小橋 昭彦 2001年5月14日

 連休は実家に帰って田植を手伝う。といっても田植機を運転するのが主な役割。適度な深さに、そしてまっすぐ植えることに気づかう。ゆがむと収量や秋の刈り入れの苦労につながるから。たった今の自分の行為が、数ヵ月後の命運を直接的に左右する。日常生活であまり経験しない感情だ。
 日本の稲作は縄文末期から弥生初期にかけて大陸から伝わったのが始まりとされる。温帯型が中心といわれてきたが、このところのDNA分析の結果から熱帯型も確認され、弥生期の稲作は温帯型と熱帯型が混在しながら展開されたことが明らかにされてきている。
 以来およそ3000年。いま、日本人の米の消費量は減少の一途をたどり、農家は生産調整を強いられている。わが家の米も減反のため、消費者からの注文すべてには応じられないのが現状。
 さいきんでは減反強化対策として、飼料用のイネを作る動きも拡大している。つまりウシが食べるためのイネ。意外な気もするけど、農耕とウシは最初から深い仲にあるわけだし、相性はいいと考えるか。
 召しあがるという尊敬表現のメシ、あるいは敬語として「御」をつけたゴハン。ほかの料理は皿に盛るというのに、ご飯だけはよそっていた、つまり装ってもいた。言葉にも、ぼくたちが米をたいせつにしてきたことがしのばれる。日々口にできることの、そのありがたさ。それだけは忘れないでいたい。

3 thoughts on “イネとウシ

  1. イネとウシ の中で、「ご飯をよそる」は装っているという記述がありますが、
    洒落で書かれたのか、とも思いましたが、一応疑問があったので、一言。
    ご飯は、1杯目は「つける」と言い、2杯目以降(お代わり)は、「よせる」
    (つまりよそる)と言う。お代わりをお願いする時には、茶碗を空にせず、
    少し残してお願いする。だから、「よせる」だと言う話しを聞いたことがあるの
    ですが、この話しは、ガセですか?間違いですか?
    ちょっと疑問に思いました。

  2. 小学館の国語大辞典では、「装る(よそる)」は「装う」と「盛る」が混交してできた、とあります。「寄る(よそる)」とは項目が分けてあるので、別だろうと判断しました。岩波の広辞苑でも同様です。
    ただ、混交するとき、「寄る」の影響がなかったかどうかまではわかりません。yujiさんのご意見を間違いとまでは、ぼくにはいえません。

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