1980年、アルバレス親子が隕石の衝突が恐竜を滅ぼしたと発表したとき、信じる人は多くはなかった。最後に現れてものごとを解決するギリシャ悲劇の神よろしく、デウス・エクス・マキーナだと言われたりもした。数々の反論が隕石衝突説の裏づけを磨き、定説とされるようになったのはようやく90年代のこと。まだ10年になっていない。
隕石が落ちた場所はユカタン半島。隕石の直径は10キロメートル以上。秒速20キロから70キロで移動していたと推測されている。衝突は少なくとも直径170キロメートルのクレーターを作り、1000キロ離れた地点でさえ、地表が高さ数百メートル波打ったという。発生した津波の高さは100メートル、秒速500メートルで伝わっていった。
隕石衝突説の登場とその波紋を描いた書籍を読んでいて、アルバレス親子の父、ルイス・アルバレスが、原子爆弾開発チームのひとりであったことを知る。ノーベル賞も受賞した物理学者だ。広島への原爆投下を、上空の観測機から観測した人でもあった。
隕石衝突説が受け入れられるにあたっては、ふたつの論点が証明されなくてはなかった。ひとつは、6500万年前に実際に巨大隕石の衝突があったこと。こちらは、イリジウム調査を中心に確証が得られている。もうひとつは、隕石衝突が恐竜の絶滅に影響したこと。影響がなかったはずはないが、絶滅しなかった種もあることでもあり、こちらは論じる余地が残っている。
ルイス・アルバレスは、自説を補強するのに、核の威力を援用して隕石衝突の影響を説明することもできたはずだった。その後カール・セーガンが、核爆発が地球環境に影響を及ぼす「核の冬」という概念を訴えもしている。だが、彼はセーガンの論をひくこともなかったし、自分の経験に触れることもなかった。軽々しく口にできることではなかったのだろう。大量殺戮を上空から見るという稀有な経験。彼は、恐竜を滅亡させた巨大隕石を、どんな思いで重ねたか。1988年、論争が続くなか、彼はこの世を去った。
書籍『白亜紀に夜がくる』をご参照ください。コロンビア大学の「LABORATORY FOR DINOSAURS AND THE HISTORY OF LIFE」、日本語の「Dino Club」「衝突と気候変動、及び絶滅と文明盛衰」もご参考に。
楽しく読ませていただきました。
ルイス・アルバレス氏の胸中は、ホントどのようなも
のであったのでしょうか。
おそらく、父から子へとその思いは伝えられたので
しょうね。
それにしても、ユカタン半島に落ちたとされる隕石。
これだけの大きさが地球に衝突する確率たるやどれく
らいのモノなんでしょう。そのあたりも気になってし
まいました。
>これだけの大きさが地球に衝突する確率
たけおさん、ありがとうございます。そのあたり、今回触れ切れなかったので、次回コラムでフォローします。