しばらく前に熱でふせっていたとき、各界の著名人と病気の関係についての書籍を寝床に持ち込んだ。病に病をとのしゃれではあったが、アンデルセンは心気症から生き埋めを極端に恐れ、失神しそうなときは「死んだように見えますが生きています」と書いた紙を枕元に置いたなど、興味深いエピソードに出会えた。
そのアンデルセンに同性愛説もあったという指摘に目がとまる。『幸福の王子』などを残した英国文学のオスカー・ワイルドにも、同性愛で投獄された経験がある。英国では当時、同性愛は犯罪だったのだ。
一方、日本では長らく、美少年を伴にする習慣があった。足利義満と世阿弥の関係は有名だが、織田信長と森蘭丸の関係ははたしてどうだったか。男娼という職も成り立っていたし、男色(なんしょく)物という読み物のジャンルもあった。
もっとも、男色についてふみこんで調べると、ギリシア神話の神々はしばしば美少年を愛しているし、プラトンのいう肉欲を超えたプラトニックラブは男性同性愛の理想形だったという。ローマでは、カエサルは「ローマのすべての妻の夫であり、すべての夫の妻」との記述が残っている。その後のヨーロッパでは、レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロなどが男色で知られている。また、発見当時のアメリカ大陸では男色が慣習として組み込まれている部族が多かったという。
明治以降、西洋化の影響もあって日本で男色は廃れるが、1960年代以降、欧米の思潮を受け入れる形でふたたび同性愛が市民権を得るようになった。ぼく自身は萩尾望都の『トーマの心臓』など少女漫画の傑作群を思い出しもするが、歌舞伎の女形はじめ、男色が芸術に多くの影響を与えてきたのは事実。調べるほど、キリスト教の影響で極度に男色を禁じていた風潮こそ珍しいことのように思え、文化の多様性について思いめぐらせたのだった。
著名人と病気についての書籍というのは『天才と病気』です。また、須永朝彦『美少年日本史』も参考にしました。
フリーキック、ファンタジスタを分析すれば物理学(朝日5月19日)。米で特殊薬効かないMRSA(朝日7月5日)。バナナに健康増進効果(日経7月6日)。ウィルス合成に成功(日経7月14日)。母乳あげたら乳がん減るとの調査(朝日7月22日)。精子や卵子のおおもとを作る遺伝子発見(朝日7月18日)。ルワンダの草の根裁判「ガチャチャ」(朝日7月24日)。石川の時国家の家格争い(朝日7月20日)。
あの・・・男色って文化なのかしら?
男が男を愛するって本能だと思うし、表面に出てこようが
沈んでいたにしろ、どの時代にも今と同じようにあったと
思います。男色が各時代の文化に影響を与えたという点には賛同します。
あ、確かにそうですね。男色を文化というと語弊があります。おそらく最後の「文化の多様性について思いめぐらせたのだった。」という一文が誤解を生んだのかと思います。
ここでいう「文化」というのは男色のことを指すのではなく、男色の受け入れ方について指したつもりでした。制度的に組み込んでいる社会がある一方でタブーとしている社会もある。そういう多様性ということを考えていました。「社会の多様性」という表現の方が適切なのかもしれません。
まったく関係ありませんが、男色(おとこいろ)と女色(おんないろ)についても、いつか書いてみたいです。青は男色、赤は女色。なんでそうなったんだろう。他の社会ではどうなんだろう。よい資料をご存知の方、紹介いただければ幸いです。
こんにちは。
ちょっと時間が経っていますが、8月5日の「男色」というコラムで気になったので投稿してみます。
文中に、「プラトンのいう肉欲を超えたプ
ラトニックラブは男性同性愛の理想形だったという。」とありますが、高校の倫理で西洋哲学を勉強した時のうる覚えの記憶では、プラトンは、人間が現在に男と女の2つになる前、男男、男女、女男、女女、の4つの性があった。この時の記憶が今の人間にも残っており、異性を愛する者と同性を愛する者の2タイプが存在する。それは、人間の真実の恋愛の姿であり、プラトニック・ラブと呼ぶ、という内容だった気がします。
調べてみてもわからなかったので、明らかにして頂けるとうれしいな、と思います。