100年近く前、地理学者のハンチントンが、気候が人類の進化に影響を与えてきたと唱えた。当時は注目されたが、証拠の弱さもあって20世紀半ばには人気を失う。これは環境考古学を提唱している安田喜憲教授が書いていることだけれど、1970年代には、気候が人類に影響を与えると唱えようものなら非科学的と批判され学会から追放されかねない雰囲気でさえあったという。歴史を動かしてきたのは文化的要因であり、気候が社会を変えたなんて安易な環境決定論と非難されたわけだ。
そうした空気も近年は変化した。たとえばエール大学のハーベイ・ワイス教授は、紀元前2000年頃の旱魃でエジプトからインドにかけての文明が衰退したと唱えているし、リチャードソン・ギル博士は、古代マヤの文明に影響を与えたのも旱魃と唱えている。1980年代半ばにジョン・フレンリー博士らによって発表された、巨石モアイ像で知られるイースター島に関する研究はひときわ印象深い。巨石文化は別の民族の遺跡というのが定説だったのに対し、イースター島文化の起源は5世紀か6世紀頃にわたってきた数十人の一団で、彼らが後に高度な文化を築いたこと、それが人口7000人以上に爆発、小さな島の資源を使い尽くし、互いに争い食い合うまでになって衰退したことを明らかにした。まさにいまぼくたちが地球規模で直面している問題と同じではないか、と大きな注目を集めた。
気候が歴史を変えたという見方には、いまも冷めた評価をする研究者が少なくないという。そういえばぼく自身、地球環境が大きく変動する現代にあって、最終的に人類はそれを乗り越えると信じている気がする。本当の意味で、気候が歴史を左右するとは信じていないのだ。それは、未来を信じ切りひらくために必要な信念だろうか、あるいは単なる思いあがりだろうか。イースター島からぼくたちが学べるのは、何だろう。
参考書としては『環境考古学のすすめ』『環境と文明の世界史』をどうぞ。「安田喜憲教授」の考え方については「WEB講義」がわかりやすいです。ハンチントン博士(サミュエルじゃなくね)については「Ellsworth Huntington」で代表的な書籍の一部が読めます。Harvey Weiss博士に関しては「Tell Leilan Project」をどうぞ。ここのシミュレーション・アプレットも注目。イースター島、「John Flenley」教授のサイトは充実。
地球規模、人類の進化、となると信ぴょう性が薄くな
る話も、身近なことで考えれば、あり得るように思い
ます。やっぱり寒い地域の人は我慢強いし、南の人は
のんびりした人が多いように思います。
そういえば、私は埼玉の秩父盆地出身ですが、田舎な
のに我が強く気性の烈しい人が多いのは朝晩の一日で
の気温差が日本一激しいからではないか、と言ってい
た人がいました。そのときは何とも思わなかったので
すが、後に、食べ物と体のことを多少学んだりして、
その土地で収穫される食べ物や気候で影響されること
はあるだろうなと思っています。人が、自然に与える
影響も大きいと思いますし。
自然はいろいろなものを創り
人はそれを生かす
旅先で立ち寄った蕎麦屋に掛っていた言葉ですが、妙
に心に残りました。
はじめまして。いつも興味深く読ませていただいています。地球規模の環境問題が文明を左右していくであろうという話しで、「VERTIGO」というボードゲームが正にその問題を深刻に感じさせてくれたのを思い起こします。
環境変化により生物が進化淘汰されるようなゲームも近年いくつか続けて出ており、環境と生物のダイナミズムが注目を浴びているように思います。
個人的な意見としては、環境と生物相は不可分のもので相互に強く影響しあって共に進んでいると思います。人類の叡智がその関係を越えて、一方的に環境を支配できているかどうかと言えば、現時点までのところできてはいないように思います。けれども他の生物よりも環境を凄い勢いで変えてしまう力を握ってしまっていることは良くも悪くも事実なのではないでしょうか?