またきな臭くなってきたと思いつつ、こんなときはいっそう注意深くニュースを読む。報道はPRが上手な側の視点になることが多い。米国国務省は昨年のテロ後、広告界の実力派を迎え入れている。PRの重要性を知っていればこそ。
目に立ちやすいから広告というタイトルにしたけれど、正確には広告ではなくPRの話。パブリック・リレーションズの略語で、世論との関係を築いていく活動とでもいおうか。第3代の大統領、ジェファソンが使用して言葉が生まれたという伝説もある。
PRにおいては広報とともに広聴も重要な役割を持つ。広く意見を拾い上げ、取捨選択し伝える、そんなサイクルを持つ。企業だけでなく国家にとっても重要な活動で、とくに戦時においては欠かせない。国際世論を味方につけ、国内に対しては犠牲を払うことへの納得を得なくてはならない。
戦争におけるPRの役割が具体的に描かれていたのが、高木徹氏の『戦争広告代理店』だ。ボスニア紛争時に活躍したPR企業のエキスパートが、いかに国際社会でボスニア支持の論調を作り出していったかを追ったドキュメント。悪か善かなんて本来きれいにわかれないのに、みごとにセルビア悪玉論が形作られていった。戦時下のプロパガンダに関しては、ベルギーの歴史家アンヌ・モレリ氏も、自国の攻撃を正当化するプロパガンダには法則があると指摘している。
湾岸戦争時にあったように偽の情報を流すことは論外にしても、PRは必ずしも悪いことではない。弱者の声を伝える役割を担うこともある。ぼくたちとしては、PRの向こうにある真実を見通す目を持つことか。それは単に情報操作されないというだけではなく、PRするだけの余裕が無い国や人々がいることを知ることでもある。世界には、声にならない声が多くある。ほんとうの悲しみは、えてしてそんなところに転がっているものだ。
『戦争広告代理店』小説のようにおもしろく、興味深く読めました。『戦争プロパガンダ10の法則』もどうぞ。
『戦争広告代理店』、NHKスペシャルを見て興味を抱き(驚愕し、と言ったほうが正確かも)、今、本のほうを遅れ馳せながら読んでいるところです。
50万トンもの産業廃棄物と闘った豊島住民会議(香川県)でも、中坊弁護士が「力の差が大きいのなら、赤ん坊のように泣き続けろ」と言ったという話があります。ボスニアも似たようなことわざがあるですね。
いったい真実は何なのか、報道に惑わされることなく、自分の頭で考えるしかないのだなァと思うと、身が引き締まるような、疲れるような…(笑)。
「PRは必ずしも悪いことではない。弱者の声を伝え
る役割を担うこともある。ぼくたちとしては、PRの
向こうにある真実を見通す目を持つことか。それは単
に情報操作されないというだけではなく、PRするだ
けの余裕が無い国や人々がいることを知ることでもあ
る。世界には、声にならない声が多くある。ほんとう
の悲しみは、えてしてそんなところに転がっているも
のだ。」悲しみは、転がっているものではないので
す。「本当の悲しみ」は、常にPRをすることの出来
ない人間たちに突然襲い掛かるものではないのでしょ
うか。つまり、PRそのものが、強者にしか許されて
いない手段なのです。一体、弱者に世界に向かっての
どんなPRの手段がありますか?
毎回楽しみにあなた様のコラムを拝読いたしておりま
すが、今回のはいただけません。このコラムの真意を
もう少し詳しく記述されてはいかがかと思います。
元電通マンの井上優氏が、「世論をつくるのは、ジャーナリズム、行政、企業、なのだ」と喝破しておられたのが、今でも大変印象に残っています。
てっきり世論というのはわれわれ市民自身が作っていくものだとばかり思っていただけに、強烈でした。
でも、これからインターネットが普及するにつれて、こうした“作られる世論”というスタイルも、あるいは変わっていくのかもしれません。
NHKの番組をみましたが、書籍の方はまだ購入していません。書名が「0広告代理店」とされていることへの違和感および非・同意意思の表明です。自分は広報業務を生業としておりますが、主体(企業・組織・国家等)にとってもマスコミにとっても、「PR/広報」は「宣伝」や「広告」と同義として扱われています。しばしば「お金をかけない宣伝・広告」とまで定義され、予算がない時の選択肢として軽侮の念をもって扱われることもあります。
スペースを「金」で買うのではなく、人間の知的労力の積み重ねによって主体をとりまく「関係」を作り上げ、維持し、時に世論に影響を与えるという広報の機能の一つが、「広告代理店」という電通的定義に絡め取られていくことには軽く違和感を感じています。広報はPublic Relationsであり、Propagandaではないと信じたいです。
山本さん、ありがとうございます。コラムの真意は、本文中にある「PRするだけの余裕が無い国や人々がいることを知ることでもある」に尽きます。
ボスニア紛争のときも、弱者も強者もPRにさえ思い至らなかった(らしい)アフリカの小国に深刻な悲劇が起こっていました。そういう地域は、いわば道端の小石のように無視されているわけで、それが「転がっている」という表記につながりました。「襲いかかる」という表現は臨場感が高いので、むしろこういう冷めた目の表記にして、悲しみをそうした冷めた状況に置いておくことそのものへの疑問としています。
弱者にとってのPRの手段という問いについては、ボスニア紛争において、PR上手だったボスニア・ヘルツェゴビナ側は、セルビアとの関係においてはたして強者だったかという問いがないではないです。ただ、それ以上に、ぼくとしては、上に登場している松本さんの投稿の結びの部分に共感するものです。
ReeFouさん、PRという言葉を日本に持ってきたのが、(当時の社名は違っていましたが)電通だったので、よけいに日本では混同されるのかもしれませんね。そのため、本文中でも疑問をはさんでいますが、ぼくも最初「戦争とPR」というタイトルにしていたのですが、これでは一般読者に伝わりにくいという判断が働くのです。それで、このタイトルになりました。書籍の場合も、同じような事情かと推測いたします。