喜びや痛みと脳の活動の関係を前回述べた。そうした探求は、じつは最終的にひとつ大きな疑問とつながっている。心と、脳の関係だ。心脳問題と呼ばれたりする。ぼくたちの心はどこで生まれているのか、という問いかけ。
心は精神的なものだし、脳は物質だ。たとえばあなたは、念じただけで物を動かせる念動力を信じるだろうか。あるいは、コンピュータが意識を持っていると思うだろうか。疑ってかかる人が多いことと思う。一般常識では、精神世界と物理世界は相互に切り離されていると考えられることが多いわけだ。
ところが、脳と心はそうはいかない。仮に脳の活動が意識を生んでいるとすると、まさに物理的な動きが精神を生んでいることになる。であれば、物理世界と精神世界は行き来できるということなのか。
科学技術振興団による、数を表現する大脳の細胞活動発見は驚きだった。サルに、回数ごとに動作を変更する課題を与えると、回数を数えて正しく動作を変更する。このときの大脳の活動を調べたところ、脳頭頂葉の「5野」と呼ばれる部分に、3回目や5回目だけに活動する細胞、あるいは4回目と5回目だけ活動する細胞といったように、数と細胞の間に固有のパターンが見つかったのだ。数という抽象的なものが、細胞活動として発見されたわけ。
こうした成果からは、コンピュータとしての大脳を連想する。ただ、いくら細部に分け入っても、意識にたどり着けるかどうか。りんごを見て赤色を感じるとか、森林浴の気持ちよさとか、ぼくたちが感じる「質感」をクオリアと呼ぶ。このクオリアを、脳活動から説明することの難しさ。
ぼくたちの脳を構成する1000億というニューロン。そのひとつひとつがクオリアと対応するわけでは無く、細胞や素粒子が意識を持つわけでもない。それでも脳全体として、つまりぼくたち全体として、ぼくたちは意識を持っている。関係性こそが、越えられないと思われる境界を越えさせている。
科学技術振興事業団の発見については「数を表現する大脳の細胞活動を発見」をどうぞ。数に関係しては、「『損』に反応する脳領域」というのもありました。クオリアについては、NHKブックスの『心を生み出す脳のシステム』、あとこちらはちょっと難しいですが『意識する心』をご参考に。
「3回目や5回目だけに活動する細胞」「4回目と5回目だけ活動する細胞」
・・・というのは、驚き。
だけど、例えばコンピュータも0”1で全てを管理できるわけだし、
点字だって点の並びのある”なしで数字を表すわけだし、
極端かもしれないけど、脳も同じように小さな細胞の活動で認識しているんですね。
・・・何だかミクロのマスゲーム??を想像してしまいました。
ちょっと話題がずれてしまうかもしれませんが、確か“顔細胞”というのもあるんですよね。丸が横に並んでいて、その中間ちょっと下にもう一つ丸があると“目と口で顔”と識別するような。これがあるため赤ちゃんは生後すばやく親に反応できるとか。
調べていけばいくほど、なにかめちゃくちゃ固有に用意されたセンサー的脳内細胞が見つかるような気もします。
固有に用意されたセンサー的脳内細胞といえば、AIに宇宙全体を理解させるにはどうすればいいか、という(笑い?)話がありました。
宇宙の現象に固有に対応するチップを用意して積めばいいですよね。で、AIを小型化するために、チップは小さいほうがいい。たとえば原子とか。じゃあ、宇宙の各原子に固有に対応する原子を持たせたAIを作ればいいんじゃないか。
わかるでしょうか? それって、単なるイミテーション(コピー)だったりします。
—関係性こそが、越えられないと思われる境界を越えさせている。
そうだなぁと思った。
論理的に出された悲観的な結論に押しつぶされそうなと
き、自分の大好物の食べ物が目の前に突然出されるとし
て、悲観色に染め上げられていた自分の脳細胞は、大好
物細胞と関係して、全体として楽観&積極色の脳細胞関
係を築いていく。それまでの自分とそれ以後の自分の心
は、違っている。違う人格になっているかもしれない。
そんな無茶苦茶なことを連想した。