ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

備忘録

2001年11月05日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 泊まったホテルでなにげなくつけたテレビで、近々放映するという聖徳太子番組の宣伝をしていた。荷物を片付けながら見ていて、ふと、彼が手にしていた長い木片は何といったか気になる。
 調べてみると、それは「笏(しゃく)」という。飯田蛇笏のよみがそうだが、本来は「こつ」と呼ぶのが正解。日本では「骨」と同じよみかただったことから避けられた。「しゃく」になったのは、木片の長さが1尺だったことから。
 笏は貴族階級が威厳を示すために儀式のときに持った。しかし、そもそもの用途は、備忘録だったそうだ。儀式のとき忘れないよう、式次第を書いた紙をはって持っておいたわけだ。聖徳太子といえば才気のある聖人のイメージだが、さて彼の笏はアンチョコとしても役立っていたのかどうか。
 笏の材料は、もとは象牙が求められたものの入手しにくいので、その後は、イチイの木で作ったものを最上とするようになった。最上、一位がイチイか、と笑ってしまうが、どうやらことは逆で、位階が正一位の人の笏を作ったからその木がイチイと呼ばれるようになったらしい。
 すこし気分を味わってみるかと紙で小さな笏を作って手にしてみる。不思議なもので、それだけで背筋が伸びる。まあ、中身が伴わないのでひとがみたら、こしゃくな奴と思うのがオチだろうけれど。あ、こちらのしゃくは笏ではないので念のため。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

3 comments to...
“備忘録”
Avatar
小橋昭彦

時刻表が商業出版物として最初に売り出されたのは19世紀半ばのイギリス(日経9月19日)。


Avatar
こま

以前、神主さんに「しゃく」の使い方を
教えていだたいだことがあります。(簡単に)
正座して「しゃく」を前に掲げてお辞儀をすると
なんだかとても気持が引き締まったことを思い出しました。

いま、書いてみて気が付いたのですが、
「しゃく」という字がない!
手書き入力しても出てこない!
くさかんむりの字だけありました。


Avatar
第三市民

子供は成人してまだ独身ですから、我が家には幼児はおりませんが、わたくし「おじゃる丸」のアニメが大好きです。

閻魔大王の「しゃく」を取り上げてしまったおじゃる丸の処に、しゃくを返して欲しいと3匹の「仔鬼」が毎日のようにやってきます。

アニメのお終いに主題歌が流れます。癒し系の子供版でしょうか?・・・秀逸です。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 昨日、公衆電話から携帯電話への流れをコラムにしつつ、携帯電話は日本人の時間感覚をすこし変えただろうか、と考えていた。以前なら何時何分にどこって厳密に決めていた待ち合わせが、最近は何時ごろにどこそこのあたりでと、おおまかに決めてあとは携帯で連絡をとりあっている。 今でこそ時間厳守の日本人だけれど、江戸時代まではそうでもなかった。そもそも時間のはかりかたが不定時法だ。日の出日の入りを基準に昼間と夜間を六等分する。当然、季節によって時間の長さが変わる。その時間を、寺の鐘などが知らせてくれる。庶民は時計なんて持っていないから、待ち合わせをしようにも、鐘と鐘の間がいまでいう約2時間だから、せいぜい30分ばかりの幅をもった見当でしかつけられなかっただろう。 そんな時間感覚を厳密なものにしていくにあたって、これは欧米でもそうだけれど、もっとも影響を与えたのが鉄道だ。鉄道を滞りなく運行するには、ダイヤに添った定時運行が求められる。また、鉄道が続くところは、各地の時刻を合わせておく必要もある。こうして、鉄道が時間革命をもたらす。日本に定時法が導入されたのは1873(明治6)年のことだが、その前年に初の鉄道が開通していたのは象徴的だ。 幕末から明治維新期にかけて日本の近代化のためにやってきたお雇い外国人は、みな日本人の時間のルーズさに嘆いたという。それもこうした背景を考えれば仕方のないことで、その後の日本人を見てもわかるように、決して人間が怠惰だったわけじゃないだろう。 いま、アフリカや南米に旅した知人らが、現地の時間感覚の悠長さを嘆くのを聞くたび、かつてのお雇い外国人の苦労をしのび、なんだか微笑をおさえられない。 ふるさとではいまもお寺で五時の鐘が鳴る。原子時計の精確さと、里に響く鐘の音と。どっちがいいっていう問題じゃないよね。

前の記事

 聖徳太子の笏について調べていて、ひとつ連想したのが木簡だった。古来、さまざまなメモを書きつけた木片。かつての人が自分で書きとめたものを今読むことができるのだから、過去から未来への伝言といってもいい。 地中から掘り出された木簡は樹脂が洗い流されて水を含んでいるから、とてももろくなっている。けっきょく水につけたまま保存するほかなかったりするのだが、最近では乾燥しつつ強化するような保存方法も開発されている。 で、その木簡だが、利用方法はさまざまだったらしい。もちろん事務連絡や記録などにも使われたけれど、落書きなど筆ならしにも使われている。荷札としても用いられていて、この利用法は戦後しばらくまであったそうだから、年配の方にとっては懐かしいかもしれない。 木簡は削って消せばまた利用できるけれど、再利用法としておもしろいのが、福岡市の平和台球場の下で見つかったもの。8世紀頃の迎賓館があったところで、さすがに各地から多くの物品が送られてきたらしく、荷札の木簡も多く見つかった。で、それがあったのが、縦約4メートル、横約1メートル、深さ4メートルという深い穴。さて、なんの穴だったか。発掘に携わった人に聞けばはやい。というのも、やたらと「におい」がした。そう、トイレだったのだ。 紙が貴重品だったころ、日本人はワラやふきの葉など、さまざまなものでお尻を拭いていた。使い古した木簡も、最後はトイレで利用されていたわけだ。先を丸めたり削ったり、尻をけがしないようにしてあったというから、念が入っている。木簡も、それなりに納得して一生を終えたのではないかな。

次の記事