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消えゆく家畜

2001年1月16日 【コラム
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 世界には今、どのくらいの種の家畜がいるのか。ウシやヒツジ、ブタやウマ、あるいはニワトリやアヒル、ダチョウにいたるまで。国連食糧農業機関(FAO)は、この10年間に家畜・家きん類およそ6379種類のデータを収集している。
 うち個体数までわかっているデータは4183種類だけれど、じつはそのうち740種はすでに絶滅、3種に1種が絶滅にひんしているのだとか(朝日12月11日)。メキシコのチアパス羊、ロシアのヤクート牛、ベトナムのモン牛などなど。
 1995年以降この傾向は高まっており、それまで23%だった家畜の絶滅危惧種が、35%にまで高まっている。家きん類はより傾向が強く、1995年には51%だった絶滅危惧種の比率が、1999年には63%。
 いま、失われゆく家畜・家きんは1週間に2種のペース。20年後には2000種が失われていると予測されている。
 絶滅の原因は先進国から途上国への家畜の輸出。先進国の家畜のほうが経済的効率がいいと思われているから、乗換えが進んでしまう。固有種には、それぞれの土地に順応したよさがあるのだけれど。
 いま、世界人口の3分の1は、生計の一部を家畜に頼っている。世界の農業経済の3割から4割は家畜によっているともいい、その多様性の維持は飢饉や疫病など将来の脅威に備えるためにも欠かせない。
 経済的効率のため、世界が一様になっていく。失われてゆく家畜の姿は、ぼくたちの未来のあやうさだろうか。

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2 comments to...
“消えゆく家畜”
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小橋

国連食糧農業機関の発表」をご参照ください。


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nobu

世界が一様になっていく、という言葉にすごくショックを受けました。

実際に一つの種が消えていく瞬間を見たわけでも、体験したわけでもないのに、最後の一言で妙な疑似体験をしてしまったような気がします。
多種多様な種、物質、思考・・・?

最近読み始めましたが、とてもおもしろいです。
また来ます。




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 Kは中生代白亜紀、Tはそれに次ぐ新生代第三紀。6500万年前の地層をK/T境界層という(日経12月12日)。恐竜をはじめとする、当時の生物種の70%近くが絶滅したといわれる変動期だ。 2000年末から2001年にかけて、世の中は新しい世紀をいわうイベントが行われたりもしたけれど、新しいといっても、わずか100年の周期。何が変わるわけでもなく、さて、K/T境界と比べればどれほどのものか、と感じないでもない。 K/T境界とまでいかなくても、もう少し長い目で歴史を見る視点もある。たとえば日本の歴史を400年周期で。400年前、関ケ原の合戦を経て江戸に向かう時期。そのさらに400年前は源平合戦から鎌倉へ、さらにさかのぼると平安時代への移りかわり。 おりしも、千年持続学会の設立が進められている。1000年をひとつのスパンとして、千年続く科学を考えてみようというもの。そういえば、昨年ぼくが設立した会社のウェブサイトにも、3001年までの年表を載せたのでした。目の前のもろもろより、1000年後の社会のあり方こそが会社の目指す方向のような気もして。 21世紀なんて忘れて、1000年持続するってことを考えてみる。1000年続く技術、1000年続く環境、1000年続く会社、1000年続く希望、1000年続く、恋。 忘れものを、見つけたような。

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