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サッカーとけが

2000年12月29日 【コラム
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 スポーツに伴う障害の中で多いのは手指のけが、次いで足首のねんざだという。もちろん競技によって差があり、バスケットボールだと足関節ねんざがもっとも多く、手指の骨折とねんざがそれに次ぐ。軟式野球では手指の骨折がもっとも多く、足関節ねんざがそれに次いで、さらに手指のねんざ。
 手でボールをさわらないのが基本のサッカーでも、手指の骨折は障害の第3位に入っているとか。もっとも、圧倒的に多いのは、やはり足のけが。次いで頭のけがだ。
 Jリーグの障害報告書のデータによると、けがの発生率は1試合平均で1人弱。うちわけは、1999年の場合65%が足のけがで、19%が頭のけが。足のけが率が60から70%というのが、サッカーらしい数値だとか。
 ところが、Jリーグ発足当時の1993年を見ると、足のけがは全体の48%、これに対し、頭のけがが25%もあるという異常値だった。発足直後の熱狂の中、多くの観衆に囲まれて選手が興奮状態で激しいプレーをしていたのではないかと推測されている(朝日11月29日)。
 試合中のけがの2割が相手の反則プレーによるものともいう。けがひとつにも、選手の心理や審判技術が透けて見える。

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3 comments to...
“サッカーとけが”
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小橋昭彦

スポーツとけがの関係については、「スポーツ医学に強くなろう」をどうぞ。


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ゆん

サッカーの試合中に足をおかしくしてしまったのです
が、けがの名称がわかりません、。右足で、思いっき
り走ろうとすると力が入らなくてひざがかくっとなっ
て体重を支えきれなくなってしまいます。整形外科に
行ったら、膝に水がたまってはれている。と。もらっ
た薬と湿布などで小走りするくらいならできるのです
が、部活ができません。足がかくっとなってしまうの
も治ってないし、違和感があります。一体なんのけが
なのでしょうか?


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しん

靴を変えたとたんに足のインサイドのぼっこっとで手いる骨が痛いんですけど・・・・




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 庶民の家に台所が登場するのはそう昔の話ではない。せいぜい江戸時代後期以降のこと。それ以前、火を通す料理は囲炉裏でしていたものだし、かまどは土間、流しもまた離れたところ。調理は切盤(きりばん)と呼ばれる大きなまな板を持ち運び、適当な場所で行っていたのだとか。 ダイドコとカッテがある民家においては、ダイドコは土間のこと、カッテは囲炉裏のある板間を意味することが多い。特に関東ではダイドコロは料理とは無関係。カッテの方が厨房を意味する。 台所という言葉は鎌倉時代ごろから使われていたそうだが、もともとは食器を載せるために利用された足つきの台をしまっておく台盤所から派生した言葉ともいう。一方の勝手は食糧を意味するカテ(糧)からきているともいい、そうすると語源的にもやはりカッテの方がいまのキッチンに近いか。 台所が大きく変化したのはここ100年のこと(日経11月26日)。ことに大正期に作業の合理化が唱えられ、コンロやナガシ、調理台などが一体化されていった。いわゆる「文化流し」、現在のシステムキッチンへの一歩だ。 数年前、わが家の台所も改築し、対面式のキッチンのあるフローリングの部屋に変わった。親とテーブルを囲み、おまえが子どものとき土間に降りてかまどの灰を食べて困ったよ、なんて言われつつ、さて、自分の子どもはこのダイニングキッチンでどんな思い出を持つのかと、遠い気持ちになる。

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 世界での食用缶詰の生産量は年間約800億缶(2300万トン)という。種類は1200種類、日本では800種類ほど。製造原理が発見されたのが1804年、フランス人のニコラ・アペールによってなので、およそ200年でここまで育ったわけだ。 そもそも缶詰の原理は、ナポレオンが政府に懸賞金付で募集するよう命じたのがきっかけで生み出された。ヨーロッパ戦線を拡大するにあたって、兵士の戦闘力を維持するために、豊富で新鮮美味な食糧を大量供給する必要性を感じていたのだ。アペールが受け取った賞金は1万2000フラン。 アペールの作ったのはびん詰だが、ブリキ缶は1810年、イギリスのピーター・デュランが発明している。日本では、1871(明治4)年に長崎の通訳だった松田雅典がフランス人の手ほどきで試作したのがはじまり(日経11月30日)。イワシの油漬だった。 缶詰をはじめて意識して食べたのは小学校低学年のころ、学校での宿泊のとき。缶詰持参とあったので、そのために買ってもらって荷物に詰めた。確かマグロだったか、ずいぶんおいしいものだと感じた記憶がある。 いま、缶詰は国民ひとりあたり年間約40缶を消費している計算。わが家でもときにお世話になるが、四半世紀以上前のあの一缶のおいしさに匹敵するものには、ついぞ出会わない。

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