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ちょっと知的な雑学&トリビア

カンブリア大爆発

2002年5月27日 【コラム
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 しばらく前から、カンブリア紀の大爆発のことが気にかかっており、コラムにまとめようとしてはとまっていた。そんな矢先、スティーブン・ジェイ・グールドが死去したとの報が入る。バージェス頁岩に光をあて、カンブリア大爆発に注目を集めた立役者だ。
 話が前後した。カンブリア大爆発とは、それまで単純な形態しかなかった生命が、5億年あまり遡るカンブリア紀になって、よく利用されるたとえだけれど、神様が粘土遊びでもしたようにさまざまな形態となって一気に現れたことを指していう。カナダのバージェス頁岩には、この時期の化石が、硬い骨格だけじゃなく、軟体性のものも含め奇跡のように数多く残っている。
 グールドは、こうした大爆発の事例を紹介しつつ、進化というのは、これまで考えられているように自然淘汰によって漸進的に行われるのではなく、偶発性も盛り込みつつ、断続的に進化するのでは、と説く。仮に生命の歴史をリプレイしたら、同じ偶然が起こる保証がない以上、人類にたどり着くことができるかどうかと。
 これに対して、漸進的進化論の主たる論客は利己的な遺伝子説を唱えるリチャード・ドーキンス。近作『虹の解体』でもグールドの説に手厳しい批判を加えている。グールドに対する反論は、バージェス頁岩研究の中心となっていたサイモン・コンウェイ・モリスも述べている。同じ環境化にある動物と植物が似た形態になる収斂(しゅうれん)と呼ばれる事例があるように、生命のテープをリプレイしたとしても、環境に応じて生命は進化し、人類のようなものが生まれるには違いない、と。
 かようにさまざまな意見があり、ひとつの視点に定まらない。それがコラムとして触れることの難しさにつながっていた。だけど、こうしてさまざまな見解がやりとりされる、その多様性こそ人間の豊かさなのだ。グールドの書名にいわく、まさにワンダフル・ライフ、素晴らしき哉(かな)、人生! である。
 さようなら、グールド教授。

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5 comments to...
“カンブリア大爆発”
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小橋昭彦

まず書籍ですが、グールドの『ワンダフル・ライフ』、モリスの『カンブリア紀の怪物たち』はぜひ。そこにドーキンス『虹の解体』を重ねてください。それから、これは傑作『科学の終焉』を併読すれば、理解が深まります。

サイトでは、カンブリア紀の生命については、「最古の動物群化石」「動物比較情報研究分野」あたりをご参考に。「生命の誕生」もどうぞ。


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とおる。

グールドの本は読んだことがないんですが、ドーキンスの『虹の解体』は読んでいたので、今日のコラムはちょっと面白かったです。

関連書籍にドーキンスの『ブラインド・ウォッチメイカー』も加えてもらえたらな、と思います。(ぼくもいまちょうど読んでる途中なんですが。)この本の内容は、現代の「遺伝的アルゴリズム」の基礎になっていたりして、いろいろな面で興味深く読んでいます。


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ハマ

カンブリア紀の大爆発、一瞬恐竜の絶滅のことかと思いましたが、その後を読み、前にNHKのスペシャル番組で見た生物の大発生とわかり納得
グールドについては知りませんでしたが、ドーキンスは 中村桂子氏の本で知り、利己的遺伝子のことは確か、SELFISH云々の訳で我々は単なる遺伝子の乗り物にすぎないと喩えられていたように思います。


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亜矢

グールドの訃報はショックでした。まだお若かったと記憶しています。
私はモリスの『カンブリア紀の怪物たち』を読んでカンブリア紀の大爆発について知りました。すごく面白くて、その後カンブリア紀の大爆発に関する著書を探して読みました。その中にグールドの著書もありました。
彼の著書はもう読めないということですね。残念です。


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魂は永遠よ

4億年ほど前に「人類」が誕生したという説があります。「ICA・模様石に秘められた謎」コルネリア・ベトラトゥ、ベルナル・ロイディンガー共著(文藝春秋)には、1771年にコロンビアで「人間と恐竜の化石が同じ場所から発見された」と示されています。オー・パーツやミッシング・リングなどが示すように、「進化論」そのものが決定的な答えを持っていません。私は、創造主(宇宙の意志)が人間の「魂」を創造され、宇宙資源から人間の肉体を造って宿らせたという説を信じています。だって「特別な存在」を造るからこそ、準備として植物を発生させ、カンブリア紀に動物を大量に造られて、人間の誕生に舞台を用意されたと考えることが合目的的だと思うのです。いかがでしょうか?




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 今でこそふくよかで丸い顔をした東大寺の大仏だが、作られた当時は細おもてだったらしい。東大生産技術研究所の池内克史教授らのグループによる研究結果だ。東大寺の大仏をコンピュータ・グラフィックスで再現、それに東大寺に伝わる文献から拾った顔や目、鼻、口などの大きさをあてはめたもの。 天平時代から座ったままで運動しなかったから太ったというわけでは、むろんない。大仏は、開眼の約100年後に地震で頭が落ちたり、源氏と平氏の戦いで大仏殿が炎上したり、戦国時代に焼き討ちにあったりしている。そのたびに修復されてきたわけだが、そのどこかで変わってきたらしい。 それで、修繕ということが気になって調べてみる。最初に思い出したのが、中国映画『初恋のきた道』に出てくる、陶磁器の修理屋だった。映画のように売り歩く風景こそ日本では見かけなくなったけれど、金継ぎとして成り立っている。映画では金属で縫うように直していたが、日本の金継ぎはご飯粒や漆を使う。継いだところに金粉を塗って、修理箇所が生み出す偶然の妙を楽しむ。西洋ではこうした考え方が通用せず、外観を元通りにすることが求められるのだとか。 油絵の修復はどうだろうと、東京芸術大学の歌田真介教授による『油絵を解剖する』を読んだ。そして、油絵が単に絵としての芸術性だけでなく、技法や材料も画家の能力ととらえられると知って目を開かれた。どんな画布に描くか、どんな油を利用するかで、保存性がまったく違ってきて、つまりは修繕のしやすさにつながるのだ。 著者は、黒田清輝以降の日本の洋画は、技法や材料がしっかりしておらず、信じられないようないたみ方をするものが多いという。それに先立つ高橋由一らが技法も正しく日本に広めようとしていたのに対して、黒田以降は表現ばかり輸入して技術を学ばなかったのではと指摘している。 金継ぎをして瀬戸物を使い続けたり、あて布をして衣服を着続けたり。貧乏なように見えて、その実、使い続けられるだけの素地を持っているということであり、今を未来へつなげる行為として、豊かで、深い。

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 背中のしま模様からタイガーと呼ばれるけれど、姿は犬のようでフクロオオカミとも。有袋類、カンガルーのようにお腹にポケットがついている。タスマニア島に住んでいたが、19世紀以降、入植してきた白人が続々と殺害。最後に捕獲されたのは1933年、すでに絶滅したと考えられている。 このタスマニアタイガーのDNA複製に成功したと、シドニーのオーストラリア博物館が発表した。遺伝子技術を用いれば、10年ほどで復活が可能ではないかという。高いハードルが残るにせよ、人類は、自分の手で滅ぼした生命を再生することができるようになるのかもしれない。 とはいえ、たとえ再生してもそれはすでに野生のタスマニアタイガーではなく、いわば恐竜公園、ジュラシックパークの住民ではあろう。そんなことを考え、ふと、テングシデについての話を思い出す。 テングシデは、広島県大朝町にある国指定の天然記念物。幹や枝がくねくねと蛇のように曲がっている。地元には、木を傷つけると天狗にさらわれるなどの言い伝えがある。テングシデをくねらせる正体は、突然変異。ねじれる形質を持つ遺伝子が代々伝わったものという。ただ、こうした遺伝子は本来、劣勢で競争力が弱い。それが生き残ってきたのは、地元の人々がねじれた木を恐れてまっすぐの木ばかりを切り倒した結果だとされている。 人が自然を変える。そんな共通性からタスマニアタイガーの再生とテングシデを連想したものの、両者は大きく違う。テングシデを生んだのは伝説であり、自然に対する人のおそれだ。タスマニアタイガーを生もうとしているのは、自然への敬意か、あるいは技術的な挑戦心か。ふたつの間の違いを見つめ、われわれ自身が天狗にならないようにしなければと思ったことだった。

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