小橋 昭彦 2007年12月28日


 そもそも皮膚と脳は同じ生まれなんだってね。
 受精卵が最初にとる構造が、外胚葉、中胚葉、内胚葉っていう三層構造。
 外胚葉はそのまま皮膚になっていくわけだけど、受精から3週間ほどした頃、外胚葉に溝が出来る。外胚葉が中胚葉に沈みこんだ形になるんだね。
 やがて溝の開口部が閉じられ、中胚葉に沈んでいた外胚葉は管状になる。これが神経菅。その一端が膨れ上がったのが、脳や脊髄になるという。
 ちょっと想像してみてほしいんだけれど、じゃあ仮に出自が同じとして、もし今も皮膚に脳と同じようなはたらきがあったらどうだろう。
 人間は、脳だけじゃなく、その身体の表面積全体で思考する。
 うわあ、なんだかすごいことになってきそうだね。
 それが、あんがい的外れの空想ばかりじゃない、というのが傳田光洋さんが言いたいことだ。
 皮膚は単なる「カバー」じゃなく、独立してはたらきを持っているんだってこと。
 皮膚から考える、とはそういうこと。
 傳田さんは、表皮細胞(ケラチノサイト)を培養して、顕微鏡で観察した。そして、細胞の一つ一つが低周波の電波を発信していることを発見する。どうやら皮膚や表皮にも精緻な情報処理システムが存在するらしいのだ。
 皮膚から見た、命の姿。
 だとすると、ぼくたちは皮膚感覚というものをもっと磨く必要があるかもしれない。
 オキシトシンというホルモンがある。他人に対する信頼感を高める働きがあるのではないかと最近言われているホルモンだ。
 このホルモン、他者と皮膚を触れ合っていると、分泌が促進されるらしい。皮膚から考える、こころの姿がある。
 人間が無毛であるのは、あるいはそうして皮膚のふれあいを高めたグループほど、互いを信頼し、協力関係を築き、生き残りやすかったためかもしれない。
 表皮細胞ケラチノサイトは、圧力や温度、湿度だけではなく、光を感じることも出来る。今はオカルトと考えられているテレパシー的な能力も、あんがい皮膚感覚で説明されるようになるときがくるかもしれない。
 皮膚から見た、世界の姿。
 傳田さんは企業の研究所に勤める研究者だ。皮膚の研究を始めたのも三十歳を過ぎてからと、異色の経歴を持つ。
 だからこそ、自由な発想で「皮膚から考える」。「気」にふみこんだり、テレパシーに踏み込んだりできるのも、ある意味異端の研究者だからこそだろう。
 それは「脳」にはできない思考かもしれない。
 オートポイエーシスやユクスキュルの著作、アフォーダンスの考え方など、ぼく自身が別の方面から近づいていたさまざまな理論も登場し、あらためて、皮膚から考えることの豊かさに気づかせてくれた。
 21世紀は、身体感覚を取り戻すべき時代だと思う。
 でも、「取り戻す」という後戻りの表現ではきっと誰もついてこない。だから、科学の最先端から、そうそれはもしかすると皮膚から、もういちど生物としての人間の基本を問い直し、新しい価値観にいたる。
 そんな時代へ向けた、チャレンジのひとつ。頭でっかちになりがちな現代人に、皮膚から考えることを薦めたい。

2 thoughts on “第三の脳―皮膚から考える命、こころ、世界

  1. 脳だけでなく、内臓や皮膚等も含めて、人間の「考える」が存在する、と言って貰えると、正直ほっとします。 まだ機械には近づけない部分が存在するのだ、と思えるからです。 私も「皮膚感覚」というものに、もっと注目してみようと思います。

  2. 島崎さま、ありがとうございます。
    数年来、身体性について考えることが多くあります。主としてアフォーダンスをはじめとする環境との関係性においてだったのですが、この書籍から、ある意味脳と切り離して考えることの豊かさを学んだ次第です。

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