老姉妹の静かな生活を描いた『八月の鯨』という美しい映画に、部屋の埃をふきとりつつ、なぜ毎日積もるのとひとり泣きする印象的なシーンがあった。ポール・リオイ博士らの研究グループが、屋根裏部屋の埃を調査したと知って、そんな記憶がよみがえる。
この調査は、1879年から1995年の間に建てられた家で、かき回されたことのない屋根裏部屋の埃をすくい取り、その成分を調べたもの。埃からは、1960年代の核実験が世界中に降らせたセシウムや、1980年代に禁止されるまでガソリンに添加されていた鉛などが検出された。民家の屋根裏につもった埃が、地球の歴史を刻んでいる。
日本では、江戸時代のゴミ穴がおもしろい。家の敷地跡から出土したものを掘り返して、当時の生活を研究する。名古屋城下のゴミ穴調査では、割れた磁器をくっつけた焼継ぎや、すり目がなくなるまで利用されたすり鉢などが出土したという。たいせつに使い続けた様子がしのばれる。鋳掛に出されるのが普通だったから鉄製品がほとんどなかったり、古着も見あたらないなど、見つからないものからも、当時の物への姿勢がうかがわれる。
貝塚も縄文時代のゴミ捨て場と一般に解説され、当時の暮らしをしのぶ遺跡となっている。もっとも、儀式に使われたと思しき骨刀が同時に見つかるなどの事例もあり、ただゴミを捨てた場所というよりも、使わなくなったものを自然にかえす祈りの場所のようなものではなかったかともされる。かつてゴミ捨て場は、自らの暮らしに尽くしてくれた物への感謝とわかれの場であったということか。
星新一氏に「おーい でてこーい」というショートショートがあった。まちはずれに見つかった何でものみ込む深い穴。人々はそこに廃棄物を捨て始め、それが未来の自分たちに思わぬ結果を招く。捨てるとは、見えないところ、遠いところへ処分するということではない。今の自分を、未来の自分たちに届ける行為なのだ。
「Paul Lioy」博士の論文は「The historical record of air pollution as defined by attic dust(Atmospheric Environment Volume 37 Issue 17 June 2003 Pages 2379-2389 )」を参照。「埃も積もれば指標となる」の解説が詳しいです。名古屋城下ゴミ穴は、「名古屋城下のゴミ事情」をどうぞ。「ゴミの穴から」もあわせて参考に。ゴミ穴の「断面はぎ取り」はある意味、生活の記録ですね。貝塚については、たとえば「伊達市の北黄金貝塚の解説」などをご参照ください。「中里貝塚」のように水産加工場のあととされるなど、ゴミ捨て場というイメージばかりじゃないんですね。
私も星新一の大ファンです。「おーい、出て来い」を昔読んだときは本当に震えました。今の環境問題を彼はあの頃から予言していたのですね。ほこりやごみで人間の歴史がわかる。未来の人間は現在の我々のごみを見て、どう思うでしょうね。少なくとも原子力発電所から出る放射性廃棄物だけは未来に届けたくないですね。
> 星新一氏に「おーい でてこーい」というショートショートがあった。
ありましたねえ。
原発や戦争なども、未来の私たちにしっぺ返しが返ってくるのではない
かと、心配です。
「おーい でてこーい」は私が覚えている数少ないショー
トショートの一つです。(結構沢山読んだ筈なのに・・)
最近になっても「硫酸ピッチの不法投棄」など「安易に捨
てる」意識が変わっていないことに悲しくなりますね。
「屑とゴミ」
戦前、「屑いー 屑やお払い」と、今で言う廃品回収業者が回ってきました。
独特の声音なので、落語の世界でもよく取り上げられ、「浮かれの屑より」「紙屑屋」などで演じられました。
「白紙は白紙、烏は烏、線香紙は線香紙、陳皮は陳皮、毛は毛……」
若旦那が奉公した屑屋でより分ける仕草が、リズミカルでした。ちなみに「陳皮」とは蜜柑の皮で、薬の原料になったのだそうです。
その中で、屑とゴミは違う、屑は今で言う「再生資源」で、ゴミは「廃棄物」だというのが、妙に説得力がありました。
いまはこのゴミと屑が混同されています。でも「ゴミ箱」「屑かご」と言うと、何となく印象が分かります。
「大型ごみの日」や「再生資源ごみ」などと、自らは「分別」しない行政用語に問題があるのです。
以前公園や駅に、「護美箱」などとわざとらしく書いていましたが、今は「ゴミは自分で持ち帰りましょう」と、撤去してしまいました。
「おーい でてこーい」は
フジテレビの「世にも奇妙な物語」で映像化されている
今さっき迄、NHKの放送を見ていました。
7/27 21:00からの「NHKスペシャル」でした。
南極大陸の棚氷の調査の報道、イギリスの研究チームの活動でした。
見て感じたのは、「海は、ガイアの血管なんだナー!」
体温調節とエネルギーの配分装置として機能しているために地球上の生物が生存可能だという事です。
棚氷が、地球のラジエーターとして機能し、インド洋、太平洋の海溝をを通じて冷海水を配水し、体温調節をやっているように思いました。擬人化して見てるとは自覚してますが。
外乱が少ない条件下での堆積物が信頼できる情報を与えうるとすれば、変化の激しい時の情報は、どうなるんでしょう。
ちなみに私は、1945年太平洋戦争終結の年に生まれました。混乱の極みだったそうです。
「おーい でてこい」の穴はワームホールなんでしょうかね。家の掃除をしてみると、積もる埃に繊維状の物が多いのに驚きます。考えてみると、私たちの日常生活が、布団を叩いたり、服を着たり、絨毯の上を歩いたり、ティッシュを引っ張ったりと、繊維を切断する行為に溢れていることに気が着きました。
昔「おーい ででこい」でトラウマになりました。
トラウマになったということは、現実社会も、あの作品と大差無いということですね。
ちなみに、数ヶ月前NHKラジオでめずらしく面白い作品をやっていると思ったら、星新一さんの「薬草の栽培法」でした。