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ちょっと知的な雑学&トリビア

壁画

2001年11月22日 【コラム
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 ポンペイ遺跡の浴場跡から発掘されながらお蔵入りしていた壁画が公開されることになったと新聞にあった。ローマ時代円熟期の作品群。これまで非公開だったのは、絵が過激だったから。つまり春画だったわけ。
 ポンペイは訪れたことが無いが、旅行者の手記を見ていると、なるほど、もともとその手の遺物がまちのなかに目立つらしい。立派な家ほど立派な男性のシンボルを玄関に掲げたり、寝室に絵を飾ったり。
 文化の円熟とその手の芸術の円熟が並び立つのは別にめずらしいことでもなく、日本でも歌麿の『歌まくら』や北斎の『浪千鳥(なみちどり)』など、浮世絵の傑作とされる春画はよく知られたところだろう。中国でも春宮図といわれる図が残っている。日本の春画ほど局部をデフォルメすることなく、どこか全体の構図にも絵画的気配りが感じられるのは、国民性の違いかどうか。そういえば、ビデオにしてもインターネットにしても、新しいメディアの普及にはこうした側面が欠かせないという論もある。
 フランスのショーベの洞くつの壁画がこのほどの調査で約3万年前のものと確認され、教科書でよく見かけたラスコーの約1万8000万年前からずいぶんさかのぼり、最古の壁画であることが確認されたという。これが春画なら話としておもしろいけれど、描かれているのは動物の線刻画。
 3万年前から現代まで。人類はどんな対象をどんな媒体に描いてきたのか。時の流れに思いをはせる。

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3 comments to...
“壁画”
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小橋昭彦

今日の没ネタ。秀吉の没後に秀吉の朱印状(日経10月4日)。絶滅の恐れがある動物の遺伝子を冷凍保存(日経9月23日)。


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casper

 その昔、ポンペイ遺跡に行った際に、奴隷部屋にも
 春画が数多く飾られていたのが印象的でした。興奮
 させて家畜並みに数を増やすためだったらしい、と
 のガイドの解説に「なんて酷いことを」と憤りまし
 たが、なにやらずっと得心がいきませんでした。

 先頃聞いた話に、米軍パイロットの緊急脱出キット
 にコンドームが含まれているというのがあります。
 当然、実用に使うのが目的ではなく、生(性?)へ
 の執着を捨てさせないためとか。

 奴隷部屋の春画も、自分のおかれた境遇に絶望させ
 ない、生きる意欲を出させるためのものとの気がし
 てきました。


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屋形 彰男

東京でのポンペイ展では壁掛け人形の巨大な男根が燭台となっていて豊穣繁栄を意味すると説明書きされていました。
先ほど南米を旅して帰宅したところです。旅先ではメールがやっとで、Web閲覧は大分溜めてしまいました。
南米各地に店を出しているH.Sternという宝石店のリマ国際空港の免税店の通路側ショーウインドウに縦横20cmほどの素焼きの陶器で男女の生産活動中の像がありました。
リオの本店でも売っていたので、高尚なイメージで統一している会社なのでSEXに対する考えが地球の裏側では異なるようです。
本店では人差し指と中指の間に親指を挟んだ握りこぶしの肘から先の像が、大は実物大、小はキーホルダーと並んでいたので、冗談にしても土産にする勇気がなくて、何を意味するのか恐る恐る尋ねてみたら、幸運を呼ぶシンボルとか。ただしSEXとは全く無関係とのことでした。
南米では指で丸をつくるOKサインはタブーでして代わりに親指を立てろと教わりましたが、私たちのOKサインは「アカンベー」のもっと酷い侮辱を意味するものでSEXとは無関係だと聞いてきたばかりです。




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 子どものオムツがはずれて以来、ブリーフを買い与えている。子ども向けといっても色とりどりのものが揃っており、白いだけの下着が逆になんだか懐かしく感じられたり。それでふと、ぼく自身が中学に上がるときだったか、時期は忘れたが、トランクスにしようかと悩んだことがあったことを思い出す。 男性にはブリーフ派とトランクス派がある。動くときのフィット性を優先するのが前者、洋服のシルエットを崩さないルーズ性を優先するのが後者だ。さて、歴史をひも解いてみると、この二種類、ほぼ同時期、1930年代に生まれたらしい。それまでの男性の下着といえば上下つなぎで、そういう意味ではYシャツだって下着だった。 トランクスのルーツとなるルーズ性を優先したボクサー・ショーツは、従来のももひき状の下着「ズロース」の流れをくんで登場している。一方、ブリーフは、くつしたから始まった米クーパー社が、1935年1月19日に発売したのがはじまり。場所はシカゴの百貨店。猛吹雪にもかかわらず、開店から数時間で売り切れたのだとか。 商品名はJOCKEY。激しい動きでもその部分をサポートするという機能を暗示しながら、女性にはどの部分のことを示すか想像しづらいネーミングをとつけられた。商品を思いついたきっかけは、フランスの避暑地から届いた一枚のはがき。腰から太ももまでの水着で泳ぐ男性の写真にひらめいたという。画期的だったのは、フィット感をもたらしたフロント部分を二重にするデザイン。広告でもこのYフロントが強調されている。 JOCKEYは販売方法にも革新をもたらした。中が見えるようにセロファンで包装し、店員が在庫室から持ち出すのではなく、来客が店頭で手にとれるようにしたのだ。セロファン製のウェディングドレスを着て行われた下着ファッションショーも話題をよんだ。真に新しい商品は、しくみや意識にも革新をもたらすということなのだろう。

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 秋も深まった一日、京都六角堂に遊ぶ。裏手の池に白鳥が泳いでいて、子どもが飽きず眺めている。そばの案内板を読んでいると、そこはいけばな発祥の地、つまり池坊。代々寺の経営管理にあたっていたのが池坊だったのだ。名前は池のかたわらに住んでいたことに由来している。 いけばなは、立てた枝を神とみる依代(よりしろ)など古代からの習慣に、仏教伝来とともに供花(くげ)が伝わって始まったとされる。着物姿で座敷に座る様子を連想するが、初期のいけばなはそんなものじゃない。のこぎりで枝を切ったり、背丈ほどの木を扱ったり。巨大な盆栽とでも表現しようか、そんなものを床(とこ)に飾っていた。立花(たてはな)とよばれたもの。 こうした取り組みを最初に理論化したのが『池坊専応口伝』で、これが池坊の歴史がいけばなの歴史に重なるとされるゆえんでもある。「野山水辺おのづからなる姿を居上にあらはし」、つまり表面上の美しさを求めるのではなく、自然にある宇宙観をひきだすものと。 いけばなはその後茶の湯のなげいれなどを経て徐々に庶民に親しみやすい形となっていき、江戸時代になって現在につながる「生花(せいか)」が広まる。明治維新で一時衰退したが、その後復興、戦後はさまざまな流派が登場、池坊や小原、草月などよく知られたもののほかに現在全国で2000ほどの流派があるともいう。花にいろいろあるように、花の美しさを引き出す流儀にもさまざまあるわけだ。「おかあさん、あっちだよう」 子どもが白鳥に声をかけている。くちばしの白い白鳥に、黄色いくちばしのいる方向を指さして。彼もまた、彼なりの流儀で自然の楽しさ、美しさを感じているのだろう。

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