小橋 昭彦 2002年8月26日

 東の端からもたらされたお茶に西の端の砂糖を入れる。国力を誇示するようなこの表現が見られた18世紀、イギリスは世界貿易の主導権を握るようになり、紅茶はインドなどの東洋から、砂糖はカリブ海の島々で行っていたプランテーションから手にするようになっていた。
 当初は高価だった紅茶や砂糖も安くなり、大量に消費されるようになった。1650年にオックスフォードではじめて生まれたというコーヒー・ハウスがにぎわい、イギリス各地に広がった。政治から経済まで、さまざまな情報が交換され、政党を生み、ジャーナリズムを生み、科学者のあこがれ王立協会を生み、おまけにバブルまで生んでいる。
 バブルというのは、いまのバブル経済の語源ともされる南海泡沫事件。1720年に起こった南海会社の株価暴落をきっかけにした大恐慌で、もともと利益をあげられるはずのないバブルのような会社だったのでこう呼ばれるようになった。そんな会社の株がやりとりされたのも、コーヒー・ハウスでの情報交換があってこそ。
 アメリカ独立運動の決定的なきっかけともされる1773年の「ボストン・ティー・パーティ事件」は、ボストン港に入ったイギリス船の積荷だった紅茶を海中に捨てたもの。高価な紅茶と砂糖をあわせるのは、いわば究極のステイタス・シンボルでもあったから、イギリス上流階級のシンボルを捨てたところにアメリカがはじまったともいえるわけだ。
 サトウキビ畑のプランテーションにアフリカからの黒人奴隷が働かされていたことなども思うと、砂糖は決して甘いだけではない。砂糖で世界を記述することもできるという百科事典のひとことにひかれて調べ始めた砂糖。なるほど、一杯のお茶にも、世界の歴史が香っているのである。

1 thought on “カップの中で

Leave a comment.

Your email address will not be published. Required fields are marked*