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ちょっと知的な雑学&トリビア

残酷ということ

2001年9月04日 【コラム
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 昭和42年に出て、ぼくたちが読み聞かせてもらっていた昔話の本を、古い書棚から引っぱりだして子どもに読んで聞かせる。「かちかち山」だ。
 そして、それがひどく残酷な物語であることに今さら気づく。いたずらタヌキはおばあさんをだまし、縄を解いてもらうとひと殴り。おばあさんに化けておじいさんの帰りを待つ。帰ってきたおじいさんに「タヌキ汁ができているよ」。食べ始めるおじいさんに「たぬきじるだと だまされて ばばじるを くう じじいよ ながしの したの ほね みろ」。そこには、おばあさんの骨。
 さすがにためらいつつ読んだのだけど、テレビなどではちょっとしたけんかシーンさえ嫌う子どもも、なぜかすんなり、お気に入りの物語となった。
 新しくはじまったウルトラマンシリーズでは怪獣を倒してばかりじゃないのだとか。そんなご時世に、かちかち山の物語がどうなっていくかと思わなくもないけど、この残酷さあってこそ、悪と善の境界がはっきりする。悪が際立ってこそ、うさぎがたぬきをこらしめるシーンがいきてくるし、なにより現実ときっかり線をひいた「ものがたり」世界を宣言することにもなる。
 グリム童話なども初版はもっと残酷だったとしばらく前に話題になった。おおらかな残酷さは、物語と現実にはっきり線がひかれていた時代の遺物になるのだろうか。いまも残酷があふれる世ではあるけど、仮想現実下ではそれはただ残忍なだけ。
 かちかち山を、古い書棚から新しい書棚に移した。

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11 comments to...
“残酷ということ”
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小橋昭彦

日本にスキューバダイビングが紹介されたのは1950年代(日経7月21日)。17日の読み方、「じゅうしちにち」から「じゅうななにち」へ(朝日7月11日)。


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千葉省吾

いつも興味深く拝読させていただいています。
細かいことですが、
説によると、昔は、物語の中だけに残酷さがあり、現実には残酷さはないとのことですが、本当にそうでしょうか。
昔の方が今より、現実もずっと残酷だったように思います。
たとえば、刑罰の重さとか。
現代社会批判の延長で、そのように言っているのだとしても、公正さにかけると思います。


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第三市民

>小橋昭彦様

その物語はオスカー・ワイルド作【幸福の王子】です。

http://www.hyuki.com/trans/prince.html

日本ではアニメーションにもなりました。

私は、講談社版世界少年少女文庫の「秘密の花園」と「椿説弓張月」がいまだに
鮮やかに記憶に残っています。


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ぼぶ

子供の時、ウルトラマンが大好きでした。
カッコよく、力強い、正義の味方。

ある時、月ロケットで迷い込んできたシーボーズと言う
怪獣がいました。
夜な夜な、悲しげな声で鳴くので迷惑です。
科学特捜隊&ウルトラマンは一生懸命、
宇宙に返そうとロケットに怪獣を括り付けます。

その時、特捜隊は言ってました。
「殺さなくていい怪獣は殺さないのだ」

私はその一言に大変な衝撃を受けました。
怪獣=悪=倒す相手、でしたから。

怪獣はその後、ロケットに括り付けられ、怪獣墓場に
帰っていきました。


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匿名

一昨日の日曜日の午後、2歳になる息子と遊んでいたら、たまたま自宅の居間隅に「かちかち山」なるタイトルの絵本を発見。すぐ読み始めた。しかし読んでいる途中で、そのストーリーに「このまま読み続けていいものだろうか?」「無機質な、切れる子供の原因は…もしかすると」などなど不安や抵抗感があり、私自身勝手にストーリーを変えて読んでしまった。こんな気弱な父親でよいものであろうか。(^^;


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やよい

童話は、確かに残酷な内容もあると思いますが、読み聞かせた後の子供との会話が大切だと思っています。
最近のテレビは、勧善懲悪ではなくなってきてますし。
ヒーローも多くの悩みを抱えながら、倒すべきは倒し、何かの問題を訴えているものは問題を解決する方向にかわってきていますよね。


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小橋昭彦

千葉さん、すみません、コラムから昔は現実は残酷でないというニュアンスを汲み取られたのでしょうか、じつはその意図はなかったのです。

「おおらかな残酷さは、物語と現実にはっきり線がひかれていた時代の遺物になるのだろうか。」といったあたりでしょうか? これは物語だけに残酷があり現実にはないという意味ではなく、物語の残酷はあくまで物語の残酷として、それが現実に影響を及ぼすといった、現代さかんに言われているような心配はあまり論議されなかった、という意味です。

誤解を与えちゃいましたね。ごめんなさい。


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千葉省吾

早速のご返答ありがとうございました。
こちらこそ、重箱の隅をつつくようなことを申しまして、申し訳ありませんでした。
これからも、頑張ってください。


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諒の父

残酷な描写のある童話は「悪」の見本として機能していたのではないでしょうか?
子供に「こんな悪い事をすると、もっとひどい目に遭うのだよ」と言って聞かせるための物だったと思います。
「悪い事をすると、ひどい目に遭う」という恐怖感を深層心理に焼き付けて、悪事を働かないようにする心のブレーキを子供のうちから身に付けさせるために有効な手段だと思います。

ブレーキが効かなかったり、ブレーキの無い人達が新聞やTVニュースに「悪の見本」として沢山・・・


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たまちゃん

いつも楽しく読ませて頂いてます。

私も、2歳になる娘がいて、かちかち山の本を久しぶりに開いたとき、ちょっと衝撃を受けました。
でも、子供の頃には、そんなにインパクトがなかった。。
これは、結局のところ、それを読む年代の受け取る感受性の違いなのかな?とおもいました。

ところで、遼太郎君に再開じゃなくて、再会ですね。


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千葉省吾

15年ぶりのお久しぶりです。
カチカチ山の昔話は、確かに現実的ではないですが、それでも生々しいですよね。
ウルトラマンって、現代に即してはいますが、逆に、かなり現実と遊離していると思います。
でかいビルやクルマが破壊されるだけですからね。
昔の人は、残酷なことを考えますね。
素朴な分だけ、よけいに残酷です。
まあ、そんな重箱の隅をつつくような反論よりも、小橋さんの近況について聞けると嬉しいです。




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 ジョン・フォードの名作『駅馬車』を見返す。その戦闘シーンのスピード感は今も迫力をたもっている。主人公たちを乗せて草原を疾駆するのが馬車なら、先住民たちが山肌を駆けおりて走らせるのもまた馬だ。 それで、ふと先住民たちはいつ頃から馬に乗るようになったのかと気になった。調べてみると、アメリカ大陸と馬にはドラマチックな物語がある。1万年ほど前までウマ科動物の宝庫といわれるほどに多くいたのが、環境の変化や人間に捕獲され食べ尽くされて、8000年前までにはいなくなっていたのである。 その後、大航海時代にスペイン人が馬を持ち込み、それが野生化する。17世紀初頭のアルゼンチンの草原では、馬がうじゃうじゃといっていいほどに繁殖していたそうだ。コロンブスもまた馬を積んで新大陸に向かっている。大陸の移動手段に馬は欠かせず、その後も多くの馬が新大陸に渡り、やがて17世紀のはじめ頃までに、先住民も見習って巧みな騎乗者になっていたという。 異文化と馬の出会いといえば、十字軍のエピソードもおもしろい。十字軍は牡馬に乗っていたのだけれど、対するイスラム軍は牝馬が中心。砂漠地は飼料に乏しいので、繁殖をおさえるため、牡は種牡馬をのぞいて処分されていたのだ。十字軍の牡馬のなかには戦いの場で発情し、味方をすて敵の牝馬に身を投じたものもいたとか。 真偽のほどはしらない。ともあれ、十字軍にとって、当時から優秀とされていたアラブ馬は衝撃だったろう。 いまも馬力という表現が残るけど、産業革命が起こる前まで、つまりほんの少し前まで、ぼくたちはずいぶん馬にお世話になってきたのだ。

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 稲刈りの終わった田を見わたして、ふうと息をつく。このあと稲は乾燥させ、もみすりをし、玄米でなければ米をつき、そうして食卓に届けることになる。 親の手伝いをしてばかりで、全体にはこれまで気をつかっていなかった。それでたずねてみたところ、収量は10アールあたりおよそ400キロというところだとか。親二人に子ども一人のわが家で1カ月およそ10キロの米を消費するから、ようやく3家族を年間養えるというところか。 10アールといってもわかりにくいかもしれない、1000平方メートル。横幅10メートルなら100メートル。陸上の公認競技場の場合、直線部は9レーンあって幅11.25メートルだから、オリンピックなどの100メートル走でみんなが走っている、あの広さで核家族3から4家族を養える米がとれると、まあそんなイメージでいいだろう。 もっともわが家の場合は有機肥料だから収量は平均より少ない。地域によっても差があって、多くとれるところでは500キロなんてところもあるようだ。 ちなみに、現在の収量の背景には品種改良や栽培技術の進歩があるわけで、平安時代だと、状態がよい水田でも1000平方メートルあたり120キロ程度だったと考えられている。さらに時代をさかのぼって、米づくりの初期はどうだったか。約2400年前、縄文時代末期とみられる国内最古級の宮崎県都城市の坂本A遺跡で行われた調査の結果が発表された。 調査ではプラントオパールを数えている。稲に含まれるケイ酸体が土の中に残されたものだ。結果は、土1グラム中約2000個。上層の平安時代に比べおよそ5分の1。とすると、年間せいぜい24キロ。水田の面積は約500平方メートルというから、年間収量は12キロということになる。常食として食べるほどの量もない。儀礼用など特別な食糧として栽培した可能性があるとか。 稲作は数千年前からこうして進化してきた。稲を刈るコンバインにとびのってきたアマガエルやバッタを見つつ、おまえたちはぼくたちと米づくりの関係をどのように見てきたのだろうなと、そんなことを考えている。

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