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時間厳守

2001年11月01日 【コラム
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 昨日、公衆電話から携帯電話への流れをコラムにしつつ、携帯電話は日本人の時間感覚をすこし変えただろうか、と考えていた。以前なら何時何分にどこって厳密に決めていた待ち合わせが、最近は何時ごろにどこそこのあたりでと、おおまかに決めてあとは携帯で連絡をとりあっている。
 今でこそ時間厳守の日本人だけれど、江戸時代まではそうでもなかった。そもそも時間のはかりかたが不定時法だ。日の出日の入りを基準に昼間と夜間を六等分する。当然、季節によって時間の長さが変わる。その時間を、寺の鐘などが知らせてくれる。庶民は時計なんて持っていないから、待ち合わせをしようにも、鐘と鐘の間がいまでいう約2時間だから、せいぜい30分ばかりの幅をもった見当でしかつけられなかっただろう。
 そんな時間感覚を厳密なものにしていくにあたって、これは欧米でもそうだけれど、もっとも影響を与えたのが鉄道だ。鉄道を滞りなく運行するには、ダイヤに添った定時運行が求められる。また、鉄道が続くところは、各地の時刻を合わせておく必要もある。こうして、鉄道が時間革命をもたらす。日本に定時法が導入されたのは1873(明治6)年のことだが、その前年に初の鉄道が開通していたのは象徴的だ。
 幕末から明治維新期にかけて日本の近代化のためにやってきたお雇い外国人は、みな日本人の時間のルーズさに嘆いたという。それもこうした背景を考えれば仕方のないことで、その後の日本人を見てもわかるように、決して人間が怠惰だったわけじゃないだろう。
 いま、アフリカや南米に旅した知人らが、現地の時間感覚の悠長さを嘆くのを聞くたび、かつてのお雇い外国人の苦労をしのび、なんだか微笑をおさえられない。
 ふるさとではいまもお寺で五時の鐘が鳴る。原子時計の精確さと、里に響く鐘の音と。どっちがいいっていう問題じゃないよね。

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7 comments to...
“時間厳守”
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小橋昭彦

遅刻の誕生』この本はおもしろいです。日本人の時間意識形成について、より詳しく知りたい方はぜひどうぞ。なお、職場での就業時間意識という意味では、テイラーの「科学的管理法」の導入が大きいです。


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小橋昭彦

没ネタ。聞き取る能力判断に「アサメシ」「アミハン」などの言葉を使った方法開発(朝日9月19日)。アートセラピー、1960年代米国で確立(日経8月11日)。


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あらあら

こんにちは、いつも小橋様の素敵な、言い回しに感動しています。そもそも日本人は、郷にいれば郷に従う、というか、環境によって、自分をカメレオンのようにかえられる、民族かな、と思います。よって、時間感覚等、西洋から入ってきた、慣習にすぐ慣れ、いまでは、悠長な時間感覚を持った人々にいらいらしたり、羨望の眼差しを注ぐのでしょう。でも、結局、100年前の自分達なのにね・・


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TAKORA

まだ小学3年生だった頃、門限は5時だった。5時には農協のサイレンが大きな音で近隣に鳴り響く・・・農家の人たちがサイレンで家路に着くのが普通だった。

ある秋の日、隣村の友達と遊び、農協の大時計を見ると5時まで後2分!さよならの挨拶もせずに家まで駆け出した!
村と村の間は田んぼの中の未舗装のバス道が一番近い。
時々、車が通るから本当は通ってはいけないクルマ道をゴロゴロ転がっている石に足をとられて、転びそうになりながら走り続けた。村が遠くに見えたとき無常にも農協のサイレンは鳴り始めた。
鳴り止まないことを祈りながら走るが、村までの一本道はまだ遠い・・・西の山に日が沈み真っ赤な夕焼けの中、なにか悔しくて泣きながら走り続け、家に帰り着いた。
おかあちゃんは門限に遅れたことを咎めず、
「手ぇあろといで。おなかすいたやろ。イモ食べるか」
と、五右衛門風呂のかまどから出した焼いもをくれた。
私の人生であのときほど必死で時間と競争したことは無い。
今でも約束の時刻に遅れそうになると、30年前の土ぼこりの一本道を思い出し、無性にあせる自分がいる。少しくらい遅刻しても相手は許してくれるのだろうけど、何か息苦しい気持ちになる。


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こま

近代以降時間感覚がいかに変わり
いかに人間から時間の自由とゆとりがなくなったか
という話を聞くと、いつも
ミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出します。
何度読んでもいい本ですね。

私は、1に健康と体力、2に時間、3にお金、
これらが一定レベルで揃えば
人間、好きなことができて楽しく暮らせると思っています。
でも、どれかがあってどれかがない。
学生のときは1と2があっても3がなくて、
最近は1と2がなくなったと思っています。
3拍子揃った年寄りになりたいな・・・。


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あるまま

時間(時計)を気にしない暮らしを一度してみたいですね。


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小橋昭彦

以下、ちょっとした実験です。




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 携帯電話の普及で、公衆電話の台数はピークだった1984年の約94万台から急減、現在は全国で約71万台という。 公衆電話が日本に初めて登場したのが1900年のこと。今は別の意味あいで重い日となった、9月11日だ。場所は新橋駅と上野駅。それまでは電話所に行って頼まなくてはいけなかったのが、人手を介さずにかけられることとなった。同じ年、現在の銀座1丁目交番付近に、最初の公衆電話ボックスが登場している。扉には「自働電話」。 自分で働くといっても、実際には受話器をとって交換手と話すことになる。交換手の指示で、お金を入れる。10銭か5銭。投入口が違っていて、入れると10銭は「ボーン」、5銭はゴングのような「チン」という音がした。その音を聞いて交換手が投入額を判断、通話先につなぐ。 最初の電話ボックス、形は六角柱、屋根の下がくびれた灯台のような姿をしている。港から港へのみちしるべとなる灯台、人から人へのコミュニケーションをつなぐ電話ボックス。確かにどこか共通性があるような気がしないでもない。 公衆電話時代の青春像っていうのもある気がする。六畳ひと間の共同アパート、アパートのピンク電話はたいてい誰かが長電話で使っているから、寒い冬の夜、しっかり着こんで、小銭をポケットに街角の電話ボックスまで小走りにかけていく。午後11時、自宅に住む彼女には時間を合わせて電話の前で待ってもらっている。硬貨をいれて、番号をまわす。すぐに出てくれるだろうか、呼び出し音が鼓膜に響く。1回、2回。葉の散った街路樹を見ている。カチャ、硬貨が吸い込まれる音がする。

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 泊まったホテルでなにげなくつけたテレビで、近々放映するという聖徳太子番組の宣伝をしていた。荷物を片付けながら見ていて、ふと、彼が手にしていた長い木片は何といったか気になる。 調べてみると、それは「笏(しゃく)」という。飯田蛇笏のよみがそうだが、本来は「こつ」と呼ぶのが正解。日本では「骨」と同じよみかただったことから避けられた。「しゃく」になったのは、木片の長さが1尺だったことから。 笏は貴族階級が威厳を示すために儀式のときに持った。しかし、そもそもの用途は、備忘録だったそうだ。儀式のとき忘れないよう、式次第を書いた紙をはって持っておいたわけだ。聖徳太子といえば才気のある聖人のイメージだが、さて彼の笏はアンチョコとしても役立っていたのかどうか。 笏の材料は、もとは象牙が求められたものの入手しにくいので、その後は、イチイの木で作ったものを最上とするようになった。最上、一位がイチイか、と笑ってしまうが、どうやらことは逆で、位階が正一位の人の笏を作ったからその木がイチイと呼ばれるようになったらしい。 すこし気分を味わってみるかと紙で小さな笏を作って手にしてみる。不思議なもので、それだけで背筋が伸びる。まあ、中身が伴わないのでひとがみたら、こしゃくな奴と思うのがオチだろうけれど。あ、こちらのしゃくは笏ではないので念のため。

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