていないのかもしれない。
こちら側が右、
逆にこっち側が左
というふうに決めただけだと思う。
案外単純なものかも。


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トルネコ

>巻貝は右巻きが大多数だが、そのしくみは謎。

この部分が気になり、もしかしたら北半球と南半球で違うのではないかと思いました。
ネットで色々調べましたが諸説あるようで決定的な解説はみつかりませんでした。

「さざえの殻を上から見ると反時計回りに渦を巻いている。南半球ではさざえなどの巻貝の巻き方は北半球とは反対で時計回りになっているそうだ。日本のさざえを南半球で養殖しても3世代目にはすべて時計回りの殻になってしまうようだ。」という説。

「地球の自転の向きが影響して右巻が多いは、どうやら違いようです。南半球の貝も右巻だし、北半球にも左巻がいる。」という説。

定説はないようですね。
やはり小橋さんが言っているように謎なのか?




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 疲れからだろうか、突然の発熱でふせっていたのだった。喉がはれて、40度近い熱が出る。子どもの頃はよくやったものだが、最近無かった。それで、高熱を指し示す体温計を懐かしく見つめる。 もっとも、デジタル表示の電子体温計と違って、あの頃は水銀式だった。37度のところが赤くなっていて、いかにもそこから上は病気ですよという印象。実際は平熱は人によって違うし、37度だからといって必ずしもあわてる必要はない。 もっとも高すぎる体温は個人差といっていられない。体温計にも42度までしか表示は無かった。42度を超えると、人間を構成しているタンパク質が変質してしまうわけで、たとえば45度を超えて生きていられる人はいない。フライパンで温めれば、どんな卵の白身だって透明から白く変質する。あれと同じだ。 高熱が親に甘える口実になった子供時代と違って、いまは余計な知識があるから測っていて体温が上がってくると心配が募る。それからふと、そういえば動物の温度と成長の時間についての研究があったと思い出す。ふ化するまでの時間は、トリでもバッタでもプランクトンでも、大きさと温度というふたつの因子に左右されているというのだ。ニューメキシコ大学のジルーリィ博士らの研究だが、卵を産む動物に特によくあてはまるという。 大きさと温度といえば、恒温動物についていえば、一般的に身体の大きい動物ほど体温が低い。ゾウは35.5度、ウマは38度、イヌは39度。身体が小さいほど外気温につれて冷える速度がはやくなるから、できるだけ高めに保っておいたほうが有利なわけだ。鳥類はおおむね40度を超えるが、これは空を飛ぶための莫大なエネルギーを燃焼で生じる必要があるからだろう。 人間の場合、いくら体温が上がったからといって空を飛べるわけもなく、倦怠感が募る。早く下がるにこしたことはない。もっとも、このところの忙しさから身体を逃避させてくれたうえ、こうしてコラムのタネともなった。なにごとにも利点はあるものだ。

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 フランセス・アッシュクロフトによる『人間はどこまで耐えられるのか』は、全米オープンで優勝したプロゴルファー、ペイン・スチュワートの飛行機事故を紹介するところから始まっている。高度1万1300メートル、なんらかの原因で機内が急速に減圧、そのまま自動操縦で飛び続けた。住宅地に墜落する危険性を考えて米軍機がスクランブル発進。けっきょく燃料が尽きて墜落したが、乗員ははるか以前に命を失っていたはず。 高度1万1300メートルにもなると、人間は生きていられない。無酸素で耐えられる限界は標高9キロ弱。世界最高峰の高さとほぼ同じというのは単なる偶然か。同書にはほかにも、月面で放置されても生きのびていた細菌の話、腕相撲大会に参加して、自分の筋力で骨が折れた男の話など、印象的なエピソードが紹介されている。高さや深さ、寒暖、あるいは宇宙という極限への挑戦。 それらを読みつつ、自分を信じることの力を思っていた。腕相撲の男に見られるように、全身の筋繊維が同時に収縮すれば、骨を折るほどの筋力が可能になる。アスリートは、トレーニングによって筋繊維を同調させることを学ぶ。それでもすべてを同調させることはできない。素人ではなおのことだが、火事場のばか力という現象もある。ぼくたちはふだん、自分の潜在的な力を信じていないだけなのだろう。清水の舞台から飛び降りた気になれば、限界に迫ることができる。 清水の舞台といえば、同寺学芸員の横山正幸さんの調査によれば、江戸時代、実際に234人の飛び降りの記録があったそうだ。最年少は12歳、最年長は80歳代。かつては飛び落ちと呼んでいたが、自殺ではない。多くは「心願」ゆえ。引き留めや未遂も含め、助かったのは85%。彼らの願いはかなったか。 困難な課題ほど、自分を高めてくれる気がする。もうだめだと思う瞬間にこそ、予想しなかった発想が芽生えたり、力が生じたりする。日々の小さな挑戦。生活の中にも、清水の舞台は、たくさんある。

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