小橋 昭彦 2004年2月12日

 消失点に向かって収束する直線を何本か想定し、それに添って描いた線に、垂線や水平線を付け足して、箱の絵を描く。透視図法といわれるこの方法を知ったのは中学生になったときだった。あの日の驚きを、今も覚えている。箱のどの側面を正面にしても、同じ要領であっという間に絵が描けた。しかも、ずいぶん整った形で。今にして思えばあのとき、ぼくは世界を人間の尺度で描くことを知ったのだ。それまで絵というのは、自然を自分なりに筆に移す感性の範疇だったのが、透視図法は理論的で、機械的だった。理論で絵が描けるという驚き。世界を見る、もうひとつの手法を知った思いだった。
 アルフレッド・クロスビーは著書『数量化革命』で、ものごとを視覚化・数量化してとらえる技術が発達したのが、ヨーロッパ帝国主義が成功をおさめた一因だと指摘している。中世・ルネサンス期、西欧において「数量化」が進められた。年代にすれば1300年前後のこと。機械時計が登場して時間はきっちり計れるものとなり、書物には目次が振られて読みやすくなった。絵画においては遠近法が完成し、経済においてはイタリアで複式簿記が生まれ今に至る企業会計の基礎を作る。
 数量化以前はどうしていたかといえば、たとえば14世紀の料理本には「詩篇51篇のミゼレーレを唱える時間の長さだけ」卵をゆでるように指示されていたというし、音楽は記憶に頼って伝えられるものだった。書くという行為もまた語る行為と同一で、黙読という習慣は珍しかった。
 今、数量化されていない世界を考えるのはむしろ難しい。あの日以来、数量化や視覚化のテクニックもさまざまに学んだ。それでも、たとえば子どもが、描いた家族の絵を、少し大きいのがお父さんでとても小さく描かれているのが赤ちゃんでと説明するのを聞いていると、数量化では見えないもうひとつの真実がそこにある気がして、自分の中に眠っていた何かが、少し頭をもたげもする。

4 thoughts on “数量化

  1. いつも会社で息抜きやコミュニケーションのネタにさせて頂いております。
    今回の「料理の時間を詩を唱える時間で測る」というのは感動しました。数値化によって時間を時計で図るようになり、ある意味豊かさを失った部分があるんですね。
    今度、音楽で時間を計るなど、楽しい時間の数え方を生活の中でやってみようかな0と思います!
    素敵な情報ありがとうございました。

  2. 面白いですね。数量化してしまうことと、しきれないことの大切さがよく分かります。例えばLPとCDの違いのようなものかな。
    数量化することは、そのすべてが分かったような気になりますが、でも、実は表面的な部分しか分かってないんですよね。
    ヒットラーの描いた絵が透視図的には優れていたけれど、美大に受からなかったこと。彼が退廃芸術といって抽象絵画を排斥したこと。これも数量化ですよね。国家社会主義までを数量化に広げるのは難しいけれど。。。(それこそ数量化全体主義か)

  3. 「子どもが、描いた家族の絵」を観る機会が増え、幼児は本能的に数量化をしていることを感じています。接触時間と影響力の最も大きい母親が大きく描かれるのは当然として、朝も夜も殆ど見かけることも少ない父親がもっと大きく描かれるのは、飼い犬の反応と同じで、母親の父親への接し方をよく観察している証拠でしょう。
    そこで、おばあちゃんは3番目の大きさであるのに対し、おじいちゃんは弟よりも小さいのに、衝撃を受けるとともに、反省もさせられます。幼児は世間の反応に無関係に絶対評価をするのです。
    それでも、描かれただけでも、うれしく感じ、また義理の祖父母より少しでも大きければ、にやりとするようでは仙人にはなれませんな。

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