物性物理学の沢田功さんが「およそ数学」を薦める著書で、40人がいるクラスでも、高校生たちが占める体積は教室の0.8%にしかならないと書いていて、おもしろいなあと思った。満員電車ならそんなことはなかろうと、さっそく自分でも計算してみる。
まずは電車の体積だが、車両サイズを横幅2.8m、長さ20m、高さ2.5mとするなら、床面積は56平方m、体積はそれに2.5をかけて、140立方mになる。これが分母。
満員とはどのくらいの人数が乗ったときか。乗車率250%というのが身動きができない状態ということらしいけれど、このとき、一つの車両におよそ350人が乗っているという。ちょっとしたホール並みの人数が押し込められているわけで、これだけでげんなりしそうになるが、ここはひとつ、それらの人が占める体積を求めよう。ウェストの平均を65cmとして、およそ半径10cmの円柱と考える。断面積は0.0314平方mだ。身長は平均170cmとして、体積では0.05338立方m。これが350人分だから、面積にして10.99平方m、体積にして18.7立方m。
だから結果は、身動きできない電車の中でも、人が占める空間は、面積比で20%、体積比で13%しか占めていない計算だ。あまりに少ないので、1立方mあたり985kgという人の密度をもとに、およそで出した体積から体重を求めたのだが、約50kgになるから、ほぼあっている。
ためしにと、肩幅40cmを直径にした円柱になっていると仮定して計算すると、面積比で約8割、体積比で約5割となった。こちらは実感に近い。どうやらぼくらは、肩幅を基準に自分の空間を感じとっているようだ。ついでなのでこの半径20cm、身長170cmの場合の体重を求めると、206.8kgと出た。朝の通勤電車でぼくたちは、KONISHIKIのような気分でおしあいへしあいしているってわけ。それを想像したら、肩の力も抜けるんじゃないか。いや、むしろ息がつまる?
参考書として、『水平線までの距離は何キロか?』をおすすめ。コラムでふれた「およそ計算」のほかにも、ぼくが見ていた水平線と、肩車した子どもが見ていた水平線で、1キロも違っていたなんてびっくりの発見もありました。「副題を読む:水平線までの距離は何キロか?―文系でも楽しめる「およそ数学」の世界 」でレビューしています。
電車の乗車率と定員については、「鉄道用語の基礎知識:乗車率」の一覧がわかりやすくまとめてくれています。車両サイズについては、「広島電車カンパニー 車両紹介」や「鉄道車両データ集」など複数のページを参考にしました。
満員電車の空間解析について、主観および客観的観点からとりまとめた本コラムは、物事のとらえ方について再認識させられました。あくまでも主体者としての人間が感じることと数字による客観的判定がこれまでちがうとは・・。一方で、数字が示す妥当性にも納得。特に肩幅による人間の主観との考察はただただうなずくばかりです。・・・こんなことを考えていると、昨今話題の裁判員制度による客観的判断(となっているはずですが)にもどこかで視点を変えた本当の意味での客観的判定を導入しておく必要があるのではないのかと思われてなりません。果たして主観の固まりである人間(特にこのようなトレーニングを受けていない一般人)に厳正な判定ができるのかはなはだ疑問に感じざる得ません。
ななパパさん、ありがとうございます。
最近、たぶん人間である以上、まったくの客観的立場ってとれないんじゃないかなあと思うんです。
その上で、自分の抱いている観点が、主観であって客観ではない(相手の主観とは違う場合が多い)という冷静な判断をしておくことが、なにより大切だなあと。
このところ、自分の主観が客観的正義であると思っている人が多いように思いませんか?
小橋さん、こんにちは。おっしゃる通り、昨今自分中心主義的な(いわゆる自己チュー)やりとりを目にすることが多いですね。私も人のことは言えないのかもしれませんけど・・。自分の中で一つ筋の通った信念を持つことは、はっきりと自分の意見が言えるという点では非常に重要なのですが、一方で、その常識的な主観(客観的正義)が必ずしも他人にとっての常識ではないケースのときが問題です。しかし、それが非常識であるか否かを誰が判断できるのかということも別の問題としてあるでしょう。何が真で何が偽なのか?客観的正義の判定はその時代の環境にも大きく依存しますし、なかなか難しい問題です。高度情報化社会のなかで、誰もが知りたいことを容易に手にし、自分自身で判断することができるようになった今、私たちはこの無限に近い多数の情報から、いかにして客観的正義につながる情報を身につけていけるかにかかっているのでしょう。いやーほんと難しいですね。
小橋さん。ななパパさん。仰るとおりです。
数字で表せば一目瞭然ですね。
でも、「お金」ってモンが絡むと「支払う側は受け取る側を愚かだと思っている」ようです。
ボクの業界だけだと、いいのですが。
主観が入ると客観的な数字の評価まで変わっちゃう。