この副題には嘘がある。いや、本当なのだけれど、それはやはり嘘だ。
秘められたメッセージというと、みんな暗号を思い浮かべるんじゃないだろうか。ほら、『ダ・ヴィンチ・コード』でやっていたような、名画にこめられた謎、といったような。
最近もジョバンニ・マリア・パーラというジャズ奏者が、『最後の晩餐』に楽譜が隠されていると発表して話題になったね。なんでも、食卓に並んだパンを音符に見立て、普通の楽譜と逆に右から弾くと、荘厳なレクイエムに聞こえるんだとか。
でも、木村泰司さんがこの本で書いているのは、そういう暗号じゃない。
確かにね、あの有名な絵にはそんな意図があったのかって教えられることがたくさんあって、目からウロコの連続だ。
そういう意味では本当なのだけれど、でもね、そうした「意図」って、絵が描かれた当時の人にとっては誰でも読み取れるものだったんだ。つまり、秘められていたわけじゃなかったんだよね。
じゃあそれを秘められたものにしたのは何かって言うと、要するにぼくたちの無知であり、絵を美的感覚だけで語ろうとする「芸術的」姿勢であったりするわけだ。
木村さんは、それでは絵をほんとうに楽しむことはできないと言っている。
そして、古代ギリシアから印象派にいたる、西洋美術の名品の「意味」を、時代背景とともにこれでもか、これでもかと教えてくれるんだ。
つまりこれは、美術史の本だ。
とんでもなくスリリングで楽しい、西洋美術史だ。
美術を理解するには、当時の社会を知らなくてはならない。社会において絵がどのような役割を果たしていたかも知らなくてはならない。
そのためには膨大な知識が必要なんだけれど、やさしい木村さんは、自らは苦労して得たそれらの知識をおしげもなく披露して、無知なぼくたちに、絵にこめられたメッセージを解き明かしてくれるのだ。
たとえば1540年ハンス・ホルバイン『ヘンリー8世』、イングランドの王を正面から描いた肖像画がある。この絵の「意味」を知るには、それまでの絵画で正面から描いてよいのはキリストだけだったことを知っている必要がある。そしてヘンリー8世が自分の離婚を認めないローマ教会から離脱し、プロテスタントの英国国教会を設立したことを。
つまりヘンリー8世は、この肖像画を通じて、自らがイングランドで、自分より上に立つものがない、もっとも偉大な存在であることを知らしめていることになる。
肖像画を正面から描かないとはどういうことかというと、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』(1503年?05年頃)がそうであるように、4分の3正面像で描いたわけだ。
そのモナ・リザ、美術史上は、美人だからじゃなく、テクニックゆえに美しいんだよね。自然には輪郭が存在しないという考えから、輪郭をぼかす「スフマート」と呼ばれる手法を完成させた。指の腹を使って色の移り変わりをぼかしたんだ。
まあ、だから微笑んでいるかどうかわからないような微妙な口元になったんだろう。
美術は、こうして時代や技術の移り変わりと照らし合わせてこそ楽しい。
本書を読み終えた後、あなたはきっと、美術館を訪れることがずっと楽しくなっているだろう。