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はじまりのころ

2002年4月18日 【コラム
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 1日にすれば、という考え方をときどきする。ぼくたちの遠い祖先が日本にやってきて縄文時代が始まった約1万2000年前を午前零時とし、現在を1日の終わりとする。1万年弱続いた縄文時代は、午後7時半までを占める。弥生時代が午後8時半まで、9時半になって平安時代が始まり、明治維新がようやくいまから10分あまり前。
 同じ方式で生命の歴史をあてはめると、生命誕生の午前零時から始まって、午前9時ごろ、光合成を行う生命が生まれる。生命が多様性を探ったカンブリア紀が午後9時から始まり、そこから進化はめざましくなる。恐竜が存在したのは午後10時半からの1時間くらい。ほんの30分前に恐竜は絶滅、人類の誕生はわずか1分前のこと。
 社史発行を手がける出版文化社によると、このところ社史を刊行する企業が相次いでいるという。戦後に創業した企業がちょうど50周年を迎え、50年史をつくる時期となっているのだ。
 経団連で社史の研究に取り組んでいる村橋勝子さんによると、日本企業に本格的な社史が誕生したのは1900年代に入ってからで、これまで1万3000点あまりが刊行されてきたのだとか。ピークは1980年代で、明治期に創業した企業の100周年、昭和初期創業企業の50周年が重なり、戦後企業は30周年となった時期。内容は多岐にわたるとはいえ、やはり明治の起業家や、戦後の焼け跡から会社を興したエピソードには感じさせるものがあるという。
 1日にすれば年表をたどるとき、驚かされるのは黎明期の長さだ。縄文時代の長さ、あるいはカンブリア紀の生命の大爆発に至るまでの長さ。ほんとうの意味でぼくたちに身近な姿が現れるのは、もう日も沈んだ午後9時以降なのだから。会社だって、創業時の志なしには生まれなかった。夜遊びばかりじゃなく、はじまりのころのことを、ときには振り返ってみる。

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One comment to...
“はじまりのころ”
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小橋昭彦

社史については、村橋勝子さんの『社史の研究』をご参照ください。また、「社史の泉」も参考になります。




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 誕生時3070グラムだった子どもが、生後3週間あまりではや4100グラムになっている。日々数百CCのミルクを飲んで、計算するとその1割くらいが体重としてついていることになる。 それで思い出したのが、英国にある動物学研究所のクリス・カルボーン博士らの研究だった。90キログラムの肉食哺乳類が生きていくためには、1万キログラムの獲物が生息していなくてはならないというのだ。体重140グラムのイタチの一種から310キロのホッキョクグマまで、どんな種でもおおむねこの法則があてはまるのだという。 10年ほど前にベストセラーになった東京工業大学の本川達雄教授の『ゾウの時間 ネズミの時間』にも、同種の問題が取り上げられていた。一匹の捕食動物につき約一〇〇匹の獲物が生息していなくてはならないとあり、捕食動物は自分の10分の1のサイズの獲物を狙うとあった。とすると、肉食獣1キロにつき獲物1000キロ。今回の結果とは1桁違うが、10年のあいだに研究が積み重ねられているということだろう。 実際、生物の大きさと生物学上の法則については、さまざまな研究が進められている。カルボーン博士の研究をとりあげたネイチャー誌のコラムでは、米アリゾナ大学のブライアン・アンキスト教授による植物の研究も紹介されている。米サイエンス誌でその論文を参照すると、被子植物かどうかを問わず、さまざまな植物で、葉や茎、根などの重量比が一定であるという。地上に見える組織の重量が増えれば、地下にある組織の重量も比例して増える。 自分はどれほどの人々に支えられているのか。どれほどの根をはっているのか。そんな問いかけをする。本川教授の著書には、どんな哺乳類も一生にうつ心拍は20億回、体重1キロあたりの消費エネルギーは15億ジュール、あるいは車輪のある動物がいない理由などユニークな話題が多い。数の神秘主義にくみするつもりはないけど、自然への入口として、数は楽しい。そう、こんど四葉のクローバー探しを子どもとしよう。

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