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ちょっと知的な雑学&トリビア

車輪に乗る

2001年12月19日 【コラム

 世紀の発明として話題を呼んだ「ジンジャー」の正体が明らかになった。セグウェイと名づけられた立って乗る二輪車。20世紀を支配した自動車、あるいは便利で環境にもやさしいといわれる自転車に並んで利用されるようになるかどうか。
 これらの乗り物に共通する特徴といえば、「車輪」を持っていることにつきる。そう考えると、車輪こそは世紀の、いや史上最大といっていい発明といえるだろうか。だれが発明したともわからない、紀元前4000年から3000年頃には歴史に顔を出していた。
 日本で車が利用されはじめる時期については、5世紀からとみる研究者が多い。先日出土したこれまでのところ日本最古の車輪は、7世紀後半、飛鳥時代のもの。直径約1.1メートル、スポークが12本使われていたようで、かなり高度な技術に支えられている。
 世界に目を向けると、スポークのついた車輪が開発されたのは紀元前2000年ごろで、戦車のために作られたというのが背景らしい。丸太を切り抜いただけの重い中実車輪より、もろくても操縦性のよい車輪が求められたのだ。
 自転車が発明されたのは1818年のドイツ。ドライジーネと名づけられている。車体は木製、ペダルがなく地面をけって進む。その後ペダルがついたりチェーンがついたりと進化するが、初期の自転車のペダルは前輪についていて、チェーンはない。だから、速度を出すためにはその前輪を大きくする。
 それにしても自転車のすごいのは、チェーン伝導によるパワーの損失がわずか1.5%という点だ。自動車の場合は15%もある。まさに桁違い。セグウェイはどうだろう、自転車を上回るのは難しそうだ。
 いよいよ今年も残すところわずか。弊誌の配信も、今日から年末年始の休みとさせていただきます。新年は7日から。ペダルをふんで、年をひとめぐり。


4 comments to...
“車輪に乗る”
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小橋昭彦

乗り物はじまり物語」「木造車輪」などをまずはご参照ください。自転車については「自転車産業振興会」「自転車広場」「日本自転車史研究会」など情報が充実したサイトが多いです。「自転車博物館サイクルセンター」に行くのもよいですね。そして。Segwayは「Segway」へ。「Megway」なんてパロディサイトがすぐ登場するあたりおもしろいですね。「Ginger Japan」の情報も充実。


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小橋昭彦

今日の没ネタ。目に見えない速度で点滅する光でサラダ菜を育てると成長が早くなる(朝日11月25日)。過去最大の素数発見(日経12月8日)。糖鎖、ポストゲノムのかぎに(朝日11月30日)。


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まみこりんご

1年てあっとゆう間ですね。
小橋さん、雑学のコラム、毎日おつかれさまでした!

先週、英会話教室に行ったとき、イギリス人の先生が、「セグウェイ」のお話しをしてくれました!先生が持っていた英字新聞によると、
セグウェイが開発されたアメリカの町では、郵便配達時に
試験的にセグウェイを使ってみるそうですヨ!
価格は、(私にヒアリング力があれば。。。)確か15万円くらいだったハズ。
使ってみたい気もするけれど、試してみるのは
もうちょっと安くなってからカナ!?


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りょう

小橋さん、2001年お疲れさまでした。
コラムに時折見受けられる父親の愛情に、共感していました。来年も楽しみにしています。




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 散歩の足をのばして立ち寄った公園に、サーカス団が来ていたのだった。おおきなテントの支柱ごとに立てられた団旗が、北風にパタパタと音を立てている。入り口に立って看板を見ると、公演はちょうどその日からはじまっていて、2カ月間の予定。その前は姫路、つぎは名古屋。各地をこうして移動テントで回っているわけだ。年間観客動員数は120万人、世界でも有数のサーカス団なのだとか。 とはいえ、日本のサーカス事情はけっして明るいものではない。一時は三十数団体にのぼったサーカス団も、現在では片手ほどもない。振りかえれば、日本にはじめて近代サーカスが紹介されたのは1864年、アメリカからやってきたサーカス一座だった。軽業や曲馬などといった従来の日本の見世物をしのぐ迫力で大評判。これがきっかけで、日本でも曲芸一座がまとまりはじめ、近代サーカスの礎となる。 おもしろいことに、日本ではじめてパスポートを取得したのは、サーカス芸人だ。隅田川浪五郎という37歳の男で、1866年のこと。「帝国日本芸人一座」のメンバーとして欧米を巡回、ときの米国大統領、アンドリュー・ジョンソンにも謁見したという。幕末、海を渡って世界にはばたいたサーカス芸人たち。彼らの心理はおしはかるほかないが、あの時代、自分たちの技を信じて世界に飛び出した勇気に力づけられる。 夕暮れがせまり、公園を後にする。背にしたテントの中から、楽団の音楽が風にのってきれぎれに聴こえた。こんど子どもを連れて観に来よう。そう思った。

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 京都駅そばにオープンした「京の道資料館」に足を伸ばす。100平方メートルあまりと小さな施設で、展示物は多くない。床にある約半世紀前の京都の市街地図がその上に立つものを、タイムマシンで上空から眺めているような、不思議な気持ちにさせてくれる。四つん這いになって路面電車の線路表示を「ととんトトン」とたどっている3歳の息子を眺めつつ、半世紀前、この沿線には今とはまた違った生活があったのだろうと想像する。 奈良県の飛鳥京跡で、7世紀半ばから後半のものとみられる舗装道路が見つかった。整然とすき間なく石を敷き詰めた舗装道路としては国内最古のものという。幅は3.9メートル、雨水を流すための小さな溝が道路の両わきにあり、かなりしっかりした作りだ。 日本ではじめて系統的な道路がつくられたのはちょうどそのころで、中央集権的な支配体制を徹底しようとする意図が背景にある。振り返れば「すべての道はローマに通ず」といわれたローマの道も、帝国の統治に欠かせないもの。最盛期には幹線道路だけで延長9万キロメートル、下級の道路を加えると30万キロメートルにも達したという。現代の米国の州際道路の総延長が7万キロ弱、日本の国道と都道府県道を合わせても約17万キロメートルというから、ローマ帝国の規模がしのばれる。 ちなみに世界史をたどれば、紀元前3000年ごろには、のちに「こはく道路」と呼ばれる交易路が整備されていたという。こはくの産地バルト海沿岸と地中海沿岸を結ぶもの。シルクロードの例を持ち出すまでもなく、道路は商業や文化の交流にも役立ってきた。 チャップリンの『モダンタイムス』の印象的なラストシーン、どこへともなく続く道をゆく二人。フェリーニはずばり『道』と題した映画を撮った。道という言葉の響きが未知と響きあうのは偶然だろうか。人はみちをきたり、みちをめざす。新しい年、ぼくたちはどこへいくのだろう。

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