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ちょっと知的な雑学&トリビア

みち

2002年1月06日 【コラム
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 京都駅そばにオープンした「京の道資料館」に足を伸ばす。100平方メートルあまりと小さな施設で、展示物は多くない。床にある約半世紀前の京都の市街地図がその上に立つものを、タイムマシンで上空から眺めているような、不思議な気持ちにさせてくれる。四つん這いになって路面電車の線路表示を「ととんトトン」とたどっている3歳の息子を眺めつつ、半世紀前、この沿線には今とはまた違った生活があったのだろうと想像する。
 奈良県の飛鳥京跡で、7世紀半ばから後半のものとみられる舗装道路が見つかった。整然とすき間なく石を敷き詰めた舗装道路としては国内最古のものという。幅は3.9メートル、雨水を流すための小さな溝が道路の両わきにあり、かなりしっかりした作りだ。
 日本ではじめて系統的な道路がつくられたのはちょうどそのころで、中央集権的な支配体制を徹底しようとする意図が背景にある。振り返れば「すべての道はローマに通ず」といわれたローマの道も、帝国の統治に欠かせないもの。最盛期には幹線道路だけで延長9万キロメートル、下級の道路を加えると30万キロメートルにも達したという。現代の米国の州際道路の総延長が7万キロ弱、日本の国道と都道府県道を合わせても約17万キロメートルというから、ローマ帝国の規模がしのばれる。
 ちなみに世界史をたどれば、紀元前3000年ごろには、のちに「こはく道路」と呼ばれる交易路が整備されていたという。こはくの産地バルト海沿岸と地中海沿岸を結ぶもの。シルクロードの例を持ち出すまでもなく、道路は商業や文化の交流にも役立ってきた。
 チャップリンの『モダンタイムス』の印象的なラストシーン、どこへともなく続く道をゆく二人。フェリーニはずばり『道』と題した映画を撮った。道という言葉の響きが未知と響きあうのは偶然だろうか。人はみちをきたり、みちをめざす。新しい年、ぼくたちはどこへいくのだろう。

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6 comments to...
“みち”
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小橋昭彦

文中で触れた資料館については「京の道資料館」をご参照ください。紹介した映画では、チャップリン『モダンタイムス』、フェリーニ『』とも、DVD化されています。いずれも傑作なので、この機会に手もとにおかれるのも良いかと思います。


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齋藤桂男

誕生日のメッセージをいただきまして有り難うございました。私も今月末をもってリタイアいたします。今日の表題であります「みち」と言う言葉の響きから私なりに思い当たるとしたら、現業を此処まで全う出来た道のりでの思いでですかネ・・・・又、第二の道のりについては趣味である音楽活動+(ダンス)にチャレンジしたいと思っています。永きにわたり配信を頂きまして有り難うございました。
今後は自宅で「今日の雑学」を楽しみたいと思います。


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k.yanai

おもしろい場所を、見つけましたね。
わたしも、道の及ぼす、文化面に興味を持っています。


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あらあら

全ての道はローマに通ずる。う0ん、うんちくのある言葉ですね。この”みち”個人的にいろいろな思いが交錯する言葉です。(謎)
ちなみに日本では8/10が道の日とされていますね。

今年も、感動させていただけるコラム期待しています。
よろしくお願いします。


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小橋昭彦

みなさま、ありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


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田中さん

某外資系計算機(死語)メーカーを辞めたのが、昭和天皇がお隠れになる直前。
退職金60まんえんだった。
その次の年から、希望退職制度が実施され、小生より若い女の子が
1,500まんえんもの退職金を貰ってお辞めになったそうな。
しかし、悪ガキとはいへ、2人の子宝に恵まれ、なんとかここまで
これたことを、良しとすべきか?




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 世紀の発明として話題を呼んだ「ジンジャー」の正体が明らかになった。セグウェイと名づけられた立って乗る二輪車。20世紀を支配した自動車、あるいは便利で環境にもやさしいといわれる自転車に並んで利用されるようになるかどうか。 これらの乗り物に共通する特徴といえば、「車輪」を持っていることにつきる。そう考えると、車輪こそは世紀の、いや史上最大といっていい発明といえるだろうか。だれが発明したともわからない、紀元前4000年から3000年頃には歴史に顔を出していた。 日本で車が利用されはじめる時期については、5世紀からとみる研究者が多い。先日出土したこれまでのところ日本最古の車輪は、7世紀後半、飛鳥時代のもの。直径約1.1メートル、スポークが12本使われていたようで、かなり高度な技術に支えられている。 世界に目を向けると、スポークのついた車輪が開発されたのは紀元前2000年ごろで、戦車のために作られたというのが背景らしい。丸太を切り抜いただけの重い中実車輪より、もろくても操縦性のよい車輪が求められたのだ。 自転車が発明されたのは1818年のドイツ。ドライジーネと名づけられている。車体は木製、ペダルがなく地面をけって進む。その後ペダルがついたりチェーンがついたりと進化するが、初期の自転車のペダルは前輪についていて、チェーンはない。だから、速度を出すためにはその前輪を大きくする。 それにしても自転車のすごいのは、チェーン伝導によるパワーの損失がわずか1.5%という点だ。自動車の場合は15%もある。まさに桁違い。セグウェイはどうだろう、自転車を上回るのは難しそうだ。 いよいよ今年も残すところわずか。弊誌の配信も、今日から年末年始の休みとさせていただきます。新年は7日から。ペダルをふんで、年をひとめぐり。

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 届いた賀状の図案の数々を見ていて、なるほど今年はうま年だったかとあらためて気づく。昨年12月には奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳を調査していた桜井市教委から、周濠(しゅうごう)で見つかった遺物が木製のあぶみだったと発表された。うま年へ向けてのはなむけだったか。はなむけがもとは「馬の鼻向」と言われていたとは、あらためて説明するまでもないだろう。 箸墓古墳のあぶみだけれど、年代としては4世紀初めのものとみられるといい、事実とすると、日本での乗馬はこれまでの説から半世紀から1世紀近くさかのぼる時期に始まっていたことになる。なにせ魏志倭人伝には3世紀末の日本について「牛馬なし」と記されているのだ。箸墓古墳には邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかという説もあり、弥生時代の終わりとともに強力なくにが出現し、乗馬がはじまった、あるいは乗馬とともに強国が出現したといった想像もふくらむ。 いや、想像にはしってはいけない。大陸の騎馬民族が日本を征服したという説は現代では否定されているわけだし、出土品をたどれば長崎の五島列島で1世紀のものと考えられる馬の歯が出土している。ごく珍しいものだったと考えられるにしても、弥生時代から馬が日本に入ってきていたのはたしからしい。 もうすこし歴史をさかのぼると、岐阜県可児(かに)市では、1700万年前の「うま」の化石が見つかっている。アンキテリウムという名の、これが日本最古のうま。もっとも指は3本で、現在では絶滅した種だ。じつは馬の指は進化するごとに4本から3本、そして1本へと減ってきた。角もない、牙もないから、せめて逃げ足を鍛えようとした結果とされる。 なにかと不安な今年。逃げ足を鍛えるうま年なんてわけにもいくまいし、5本指があるぼくたちとしては、ぜひどっしりかまえて、せまるもろもろに対処したいと思うのだが、さて、そんな呼びかけも馬耳東風か。

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