小橋 昭彦 2003年8月7日

 子どもを食い殺した豚が、殺人罪で死刑になる。ブドウの樹を荒らす毛虫が、破門に値すると訴えられる。大麦をむさぼったとして訴えられたネズミに召喚命令が出る。今ならコメディになりそうなこれらの光景が、中世のヨーロッパにおいて実際に見られた。
 訴える方も訴えを受けつける方も、真剣だ。動物には弁護士もついた。追放命令が出たら、教会が動物や虫を追い出すことになっている。神聖であるべき世界の秩序を守るのは人間であると信じられていた。もちろん、当の動物や昆虫は、何のことだかわかっていなかったろうけれども。
 それから500年以上の時が流れ、ふたたび、動物が主役の裁判が注目されている。米国のクリストファー・ストーン教授が論文で提唱した「自然の権利」がきっかけだ。沖縄のジュゴンやタイマイが原告になって海を守れと裁判所に訴える、オオヒシクイが渡り鳥の越冬地を守れと訴える。奄美自然の権利訴訟ではアマミノクロウサギやルリカケスが原告になる。違うのは、中世ヨーロッパの動物裁判で被告だった動物が、今度は原告になっていること。裁かれるのは、人間だ。
 イエルク・ミュラーらによる『ぼくは くまのままで いたかったのに……』という絵本を思い出す。主人公の熊は、冬眠から覚めたある日、巣穴のまわりが開発され、自分が工場の敷地にまぎれこんでいることに気づく。人間は彼が熊であることを認めない。制服を与え、顔を剃らせ、はたらかせる。同じ熊からもそんな姿の仲間はいないと言われ、次第に居場所を失っていく主人公の熊。
 動物にとって、被告席にあろうが原告席にあろうが、大きな違いがあるだろうか。彼らはただ、彼らのままでいる。ね、ジュゴンにオオヒシクイにアマミノクロウサギ。ほんとうはぼくたちが、きみたちの裁判所に出頭すべきなのだろうね。

8 thoughts on “動物の裁判

  1. 中世の動物裁判については、書籍『殺人罪で死刑になった豚』『動物裁判』をご参照ください。サイトでは、「動物裁判」をどうぞ。自然の権利については、まずは「自然の権利」をどうぞ。「オオヒシクイ自然の権利訴訟」「奄美自然の権利訴訟」「動物が原告?自然保護訴訟 市民団体が権利代弁」などもご参考に。「日本環境法律家連盟」「日本自然保護協会ニュース」にも関連情報があります。最後に、絵本『ぼくは くまのままで いたかったのに……』もどうぞ。

  2. 本当にいつも感動の巨編をありがとうございます。
    博覧強記、何が情報源かといつも呆然として読んでますが今回はシメに参りました。今後も頑張ってください。
    4im.netも楽しみに覗いてます。
    >ね、ジュゴンにオオヒシクイにアマミノクロウサギ。ほんとうはぼくたちが、きみたちの裁判所に出頭すべきなのだろうね。

  3. >ね、ジュゴンにオオヒシクイにアマミノクロウサギ。ほんとうはぼくたちが、きみたちの裁判所に出頭すべきなのだろうね

    そう思う人が一杯いてることを願っています。
    私たちはいつの間にか、傲慢になってしまって、
    弱いものを踏みつけにしても気が付かずにいたり、
    正当な権利と勘違いしてしまったりします。
    こういう警鐘に満ちた。文章にであえることに感謝します。

    同時に、子供たちにもそうい気持ちをもってほしいと思います。

  4. 並木さん、広田さん、ありがとうございます。

    じつは今回は締めにかけてでかなり何度も書き直していまして、そのように読み込んでいただけたこと、とてもありがたく、ほっとしています。

  5. いつも、感慨深いお話をありがとうございます。
    「人間轢いても犬猫は絶対に轢かない」と、やっと初心者マークの取れた動物大好きの娘に、今日の話を聞かせたら、「人間ほど残酷で身勝手な生き物はいないでしょう」「そのうち、『猿の惑星』だわ・・・」とのことでした。
    最近は、人間同士でも平気で弱いものを追い込んでいっているように思います。
    相手の立場に立って、思いやりをもって・・・
    こんなに難しいことはないと、痛感させられる日々です。

  6. こんばんは。
    奇しくも最近D.アッテンボローの野生動物の番組シリーズ(NHK)を見終わり、「生き物」の一種としての人間の位置に着いて考えていたところでした。
    「問題」は時間の経過とともに複雑に絡まりつつ堆積しているので簡単に答えの出せるものではないことは承知していますが、このまま人間の欲望にまかせて進めば、遠からず「地球」は修復不能となることは免れないでしょう。もちろん人間の破滅も例外ではなく。
    >アマミノクロウサギ
    マングース、その他無理やり連れてこられて「害獣」として虐殺される生き物たちも。
    そして、愛玩動物にされたのに、年間何十万匹も虐殺される犬、猫たちのことも・・・。

  7. 紫藤恭子のマンガにこんな意味ののセリフがあったと思います。「儂は魚を食べるけど、魚に恨まれたことはないよ。鳥や獣を食べるけど、彼らに牧場で睨まれたことはない。みんな笑顔で舞台に登場してきてそれぞれの薬を全うして笑顔で舞台を去っていったんだ。誰も恨んでなんかいない。」
    犬も恨んでないのじゃないかと思うんです。人間の一部として生きることにしたため、オオカミの時代のは考えられない数が生きてるわけですから。インフルエンザビールスだって人間に感染できるものは毎年凄い攻撃を受けるけど人間にくっついて世界中に広がることができるわけだし。「定め」というものを「受け入れる」、「受け入れない」で考えるのも人間だけですし。
    人間もこの世界の登場人物としてその時がきたら、誰も恨まずに、笑顔で舞台を去っていけばいいんじゃないでしょうか。

  8. はじめまして。
    いつも、なるほどと読ませていただいてます。

    ニュースで
    「猪たちが、ワガモノ顔で住宅街を
    走り回っています。」
    とながれ、どっちがワガモノ顔なのかと
    つくづく思います。

    >rnakajiさん
    「恨む」という感情を持っているのは
    人間だけではないでしょうか。
    動物は、自分に害を与えるものに対して
    敵意を持つでしょうが、それは、自分を
    守るための本能で、「恨む」とかそういった
    物じゃないです。
    人間は「定め」を受け入れず、ここまで
    数を増やしたのだと思います。
    これも「定め」なのかもしれませんが。

    僕は、医療従事者なのですが
    病院では衛生上の問題で、ものすごく
    たくさんのごみが出ます。
    特に、ICUに入っているような
    人の命を一日延ばすためにどれだけの
    医療廃棄物が出るか。
    医療従事者でありながら
    どうして行くべきなのか悩む毎日です。

Leave a comment.

Your email address will not be published. Required fields are marked*