小橋 昭彦 2008年2月9日


 副題にある「先コロンブス期アメリカ大陸」と言われてぼくの脳裏にまっさきに浮かぶのは、テオティワカンだ。今確認すると1975年の版とある、『テオティワカン』と題された写真付の書籍がある。親に無理を言って買ってもらったのだったと思う。
 紀元前から、このように大きな都市がメソポタミアにあり、最盛期には十万人を超える人が暮らしていたことを紹介したこの書籍を、子ども時代に眼にしていたのは幸福であった。
 それでもやはり、ぼくにとってテオティワカンは例外だった。たとえばアマゾンは未開の、そして原始の大自然としてぼくはイメージする。
 しかし、それはほんとうに正しいのだろうか。著者が言うところの「ホームバーグの誤り」をぼくもまた、おかしていたのではないか。
 アラン・A・ホームバーグは、1950年に『長弓の狩猟民族』を著した当時若い学者だった。彼は、ボリビア共和国のベニ県に暮らすシリオノ族と生活をともにし、彼らを「世界でもっとも文化的に遅れた人々」と書いた。その書籍が南米先住民の暮らしを紹介する優れた本として今に続く影響力を保っているため、多くの人が「ホームバーグの誤り」に陥っている。
 この誤りを正し、最新の研究成果を織り交ぜながら、コロンブス以前の南北アメリカ大陸の様子を、チャールズ・マンは描く。
 彼が、ホームバーグ以降の「新発見」を紹介しつつ正しているのは、次の3点だ。
 ひとつは、先コロンブス期のアメリカ大陸に住んでいた人口。
 ぼくたちはえてしてコロンブス以前のアメリカを、少数民族が点在する大地だったと考えがちだが、実は当時のヨーロッパの人口を上回る人々が住んでいたという。
 もうひとつは、彼らの起源だ。
 アメリカ大陸先住民の起源に関して、「定説」とされてきたのは、1964年にヴァンス・ヘインズがサイエンス誌に発表した説。それは、約13,000年ほど前にカナダを縦断する「無氷回廊」ができ移動が可能になったとする。その限られた期間を利用して、新大陸に渡ってきた人々が、クローヴィス石器に見られる文化を築き、広がったのだという。しかし実際には、それよりはるか前の遺跡が南北アメリカからは見つかっている。
 そして最後のひとつは、「無垢の大自然」幻想だ。
 ぼくたちはインディアンにしろインディオにしろ、自然とうまくつきあってきたと考えている。しかし実際には、彼らとて自然を改変し、ときには大都市を築いていた。ぼくにとってはことにこの「大都市」に関する部分が新鮮だった。
 定説が守られてきた背景には、アメリカの考古学会の権威主義がある。
 コロンブス以前のアメリカ大陸に巨大文明があったと発表するのは、権威に逆らうことを意味していた。また、インディオらが環境破壊をしていたと主張することは、権威ではなく、別の方面の人たちから非難を受けるおそれもあった。
 こうして、ぼくたちはずっと「ホームバーグの誤り」の中にいたのだ。
 これら誤りを正し、コロンブス以前のアメリカ大陸の姿をあきらかにする筆致はなめらかで、ぐいぐい引き込まれる。
 彼らを滅ぼしたのは、コルテスらヨーロッパ人だったとされる。しかし、当時の銃は弓よりも射程距離が短かったし(これは知らなかった)、必ずしも武力だけの勝負だったわけではない。むしろ、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病がアメリカ大陸の多くの命を奪い、それが先住民族間のバランスを崩し、自滅していった面がある。
 四大文明なんてぼくたちは教科書で習ったけれど、それは地球の半分しか見ていなかった言葉ではなかったか。そんな思いを抱きつつ読みすすめたことだった。

Leave a comment.

Your email address will not be published. Required fields are marked*