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サーカス団

2001年12月19日 【コラム
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 散歩の足をのばして立ち寄った公園に、サーカス団が来ていたのだった。おおきなテントの支柱ごとに立てられた団旗が、北風にパタパタと音を立てている。入り口に立って看板を見ると、公演はちょうどその日からはじまっていて、2カ月間の予定。その前は姫路、つぎは名古屋。各地をこうして移動テントで回っているわけだ。年間観客動員数は120万人、世界でも有数のサーカス団なのだとか。
 とはいえ、日本のサーカス事情はけっして明るいものではない。一時は三十数団体にのぼったサーカス団も、現在では片手ほどもない。振りかえれば、日本にはじめて近代サーカスが紹介されたのは1864年、アメリカからやってきたサーカス一座だった。軽業や曲馬などといった従来の日本の見世物をしのぐ迫力で大評判。これがきっかけで、日本でも曲芸一座がまとまりはじめ、近代サーカスの礎となる。
 おもしろいことに、日本ではじめてパスポートを取得したのは、サーカス芸人だ。隅田川浪五郎という37歳の男で、1866年のこと。「帝国日本芸人一座」のメンバーとして欧米を巡回、ときの米国大統領、アンドリュー・ジョンソンにも謁見したという。幕末、海を渡って世界にはばたいたサーカス芸人たち。彼らの心理はおしはかるほかないが、あの時代、自分たちの技を信じて世界に飛び出した勇気に力づけられる。
 夕暮れがせまり、公園を後にする。背にしたテントの中から、楽団の音楽が風にのってきれぎれに聴こえた。こんど子どもを連れて観に来よう。そう思った。

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2 comments to...
“サーカス団”
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小橋昭彦

サーカス関連サイト、多いかと思ったら、案外少ないのですね。「見世物広場」「国際サーカス村協会」くらいかなあ。あと、サーカス芸人に焦点をあてた「沢田豊関連の記事」は読み応えあります。近くに来ていたのは「木下大サーカス」です。


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小橋昭彦

今日の没ネタ。宇宙望遠鏡で地球外生命探し、ふたたび計画(朝日11月21日)。正宗はいなかった論争(日経11月18日)。




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 京の着だおれ、大阪の食いだおれとよく言われ、大阪・道頓堀に来た観光客は、紅白の衣装を着て太鼓をたたく「くいだおれ人形」と一緒に記念写真を撮る。すっかり大阪の顔。関西国際空港開港時には、パスポートを取得して海外旅行に出かけもした。パスポート用につけられた名前が「太郎」。 記念撮影をしている人のなかで、「くいだおれ」は人形が背にした店の名だということに気づいている人がどれだけいるだろう。日本一の食堂になるため、大阪を代表する店名にしたいと考えてつけられた。人形は、文楽の本場、道頓堀の伝統をいかしたものをと試行錯誤のうえ完成したという。 くいだおれ人形と向かい合うようにして、動くカニ看板も異彩をはなつ。こちらもCMで電車に乗って温泉に出かけたりしていた。大阪の看板はいそがしい。川ぞいのグリコの看板も有名。最近になってその隣にメールマガジン配信会社の看板が登場したりもしている。 道頓堀にこうした派手な看板が目立つのは、一帯がかつて多くの芝居小屋がたち、飲食店が並ぶ、いわば日本最古の興行街であったことと無関係ではない。国際日本文化研究センターの井上章一助教授は、すたれた演芸文化が看板に形を残していると指摘している。 京都ではこの時期、南座にまねきが掲げられ、恒例の顔見世興行。大阪の看板と違ってしっとりと古都になじむ。世界で同じ看板を掲げるファーストフード店でさえ、京都でだけは色を変えている。 師走。くいだおれ人形の前を、ちょっと顔を赤らめた人たちが行きかう。一方の吉例顔見世、今年の演目は、昼に宮島のだんまり、夜は良弁杉由来など。まねきの下をはなやいだ顔の人たちがくぐる。それぞれの地で、それぞれの年の瀬が過ぎていく。

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 世紀の発明として話題を呼んだ「ジンジャー」の正体が明らかになった。セグウェイと名づけられた立って乗る二輪車。20世紀を支配した自動車、あるいは便利で環境にもやさしいといわれる自転車に並んで利用されるようになるかどうか。 これらの乗り物に共通する特徴といえば、「車輪」を持っていることにつきる。そう考えると、車輪こそは世紀の、いや史上最大といっていい発明といえるだろうか。だれが発明したともわからない、紀元前4000年から3000年頃には歴史に顔を出していた。 日本で車が利用されはじめる時期については、5世紀からとみる研究者が多い。先日出土したこれまでのところ日本最古の車輪は、7世紀後半、飛鳥時代のもの。直径約1.1メートル、スポークが12本使われていたようで、かなり高度な技術に支えられている。 世界に目を向けると、スポークのついた車輪が開発されたのは紀元前2000年ごろで、戦車のために作られたというのが背景らしい。丸太を切り抜いただけの重い中実車輪より、もろくても操縦性のよい車輪が求められたのだ。 自転車が発明されたのは1818年のドイツ。ドライジーネと名づけられている。車体は木製、ペダルがなく地面をけって進む。その後ペダルがついたりチェーンがついたりと進化するが、初期の自転車のペダルは前輪についていて、チェーンはない。だから、速度を出すためにはその前輪を大きくする。 それにしても自転車のすごいのは、チェーン伝導によるパワーの損失がわずか1.5%という点だ。自動車の場合は15%もある。まさに桁違い。セグウェイはどうだろう、自転車を上回るのは難しそうだ。 いよいよ今年も残すところわずか。弊誌の配信も、今日から年末年始の休みとさせていただきます。新年は7日から。ペダルをふんで、年をひとめぐり。

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