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ちょっと知的な雑学&トリビア

鍼と灸

2001年7月09日 【コラム
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 鍼(はり)、灸(きゅう)は、それぞれ国家資格になっている。別の資格ではあるけれど、ツボをどう刺激するかという違いなので、学ぶときも並行して学ぶことが多く、両方の資格をもっている人が多い。
 鍼師制は701年の大宝律令にも設けられているというから、日本にも古くから伝えられた様子。戦乱の時期には外科領域にもおおいに活用され、また江戸時代には、お灸は民間療法として広まる。西洋には日本語のもぐさからとって、moxaとして伝わっている。
 中国での歴史はさらに古く、最古の医書とされる『黄帝内経』にも鍼灸治療について詳しく触れられている。お灸はおよそ3000年前に発祥、鍼にいたっては新石器時代にも先のとがった石で行っていたという説もある。
 祖父が「やいと」をすえていた光景は今でも覚えているが、父母はもっぱら湿布薬。明治期以降、西洋医学が重視され、東洋医学がおしやられたという事情はあるにせよ、むしろ、もぐさが燃えていくあのゆったりした時間を過ごす余裕がいまの時代から消えてしまったのかもしれないと思う。
 懲らしめるの意味でお灸をすえるというのは、職業への偏見を生むといった論議もあった。肌にやさしいお灸も登場し、さいきんではそもそも「お灸をすえる」ということば自体、使うことがなくなった。
 パソコンに向かう日常、目の疲れや肩の凝りが心配にもなる。西洋医学より、マッサージや鍼灸が恋しくなるひととき。次世代には、「お灸をすえる」は新しい意味を持つようになっているかもしれない。

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2 comments to...
“鍼と灸”
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小橋昭彦

お灸については、「はりきゅうどっとこむ」「東京都鍼灸師会」「翁鍼灸院」「中国民俗学と鍼灸」などをどうぞ。


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上田 次郎

何時も楽しく読まさせて頂いています。
私のメールアドレスが変わりましたので、宜しくお願い
致します。
jueda@skyblue.ocn.ne.jp
  
 新  uk114767@mx.cable-net.ne.jp 




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 立ち寄った土産物屋に万華鏡が並んでいた。さっそく3歳の息子に覗かせる。「きれいやろ」「きれい」。言いながら、すぐ棚に返している。あんがい感動が少ない。 万華鏡はイギリスが発祥地。イギリスの物理学者ブルースターが1816年に発明、特許を申請している。なんでも灯台の光を遠くまで届かせる構造を考えているうちに作ってしまったとか。 カレイドスコープという名前も、このときブルースターが考えたもので、ギリシア語をもとにした「美しい形を見るもの」という意味の造語だ。確かに、その美しい模様は見るものの息をのませる。 土産物屋に並ぶのは3枚鏡の万華鏡が一般的だが、鏡の構造としてはほかにも2枚鏡や4枚鏡などもある。2枚鏡の場合、あと一辺は黒紙などで反射をおさえておく。鏡の角度を45度であわせれば四芒星、30度なら六芒星と、あわせ方で形が決まる。どんな「具」を入れるか、それをどのような鏡の組み合わせで見せるかが、万華鏡作家の腕の見せ所だ。 日本で万華鏡が最初のブームを迎えたのは1891(明治24)年から翌年にかけてのこと。製作そのものは1819年には日本でもなされていたと記述に残っており、発明からはや3年で日本にも伝わっていた様子がわかる。それほど、世界の人の心をとらえたのだろう。 土産物屋から食事をしての帰り道、すっかり日は落ち、空には月と火星が並んで輝いている。ときにそれを見上げ、ゆっくり歩いて帰るひととき、家のそばで、息子がひとこと「お月さん、ここまでついてきたねえ。ぼくのこと好きなのかなあ」。そうか、彼にとっては手にして覗き込む小さな空間ではなく、この世界そのものが万華鏡なのだ。

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 宇宙飛行士の若田光一さんがスペースシャトル内でキャッチボールをした光景は覚えていらっしゃるだろうか。なにげないように見えて、脳と意識に関する深い事実が隠れているらしい。 1998年のスペースシャトルの飛行で、フランスとイタリアの研究者がキャッチボール実験をしている。1.6メートルの高さから速さを変えてボールを落とす。地上ではボールの到着と筋肉の動きのタイミングが合っているのに、飛行3日目の実験ではわずかに筋肉の動きが早い。重力によって加速されることを前提に動かしてしまったからと考えられている。脳は、無意識に重力の影響を計算しているわけだ。若田さんのことばにも、まっすぐ投げようとすると無重力空間では上のほうに投げてしまうとあった。ぼくたちも、ふだんは重力の影響を考えて投げている。 このところの脳研究の結果、色や形から見ているものが「何か」を知る信号と、位置や動きから「どこか」を知る信号は脳内で別の経路をたどることもわかっている。 幼いうちに失明したのち、長じてから「開眼」手術を受けた人は、遠くのものが小さく見えること、立体が見る方向によって違う形に見えることに驚きを覚えるという。「何か」と「どこか」という情報が統合されないからだろう。コーヒーカップが上から見ると丸いのに、斜めから見ると楕円であることの不思議。 考えてみれば、見るものはそのままにしてある、と信じていることのほうが不思議なことかもしれない。視覚だけに頼らないこともたいせつか。拙著『最新雑学の本』も、音訳を進めていただいています。

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