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ちょっと知的な雑学&トリビア

あやしげな記憶

2001年10月30日 【コラム
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 ありもしないことを見たと主張する人。ウソをついているつもりじゃなく、真実そうだと信じているらしい。めったにない誤解だろうか。
 たとえばディズニーランドに遊びに行った100人のうち30人から40人が「バッグス・バニーに会った」なんて言ったら、あなたはそれを信じるだろうか。バッグスはワーナー・ブラザーズのキャラクターで、ディズニーランドにいるはずがないのに。30人に見たと断言されては、友情出演でもしたかと思わざるを得ないかもしれない。
 ところが、そんな記憶さえ、かんたんに作り出せる。実験を行ったのはワシントン大学のピックレルとロフタス。120人の被験者を4つのグループに分け、うち1つのグループにはバッグス・バニーが載った偽のディズニーランドのパンフレットを読ませる。もう1つのグループには切り抜き人形まで見せる。すると、偽のパンフレットを読んだグループでは3割、人形まで見たグループでは4割もの人が、ディズニーランドでバッグスにあったと後に答えたのだ。なかには握手をしたとまで言う人も。
 ネッシーが話題になるとネッシーを見たという人が増え、円盤が話題になると発見報告が相次ぐ。それらも、もしかすると同じような背景で記憶が作られたのかもしれない。過去は変えられないというけれど、実際にはこうして、記憶の中でぼくたちは過去を改変してしまう。
 そして、考えてみれば、過ぎ去ってしまった以上、ぼくたちの手もとに残るのは記憶しかないわけで、たとえばバッグスにあったと信じている30人が集まって、「かわいかったね、いたずらウサギ」なんて思い出話をはじめたりする、とそこにもうひとつの過去が立ち現れ、それは多くの人に確認された事実として記憶される。こうしてぼくたちは歴史を歩んできたのかもしれないと、なんだかちょっと怖くなったりもしたのでした。

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4 comments to...
“あやしげな記憶”
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小橋昭彦

ディズニーランドでの研究については、「Bugs at Disney? Not on your life doc」にレポートされています。また「A Demonstration and Comparison of Two Types of Inference-Based Memory Errors」も同様のにせの記憶にかんする研究です。


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箭内克俊

記憶は一人だけのものです。怖れも一人だけのものです。喜びも一人だけのものです。


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小橋昭彦

うむ。それは確かにそのとおりですね。だけどそれを共有できるのも人間かなって思ったりします。ちょっと形而上的なやりとりになっちゃってるかもですが。


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屋形 彰男

電車のなかで痴漢を捕まえたと思っている女の子は、人違いかも知れないなどとは考え及ばないのでしょうね。
冤罪を晴らすのに2年かかり一流企業の職も失ったというサラリーマンの書いた本には、やましいことはやっていないのだからと「堂々と」駅長室に行くべきではないと書いてあるそうです。
裁判の結果、背丈の違いでかがめない場所では手が届かないという決定的証明で冤罪が晴らされていますが、それ以外の冤罪はどれほどあることか。
裁判で無罪となった場合、「加害者」となった女の子は「被害者」に償っているのでしょうか。
多分、彼女らはまだ裁判の結果に納得がいかないと思っているのでしょうね。




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 理系は苦手っていうひとが多い気がする。だけど半年ほど前にコラムに関連して行った投票では、小学校時代に好きだった教科は、「算数」っていう人が多くって、「理科」という人がそれに続いていた。 たしかに、文系に進んだぼくだって子どものころは理科の時間が楽しみだったわけで、さていつから苦手意識が芽生えたのだろうって考える。そんなおり、『知のミネラルウォーター』という、科学誌と連動した書籍を手にして、科学のおもしろさってこんなところにあったんだ、とあらためて気づいた。 そこには、ムカデの足は南ほど多いとか、耳あかで乳がんの危険性がわかるとか、西洋人が大声で話すときは西洋音楽でよく使われる音階で話すとか、サナダムシは200万年くらい前に人類がアフリカの草原で狩った獲物から感染し、それが1万年ほど前に人類から家畜にうつり、いま逆に家畜からうつされているなど、コラムのネタになりそうな話があふれている。 もっとも、コラムのもとにこの手の総覧的な書籍を用いることはしていないので、ここでは書籍そのものを紹介しちゃっておしまいにするのだけれど、ともあれ、日常生活の意外な側面を発見する喜び、これって科学そのものだな、とあらためて感じたのだ。 ぼくが理科から離れはじめたのは、化学式などなどが登場して、なんだか部品の話に思えてきたころからだったろうか。世界を探求するんだという喜びを忘れちゃいけなかったなあ、といま反省している。 先日訪れた国立科学博物館の科学体験室で説明してくれた職員さんの目の輝きを思い出し、なんだかまたフツフツと科学心が湧き出している。科学少年の日から四半世紀もして、またぞろ科学誌を定期購読しようとしたりもして。

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 携帯電話の普及で、公衆電話の台数はピークだった1984年の約94万台から急減、現在は全国で約71万台という。 公衆電話が日本に初めて登場したのが1900年のこと。今は別の意味あいで重い日となった、9月11日だ。場所は新橋駅と上野駅。それまでは電話所に行って頼まなくてはいけなかったのが、人手を介さずにかけられることとなった。同じ年、現在の銀座1丁目交番付近に、最初の公衆電話ボックスが登場している。扉には「自働電話」。 自分で働くといっても、実際には受話器をとって交換手と話すことになる。交換手の指示で、お金を入れる。10銭か5銭。投入口が違っていて、入れると10銭は「ボーン」、5銭はゴングのような「チン」という音がした。その音を聞いて交換手が投入額を判断、通話先につなぐ。 最初の電話ボックス、形は六角柱、屋根の下がくびれた灯台のような姿をしている。港から港へのみちしるべとなる灯台、人から人へのコミュニケーションをつなぐ電話ボックス。確かにどこか共通性があるような気がしないでもない。 公衆電話時代の青春像っていうのもある気がする。六畳ひと間の共同アパート、アパートのピンク電話はたいてい誰かが長電話で使っているから、寒い冬の夜、しっかり着こんで、小銭をポケットに街角の電話ボックスまで小走りにかけていく。午後11時、自宅に住む彼女には時間を合わせて電話の前で待ってもらっている。硬貨をいれて、番号をまわす。すぐに出てくれるだろうか、呼び出し音が鼓膜に響く。1回、2回。葉の散った街路樹を見ている。カチャ、硬貨が吸い込まれる音がする。

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