ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

科学のこころ

2001年10月29日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 理系は苦手っていうひとが多い気がする。だけど半年ほど前にコラムに関連して行った投票では、小学校時代に好きだった教科は、「算数」っていう人が多くって、「理科」という人がそれに続いていた。
 たしかに、文系に進んだぼくだって子どものころは理科の時間が楽しみだったわけで、さていつから苦手意識が芽生えたのだろうって考える。そんなおり、『知のミネラルウォーター』という、科学誌と連動した書籍を手にして、科学のおもしろさってこんなところにあったんだ、とあらためて気づいた。
 そこには、ムカデの足は南ほど多いとか、耳あかで乳がんの危険性がわかるとか、西洋人が大声で話すときは西洋音楽でよく使われる音階で話すとか、サナダムシは200万年くらい前に人類がアフリカの草原で狩った獲物から感染し、それが1万年ほど前に人類から家畜にうつり、いま逆に家畜からうつされているなど、コラムのネタになりそうな話があふれている。
 もっとも、コラムのもとにこの手の総覧的な書籍を用いることはしていないので、ここでは書籍そのものを紹介しちゃっておしまいにするのだけれど、ともあれ、日常生活の意外な側面を発見する喜び、これって科学そのものだな、とあらためて感じたのだ。
 ぼくが理科から離れはじめたのは、化学式などなどが登場して、なんだか部品の話に思えてきたころからだったろうか。世界を探求するんだという喜びを忘れちゃいけなかったなあ、といま反省している。
 先日訪れた国立科学博物館の科学体験室で説明してくれた職員さんの目の輝きを思い出し、なんだかまたフツフツと科学心が湧き出している。科学少年の日から四半世紀もして、またぞろ科学誌を定期購読しようとしたりもして。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

5 comments to...
“科学のこころ”
Avatar
小橋昭彦

書籍は1000円です。おもしろいです。こちら『知のミネラルウォーター』(Amazon.co.jp)のリンクからどうぞ。なお、書籍のもととなったサイトが、「BioNews from Nature Japan」で、これも更新が楽しみなサイトです。なお、ネイチャー誌関連では、注目の論文を掲載した『知の創造1』『知の創造2』もおすすめです。


Avatar
今村 健次

科学のお話は、大変面白く拝見させていただきました。
早速「知のミネラルウォーター」を購入しました。
近所の史跡散歩もされると住んでいるにも拘らず
こんなにも知らなかったのかと自分自身驚きの連続です。
暇があったらこれから散歩には良い季節となりますので
されてみてはいかがでしょう。


Avatar
研究員

小さいころは、理系少年でした。まわりも、理系に進学するものと思ってたみたいです。文系に進んだのは、高校1年の生物が原因です。いきなり化学式の連発で、うんざりしちゃいました。いったい、どこが生物なんだ?と思ったものです。あそこで我慢しておけばよかったかな。でも、科学は好きで、いまでも科学番組”とくに生物関係はよく見ますし、書籍もよく読みます。


Avatar
箭内克俊

科学読物研究会という活動があります。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwga/kaken.htm


Avatar
OomTagor

理系が嫌いになるのは、理系が嫌いだった先生が教えるからだって話をきいたことがあります。
私は理系、妻は文系、先生も文系だと、私が週末を中心に科学はおもしろいという話をしても、毎日、相手をする人が嫌いだと嫌いがうつりますよね。
で、残念ながら子供は2人とも文系になってしまいました。
それこそ、科学はなぜ、どうしてのかたまりですから、子供にとっては嫌いなはずはないのですが、公式はどうで、方程式はどうだから答えはこうだと押し付けるから嫌いになるんでしょうね。
私はもう50歳になるんですが、会社でも変な間違った理論でこうなるなんて、常識的におかしいことを平然と説明する社員が結構います。
科学の世界は事実がまずあってそれを理屈付けをしているんですから、理屈で世の中を動かしてるわけないということを常に自覚してないと理屈のお化けになりますよね。
科学の喜びを知らない人が増えて気の毒に思います。
もっとも、妻にいわせると、文学の世界に興味がないなんて気の毒にということらしいですが。
ことほど左様に、文系と理系人間は相容れないのでしょうか?




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 水中に電波は通らない。だから超音波による探索が重宝される。ソナーだけで敵艦の情報を探る潜水艦内での息づまるような瞬間。それを知っているような気になるのは、小説あるいはコミックスの影響だろうか。 潜水艦の探知に超音波が利用されるようになったのは1916年に超音波ソナーが開発されて以降のこと。一方、魚群探知機は、今から半世紀あまり前、日本人によって発明された。いまや漁船に欠かせない装備だ。 ちなみに、魚群探知機は超音波が反射されかえってくるまでの時間と反射波の強弱を利用して魚群を探知している。反射波が強いほど魚群の密度が濃いことは感覚的にわかるけれど、画像が大きいほど深いところにいるというのはちょっと意外かもしれない。しかし遠くからの反射ほど反射波は広がるわけだから、よく考えれば当然ではある。 人間は超音波をさまざまなことに利用している。個体内部の傷を探し出したり、ガラスなどを加工したり、電子機器部品を洗浄したり、胎児を診察したり、筋肉痛を癒したり。 ぼくたちにとって、音の役割はあんがい大きい。ゲームの場面転換を実感したり、映画のシーンで涙したりするのは、映像よりも背景音楽が寄与するところが大きいのではないか。ただ、日常生活の中で、見つめることはしても耳をすます経験は少なくなった気がする。 秋の夜長、虫の声に耳を傾けてみよう。

前の記事

 ありもしないことを見たと主張する人。ウソをついているつもりじゃなく、真実そうだと信じているらしい。めったにない誤解だろうか。 たとえばディズニーランドに遊びに行った100人のうち30人から40人が「バッグス・バニーに会った」なんて言ったら、あなたはそれを信じるだろうか。バッグスはワーナー・ブラザーズのキャラクターで、ディズニーランドにいるはずがないのに。30人に見たと断言されては、友情出演でもしたかと思わざるを得ないかもしれない。 ところが、そんな記憶さえ、かんたんに作り出せる。実験を行ったのはワシントン大学のピックレルとロフタス。120人の被験者を4つのグループに分け、うち1つのグループにはバッグス・バニーが載った偽のディズニーランドのパンフレットを読ませる。もう1つのグループには切り抜き人形まで見せる。すると、偽のパンフレットを読んだグループでは3割、人形まで見たグループでは4割もの人が、ディズニーランドでバッグスにあったと後に答えたのだ。なかには握手をしたとまで言う人も。 ネッシーが話題になるとネッシーを見たという人が増え、円盤が話題になると発見報告が相次ぐ。それらも、もしかすると同じような背景で記憶が作られたのかもしれない。過去は変えられないというけれど、実際にはこうして、記憶の中でぼくたちは過去を改変してしまう。 そして、考えてみれば、過ぎ去ってしまった以上、ぼくたちの手もとに残るのは記憶しかないわけで、たとえばバッグスにあったと信じている30人が集まって、「かわいかったね、いたずらウサギ」なんて思い出話をはじめたりする、とそこにもうひとつの過去が立ち現れ、それは多くの人に確認された事実として記憶される。こうしてぼくたちは歴史を歩んできたのかもしれないと、なんだかちょっと怖くなったりもしたのでした。

次の記事