小橋 昭彦 2005年12月8日

 冬の星は圧倒的だ。出先から戻った夜、車から降りて空を見上げはあッと白い息を吐く。ましてやこの時期、早い時間には金星が輝き、おひつじ座に火星が座り、更けては土星がのぼる。ここにオリオンの三つ星やシリウス、すばるらがからむ様子といったら。星座早見盤をきっかけに星をたどりはじめた少年時代、あれが冬でよかった。違う季節なら、その習慣を続けたかどうか。なんて見上げ続けていると、首筋が凝る。1時間でも2時間でも飽きずに見ていたあの頃は、デッキチェアを出して寝転んだっけ。肩をもみつつ、最近そんな話を聞いたと思い出す。
 ダビデ症候群と、報告したグラツィーラ・マゲリーニ博士が命名している。イタリアはフローレンス。ダビデの裸像を見た後、気分が悪くなって病因に担ぎ込まれる人が相次いだ。彼女は、似た事例を70年代にも報告している。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を見学した後、倒れる人が多数いたのだ。文豪スタンダールも同じ症状を訴えていたことから、スタンダール症候群と名づけられた。
 呪いと言われもした。旅の疲れに加え、美しいものをあびるように見たからだと言われもした。もっともらしいのは、大聖堂にせよ、ダビデの像にせよ、じっと見上げて鑑賞する時間が長いため、首の両脇を通る血管が圧迫され、流量が絞られて血栓ができるのではないかという説。「エコノミー症候群」として知られるようになった、旅行血栓症と似たようなものだ。
 実際の理由について、マゲリーニ博士は結論を出していない。美にうたれたという解釈の余地を残しておきたくもある。博士の研究を伝えたある記事は、次のようなエピソードで締めくくられている。美に見慣れたイタリア人とともに、日本人もダビデ症候群にはかからない。だって彼らはよく統率されていて、美的感情にうたれる時間さえないのだからと。いや、日本人は見上げる美が性に合わず、手の中で慈しむ美を好むのだと言い返したくもあるのだが。

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6 thoughts on “ダビデ症候群

  1. 今回のGraziella Magherini博士の発表については「Art lovers go nuts over dishy David」「Naked Statue Triggers Mental Imbalance」などで取り上げられています。文中で紹介した日本人についての記述で終わる記事は「‘David Syndrome’ to be gauged in Florence」です。
    スタンダール症候群については「イタリアの呪われた大聖堂の謎を追え!」で見られた方もあるのでしょうか。

  2. 冬の夜空が圧倒的なのは以前友人が住んでいた兵庫県宍粟郡氷ノ山に一泊で出かけた時だしその後良く出かける朽木村へ出かけた時だったが、大阪や京都は夜間も照明が多くそこに住む子供たちも「空を見あげると美しい世界・宇宙」があることすら知らないで育つという昨今の状況だ、私はと言うと宇宙空間は「絶対温度7℃で電磁波になる物質の波」で満たされてる」とするロシアのガモフの宇宙論登場以来、見あげる事は少なくなった、それはガモフ一人の所為ではないけれど後に続くハイゼンベルグによる「不確定性理論」提唱によりさらにガモフの説は補強されている。…だから「宇宙に夢<謎>は無くなった」ように思えてしまう、

  3. ダビデ症候群という言葉を聞いて、そういえば、と10年程前の事を思い出しました。ドイツのケルンに行く機会があって、ローズウィンドウで有名な大聖堂に行きました。素晴らしいステンドグラスで、感嘆しましたが、大きな聖堂内を見学している内にだんだん気分が悪くなり、座り込んでしまいました。なるほど、エコノミー症候群だったと言われれば、そうかな、と思うし、美に打たれて、と言われればそうそう、とも思います。以外とこういう体験というのはありふれてあるのかもしれませんね。

  4. そういえば日本でも、理髪中にダビデ症候群と同様の症状で倒れた客が何人かいる、というニュースがありましたね。
    しかも、「床屋」では発症しないけど、「美容室」では発症するとのこと。
    原因は、「床屋」での洗髪はうつ伏せだけど、「美容室」では仰向けだからで、その際に頚部が固定台に圧迫されて・・・というものでした。
    洗髪時に頭を支えてくれる美容室が多いのは、首が支点にならないように、配慮してくれているのでしょうか。
    こちらのケースもですが、美を求める際にはご注意を。

  5. 「エコノミー症候群」という命名だったら「日本人にピッタリだ」と
    言われたかもしれませんねw。
    夜空や天井画を見上げていると、自分の平衡感覚がおかしくなる
    ことがあります。(血栓とかではなく)そういうことなんじゃないでしょうか。

  6. なんとも言えない感慨に打たれました.人生の彼方此方に神秘が存在する様に思いました.理屈をつけようとすればするほど手からこぼれていくのは,思考が万能ではないことの証なのだなあとつくづく思います.柳澤桂子さんが「いのちの日記」で仰りたかったのは正にこのことかと感じました.幸福に言葉は無力というのも同じ事の様に思われました.今回も素敵なお話でした.

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