ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

妖怪

2001年8月31日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 今日は最初に1分ほど時間を。目を閉じて、あるいは紙と鉛筆を手に、あなたなりの妖怪を作っていただけませんか。姿かたちと特徴を決めて、命名もどうぞ。
 さて、いかがでしょう。
 じつをいうとこれがけっこう難しく、ぼくも頭が堅くなったなあ、とちょっと落ち込んだ。純粋にトシのせいならいいけど、時代のせいで、みんながみんなそうだってことはないだろうな、と思った次第。このところ妖怪人気のようだけど、皮肉にも妖怪のすむ土壌は、世の中からなくなった気がしてしかたないのだ。
 このほど新たに見つかった江戸時代の絵巻から、新顔の妖怪があらわれたという。波が竜の形となった波蛇(なみじゃ)、牙と角をもった蟹鬼(かにおに)、渋い顔をした充面(じゅうめん)。有夜宇屋志(うやうやし)や真平(まっぴら)なんてのもいて、説明はないけど、さてどんないたずらをするのか気になる。
 これら妖怪の数々に、豊かなもうひとつの世界があったことを思い出す。天狗や河童から児啼爺 (こなきじじい)まで、日本にはかつて数百という妖怪が住んでいた。ぼく自身、田舎に暮らした少年時代は、妖怪世界の隣にいたのではなかったか。闇の中、風にせせらぎのような音をたてる竹やぶ、すすだらけの屋根裏の奥にかさこそと這い回るなにものか。
 妖怪が身の回りからいなくなったのは、闇がなくなったことと無関係ではないだろう。ぬばたまの夜なんて言葉も今はほとんど聞かれず、世の中リアルな恐怖ばかりで妖しさは薄れてしまった。
 それにしても、追い出された妖怪たち、いったいどこに行ったのか。満員電車の片隅やマウスの下にでも隠れていないか。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

4 comments to...
“妖怪”
Avatar
小橋昭彦

妖怪については、「妖怪世界」が詳しいです。「」「日本の妖怪」もどうぞ。また、「水木しげるの妖怪ワールド」もどうぞ。


Avatar
原 千春

妖怪って、その当時生きていた人々の性格描写のような
 気がします。
 現代の妖怪は、出没地は政界。魑魅魍魎の巣ですね。
 好物は、「利権」「お金」で、慢性の傲慢症候群。
 外務省はと言えば、魔界城ですね。
 好物は、「税金」。慢性の見栄っ張り症候群。
 現代の妖怪たちは、困った妖怪ばかりですね。  


Avatar
CtoB

「癒し」を考えたら、断然、『座敷童子』でした。
そんな、「癒し」系の妖怪キャラって考えているだけでも何となく癒されてきませんか


Avatar
てるまる

今の時代
寝起きに女性が
素顔で鏡の前に立つと
そこに妖怪が写っているそうです。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 山を上へ下へ行く「峠」。雨が下に落ちる「雫(しずく)」。神様に供える「榊(さかき)」。よくできた漢字だと思っていたら、これらは日本でその意味から作り出された和製の漢字、つまりは国字だという。 中国にない事物を表すときや、漢字で表現しにくい概念を表すとき、記述が冗長になることを避けるため、新しく漢字が作られてきた。それが国字だ。新井白石が『同文通考』で取り上げたのが81字なのに対し、在野研究家の大原望さんがデータベース化している国字は2700字。これまで知られてきた以上に、多くの国字が考案されてきたらしい。 一般に国字は訓読みだけで音読みがないとされているが、「腺」や「鋲」は訓読みだけだし、「働」には音読みも訓読みもあるので、かならずしもそうと限らない。 また、たとえば明治時代に人力車を指すものとして用いられた「俥」のように、一般に国字と思われていながら、じつは中国生まれの漢字というケースもある。たしかに人力車の意味で使うのは日本だけだけれど、13世紀頃、中国の将棋の駒を表すのにすでに用いられていたのだとか。 国字は、樫(かし)など草木に関するものや、鰯(いわし)、鱈(たら)など魚にまつわるものにも多い。鱈の字は中国に「輸出」されてもいる。昔の人は、身のまわりの自然を漢字で表そうと工夫を重ねたのだろう。 新しいところでは粁(キロメートル)や瓲(トン)など単位を表すものも知られている。もっとも最近では、パソコンで表記できる文字が限られていることもあって、新しい文字を作ろうという工夫もあまり見かけなくなった。ま、顔文字なんてのは新しい国字かもしれないけれどもね(^_^)。

前の記事

 ジョン・フォードの名作『駅馬車』を見返す。その戦闘シーンのスピード感は今も迫力をたもっている。主人公たちを乗せて草原を疾駆するのが馬車なら、先住民たちが山肌を駆けおりて走らせるのもまた馬だ。 それで、ふと先住民たちはいつ頃から馬に乗るようになったのかと気になった。調べてみると、アメリカ大陸と馬にはドラマチックな物語がある。1万年ほど前までウマ科動物の宝庫といわれるほどに多くいたのが、環境の変化や人間に捕獲され食べ尽くされて、8000年前までにはいなくなっていたのである。 その後、大航海時代にスペイン人が馬を持ち込み、それが野生化する。17世紀初頭のアルゼンチンの草原では、馬がうじゃうじゃといっていいほどに繁殖していたそうだ。コロンブスもまた馬を積んで新大陸に向かっている。大陸の移動手段に馬は欠かせず、その後も多くの馬が新大陸に渡り、やがて17世紀のはじめ頃までに、先住民も見習って巧みな騎乗者になっていたという。 異文化と馬の出会いといえば、十字軍のエピソードもおもしろい。十字軍は牡馬に乗っていたのだけれど、対するイスラム軍は牝馬が中心。砂漠地は飼料に乏しいので、繁殖をおさえるため、牡は種牡馬をのぞいて処分されていたのだ。十字軍の牡馬のなかには戦いの場で発情し、味方をすて敵の牝馬に身を投じたものもいたとか。 真偽のほどはしらない。ともあれ、十字軍にとって、当時から優秀とされていたアラブ馬は衝撃だったろう。 いまも馬力という表現が残るけど、産業革命が起こる前まで、つまりほんの少し前まで、ぼくたちはずいぶん馬にお世話になってきたのだ。

次の記事